引き続き

というわけで、久々のバレエ&JAZZを受講したわけですが、思ったより体は動いてくれます。やはり根気が足らンな・・・とは感じていましたが、それよりも何か妙に気になることが。違和感というか何と言うか、その時点ではまだよくわかりませんでした。

引き続きJAZZ-02も受講。ストレッチがやはりきつい。実は足の裏を4回ほどツってました(笑)。腹筋も微妙に堪えます。で、フロアからコンビネーションに移ったあたりでようやく理解できました。「踊り勘」みたいなものがまったくありません。なんだかもう、体を動かしているだけ。
これはなかなかヤヴァイですねぇ(汗)。

  

話は変わりますが、先の日記から何度か「山の辺の道」と言葉が出ておりますが、これは日本の史実に登場する最古の道です。連なる山々の裾に位置するので「山之辺」の道という名称になりました。風光明媚で歴史的遺物も多く、「歴史街道」としてハイカーに人気があります。私は大神神社~檜原神社の1キロくらいしか歩いていませんが、それでもかなり趣がありました。「もののけ姫」の冒頭に出てくる村を創造させます。
http://goryo12.hp.infoseek.co.jp/a3-1.html

上記サイトのルートに加え、天理から山を周るハイキングコースみたいなものもあります。

片山さんからもなかなか興味深いコメントをいただきましたので、機会があればテクテクと歩いてみたいです。いや、自転車で駆け抜けるのも悪くないですね。

本日、久々に初級バレエ&JAZZ-02を受講。スタジオに来ること自体も久々ということもあり、こっそり受付を済ませて何食わぬ顔でフロアに佇んでいようかと思ったのも束の間、Toshimi先生に速攻で見つかりました。アリ・キック?それとも飛び付き逆十字?かと思いきや、シンプルイズベストなネック・ハンギング・ツリーの刑(笑)。 
  

 

さて、今日は午前中から奈良・大神神社に再び参拝に行ってきました。大神神社に関しては先の日記に書いてありますので省略します。簡単に書きますと、ここは御神体である三輪山に登ることができます。それを登拝と言います。今回は(もちろん別件もありましたが)JAZZ復帰前のトレーニングも兼ねて、思い切って裸足で登拝してきました。

ここは山が御神体ということもあって裸足で登る人もけっこう居ます。そういう人たちのために、貸しロッカーや下駄箱まで用意されてます。また、この登拝道は神社&有志の方々によりきちんと清掃されているのでガラス片や缶など、危ない物がないという安心感もあります。

  

 

いざ裸足で登拝せん!ということで、いきなり第一歩目から山肌の感触がダイレクトに伝わってきます。思ったよりヒンヤリとし、今までに味わったことの無い感覚ですね。
痛くないといえば嘘になりますが、痛みは道の状態によりけりです。さらに云いますと、下りの方が足裏が痛かったです。なんでだろう?と考えながら降りていましたが、たぶん登りと下りでは足の体重配分や姿勢、その他諸々の動作関係が異なるからではないかと。だったらどうすれば楽に下りられるかということで、あれこれ試行錯誤しながら下りていきました。
上り下りに関わらず、勢いに任せない。足裏の感覚を感じながら。足首を柔らかく。体幹を使ってetc・・・いろいろ勉強になりましたね(笑)。

  

 

もうひとつ感じたことは、今の人間は靴、さらに言うならばたった一枚のゴム底がないだけで野の道ひとつ満足に歩けないということでしょうか。一ミリにも満たない小石がなんでこんなに痛いのだろうか?とか、靴がヒトを人間足らしめている文化装置だとすれば、それは一枚のゴムで支えられているというわけか・・・・・・などと哲学的な雰囲気に浸りながら登拝してました(爆)。
裸足なので当然汚れますが、意外にも切り傷などはほとんどなく、むしろ足の裏が柔らかくなったくらいです。

  

下山後は足を軽く洗ってから摂社・狭井神社の水で喉を潤しました。ここの水がまた非常に美味しいのです。その後再び大神神社本殿に御参りし、ここを後にしました。すぐに三輪駅に戻り、次は天理に向かいます。天理には石上神宮(いそのかみじんぐう)という、とても古い神社があるのです。

石上神宮 楼門(重文)

天理といえば、天理教ですね。ここにはその本部があるので、道すがらチラっと見ていくかと考えていました。が、その巨大さに圧倒されたというか、もう、街全体が天理教の施設といいますか・・・・予想を超えていましたね。

ものすごく睨みを利かせてます(笑)

 

てくてくと駅から歩くこと2キロほどでしょうか。石上神宮に着きました。うっそうとした樹木に囲まれた趣のある神社です。ふと見ると境内を堂々と横切る物体が・・・・そう、ここは鶏が放し飼いされているのです。まぁそれはもう見事なもので、ちょっとやそっとでは動じません。20年前くらいから半野生で住み着いて繁殖しているようです。鶏たちを横目に、本殿に参拝を済ませて、御朱印を戴きました。ついでに「山之辺の道」の地図もゲット。ものすごくいろいろな見所があるところだなぁと感心。いつかまた、「山之辺の道」全行程約30キロを踏破してみたいものです。

学校帰りの学生でいっぱいの電車にゆられて家路につきました。

かくして心の準備(笑)が終わり、夜からのバレエ&JAZZ02に臨んだというわけです。

原曲

それは限りなく古く、また常に新しい。
  

ゲーム音楽というのも一般的には無視されがちですが、名曲と呼ばれるものも相当存在しています。

最近「ドラゴンクエスト9」が発売されて、往年のゲーマーから新規のプレイヤーまでかなり売れているようですね。私は残念ながらプレイしておりませんが。

さて、ここに取り上げたる動画は「DQⅡピアノメドレー」。かなり上手にプレイ中の原曲を再現していますね。
  

ドラクエⅡはシリーズ最高難度を誇り、また「復活の呪文」をミスると一気に奈落の底に突き落とされる感覚を味わえることで有名です。「復活の呪文が違います」でどれだけの絶望を味わったことか。
次の日は学校に行きたくなかったですね(笑)
なお、復刻版は難易度が落とされています。
最高難度というのもDQ3やDQ4などの続編と比較してのことであり、当時は何の疑問もなくプレイしていたように思います。ただ、私は裏技を使ってクリアしていたと記憶しています(「はかぶさの剣」等w)。

白露

7日はひとつの季節の変わり目です。心機一転にはよい機会ですね。

 

 

幸や不幸はもういい。 どちらにも等しく価値がある。 人生にはあきらかに 意味がある。

  

業田良家 「自虐の詩」より

  

 

不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。
  

ラッセル 「幸福論」より

  

  

10年後にはきっと、せめて10年でいいから
戻ってやり直したいと思っているのだろう。
今やりなおせよ、未来を。
10年後か、20年後か、50年後から戻ってきたんだよ、今。

  

2ちゃんねる(読み人知らず)より

自律式機械兵

リテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリールまた余計なものを買ってしまった・・・。

 

お城の花畑にいるタイプなので、「古い古い秘密の言葉」を口にしても暴れません(笑)

珠の極意

暦の上では処暑を過ぎ、夏もすっかり翳ってしまいました。夏というのは一見、陽気で明るく活動的なイメージが大きい季節ですが、反面、事故や事件が多い時期でもあります。物事の陰陽というものを考えさせられます。

さて、最近テレビなどで「柔道」という言葉を耳にします。何故だろうと思っていると「世界柔道」という世界的な大会がオランダ・アムステルダムで開催されているんですね。柔道というと「柔よく剛を制す」という言葉が思いつきますが、実際にオリンピック等での柔道の試合を観てみると・・・・・・素人考えながら「力で力を制す?」的な印象を受けてしまいます。

しかし、少し前の日本には、こういう人物もいたんです。
「柔道の神様と呼ばれた男」
三船久蔵 (1883~1965) 講道館柔道十段

身長159cm、体重55kg。小柄な体格ながら「隅落し」こと通称「空気投げ」などの新技をあみ出し、1945年(昭和20年)最高位の十段を授けられ「名人」の称を受ける。「理論の嘉納、実践の三船」といわれ、柔道創始者である嘉納治五郎の理論を実践することに力をいれたことから「柔道の神様」とあがめられた。

  

  

 

なんといいますか、見ていて気持ちがよいくらい動きがリズムカルで軽やかですよね。

「空気投げ」も見事なのですが、それよりもこれだけ軽くて小さいのに全然相手に投げられないことがすごく不思議です。エイッと持ち上げて落とせば済むんじゃないか?とも思いますが、三船十段は別に慌てるでも力むでもなく・・・。

どれだけ転がっても重心がぶれない「珠の極意」と表現されていることから、やはり身体の重心であるとか軸であるとか、そういった事柄が重要なのだな、と。

そういう意味ではダンスでも同様かと思います。
恥ずかしながら、私も未だに重心や軸足移動がスムーズにできなくて、グラつくor振りが遅れるor動けないということが多々あります(汗)。

リズムに合わせて転がる珠のように澱みなくブレなく、軽やかに踊れるようになりたいですね。
ちなみに現状では、弾めばどこに飛んでいくか分からないラグビーボールでございます・・・。

不足気味

 本日は休みだったので、昼過ぎから急いで神社参拝に行ってきました。京都の上賀茂神社・大田神社・下鴨神社の三社です。何度も行ってますし、今日はごくプライベートな参拝・・・というよりも時計を気にしながらの駆け足だったので写真を撮る余裕もまったく無く(笑)。ちなみに大田神社は舞踊・芸能の神様です。またご紹介することもあるでしょう。

夜は久々にHIPHOP(BON’S CLASS)に出撃してきました。
身体が動くか・・・・と不安でした。
せめて火曜のToshimi先生のBALLET(初級)で
じっくり慣らしたいところですが時間的に行けないので仕方ありません。

できるできないは別として、思ったより身体は動いてくれました。夜中、寝る前にゴソゴソとバランス調整運動や柔軟をしていたおかげで低下はひどくないようです。

が、アレがものすごく不足しておりました。体力?練習量?集中力?違います。
「根気」です。上手く表現はできませんが、これはかなりヤバイなー・・・・・とただただ実感。

伏見稲荷

今宵は「MIDNIGHT HHSC-ex」ですね。
Toshimi先生の「THRILLER」・・・そりゃもう、観たくないわけがない!
無念ながら夜更かしが堪える身体なので欠席とあいなります・・・。
月曜日あたりに復帰の予定ですが、鈍った身体が動くかどうか。
こないだのHHSCの動画も見ましたが・・・明らかに浮いて・・・(笑)。
あと、なんとすばらしい動きのカタさ(苦笑)。

  

 

さて、先日は気分転換心機一転も兼ねて、伏見稲荷大社へ参詣してきました。伏見稲荷大社は全国に3万余もある稲荷社の総元締です。稲荷と言うと白狐の神様のように思われることが多いですが、白狐は「神使」、つまり「使わしめ」です。稲荷大神は「宇迦之御魂大神(ウカノミタマノオオカミ)」と一般的には言われています。もっとも、白狐の御霊を祀る「白狐社」というのも境内にありました。

携帯で適当に撮影しているだけなので画像はあまり良くないです。

千本鳥居 まだまだ序の口

伏見稲荷に行く気になったのは下調べの中で、どこかのブログで目にした一文です。
「・・・・伏見稲荷は、日本の近代から現代に至る過程でほとんどの宗教から洗い落とされてしまった、信仰の核となるドロドロしてギラギラしたところが垣間見える数少ない神社・・・・」
ほう、面白い。ならば見せてもらおうか、ということで出かけてきました。

稲荷山図

結論から云いますと、確固たる「稲荷信仰」に基づいた現世利益を願う、階段と鳥居と鳥居と鳥居と白狐と白狐とお塚であふれるワンダーゾーンでした。ただし、逆に云いますと、大小の差こそあれほとんど同じ調子で鳥居とお塚が続くだけなので、なにか目的が無かったりあんまり興味が無ければ、言い方は悪いですが“飽きてしまう”可能性が高いです。

伏見稲荷の一般コースである「お山巡り」。本殿から奥社に至り、そこから(通常は)反時計周りに頂上である一ノ峯(上之社)を経て再び本殿に戻ります。階段を登って登って鳥居をくぐってくぐって、おおよそ2時間のコースです。もっとも、横道も多くて冒険心(笑)にかられると時間がいくらあっても足りません。面白いことに、頂上を境に、陰と陽のように雰囲気がガラリと変わってしまいます。また、各所に宿場風な御茶屋がたくさんあるので休憩や食事、水分補給には事欠きません。日本人だけでなく外国人観光客がとても多かったです。どういうガイドブックを読んでここに来たのかはわかりませんが、日本人でさえ奇異に感じるこの伏見の風景を彼らはどう感じているのでしょうね。

ここの磐座(いわくら)は金属・刃物の神様です

 

伏見稲荷は御山一体が神域で、その点では先にも書いた「大神神社」と同じです。ただ、雰囲気はまったく違います。失礼な喩えかもしれませんが、大神神社・三輪山が「国立自然公園」としたら、伏見稲荷は「テーマパーク」といった感じでしょうか。

ご存知のように千本稲荷と白狐が有名です。千本鳥居と言いますが、大小合わせるとゼロがひとつ多いんじゃないの?と云いたくなるほどの圧倒的な数があります。ほとんどが奉納されたもので、意外にも平成のものが多いです。参拝路にかかるような大きなものだと一基300~500万はザラだそうです。ちなみに、「電通」が一番大きかったような記憶が・・・。

撮影している人もたくさんいます

 

それよりも驚くのが「お塚」の数。「お塚」とは、稲荷大神様に別名をつけて信仰する人々が石にその御名前を刻んでお山に奉納したもの、です。

これでもまだ少ないです@お塚

鈍った身体に鞭打つべく、水分補給はしつつもアンパン1つで山を巡ること2時間強。スタスタと階段を上って下ってお参りに次ぐお参り。ちょうど良い運動でした(笑)。

山にはけっこうな数のお社(&お茶屋)がありますが、ひとつ印象に残っているお社をあげるとすれば「眼力社」でしょうか。向いの御茶屋で、とてもシンプルでつつましさを感じるストラップを購入。おばさんが「守ったってくださいや」と火打石で清めてから渡してくれました。自分に合うお社を探すのも良いと思います。ちなみに、もっとも人気のあるのが「熊鷹社」。勝ち運の神様として有名だそうです。

観光よし御参りよしお土産探しもよしと、とても面白いところです。オリジナルグッズ的なものもたくさんあります。参道では昔から「雀焼」「鶉焼」が有名ですし、神社の狐の絵馬はかわいらしいですね。

京阪 伏見稲荷駅構内

ただ、伏見稲荷は「願」も叶うが反面、「魔」も強いそうです・・・・。ギャンブルは当たるようになるけどさらに溺れるようになる、商売は上手くいくけど驕り高ぶるようになる、すぐに出会いがあるけれどすぐに別れるようになるetc・・・。ここでいう「魔」とは結局、感謝と謙虚を忘れないための戒めの言葉かもしれませんね。

火垂るの墓

毎年の夏恒例の「火垂るの墓」、御覧になった方も多いかと。

内容はいまさら言うまでもありませんね。
朝に「さようなら対馬丸」。昼に「はだしのゲン」。夜にこれを見ればもう何とも言えないやるせない気分になることは請け合いです。
ちなみに「ジョニーは戦場へ行った」という映画がありまして、感想を聞くとこれは相当落ち込んでしまうそうです。私はまだ観たことがありません・・・というよりも、観れないですね。

今回は某掲示板の実況書き込みを見ながらテレビを眺めてました。
「(開始五分で)もう涙が出てきた」なんて書き込みもあり、母親が死んでしまうシーンではすさまじい量の書き込みがありましたね。あのシーンはいつ見てもやるせないものがあります。軍医は見慣れた風に呑気ですが、母親は怪我なんてレベルではなくて瀕死です。呆然とする主人公。生々しい瀕死の呼吸の表現は随一だと思います。

で、西宮の親戚に疎開することになるのですが、そこでは「西宮のクソババァ」という書き込みであふれました(笑)。「小さい子供相手に大人気ない!」等々、一般的にはそのおばさんを批判する意見が多いのですが、一方ではおばさんの主張は正論であるとか、あまりにも主人公がニートすぎるであるとか、ゲンに比べると圧倒的に情弱だとか、そういう擁護の意見もあります。よく「オトナになったら見方が変わった」と言われてますね。いろいろあってその親戚の家を出て横穴に住み、そして2人とも力尽きて死んでいくのですが・・・・。

この映画の監督である高畑勲の言葉によりますと、

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清太と節子は”家庭生活”には成功するけれど、”社会生活”に失敗するんですね。

いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。社会生活ぬきの家庭を築きたかった。
まわりの大人たちは冷たかったかもしれない。しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。

そして無心に”純粋の家庭”を築こうとする。
そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。
心情的にはべつに現代の青少年たちとだけ類似があるのじゃないと思うんです。マイホームとか核家族とか、
個室やオートバイを子どもに与えるとか、おとなもみんな清太になりたがり、自分の子どもが清太的になることを理解し認めているんじゃないんですか。
社会生活はわずらわしいことばかり、出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。それがある程度可能なんですね。
ウォークマン、ステレオ、パソコン、みんなそれを象徴しているような気がします。清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。
(抜粋 一部省略)

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可哀相であるとか反戦であるとか、いろいろ聞こえの良い風に言われてますが、「社会生活」という現代に生きる我々にも身近な問題と視点でこの映画を観てみると、また違って見えてくるのではないかと。

  

  

  

いつも思うのですが、この映画に出てくる関西弁は基本的にキツイ感じがしませんか?