今日は日蝕

起きたら曇り空だった。   

  
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   zzz
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明日22日は皆既日食ですね。
私は運良く休日でした。

さて、知人から教えてもらった話で恐縮ですが。
日蝕というのは非常に珍しい現象です。それゆえに特異現象とされ、特別な日ともいえます。今までと違う新しい可能性や展開を拓くスタート時点として絶好の日と言えるでしょう。
願い事や夢などがある人は楽しんでこの日食の時に願ってみると良いそうです。日食の機会に、自分なりの願い事を(心の中で)唱えてみてください。
開いた扉の中から、想像した宝物が出てくるイメージをしながら願ってみてください(ここが大切らしい)。
太陽が欠け、暗くなり、そして太陽が満ち、明るくなるのと同調し、願いが動き始めるそうです。

私もやってみます( ´д`)
「流れ星」と違って楽ですね。

梅雨雷

激しい雨と雷ですね。夏らしいといえば夏らしいです。
あちこちで祭りがあるというのに、露店は商売上がったりでしょう。

さて・・・・イイ季節になってきましたね。
FWDSのサマーキャンプでも、夜はこういう話で盛り上がるんでしょうか? 
ここはひとつ、軽い話を。 
   

日本の伝統芸能「雅楽」の演目のうち「舞うと死ぬ」と云われている秘曲があります。
「採桑老(さいそうろう)」です。それは不老不死の薬草を求めて山野をさまよう老人が、
逆に次第に老衰していく姿を模した舞です。
能の「翁」面の原形の思わせる老人面をかぶって踊る舞人は、
衰えていく老人の姿をうまく表していると云われてます。
腰に薬袋を下げ、鳩杖にすがり、介添え役の手で下まで支えられて舞台に登ったという。
    

そして何時の頃からか、この曲を舞うと3年以内に必ず死ぬという迷信が生じたそうです。
江戸時代、この曲の継承問題に際して刃傷沙汰が起きたのがその一因だと云われてたり、
また、途中で舞の途中で漢詩を唱える詠(えい)の中に不吉な部分があったからだとも伝えられています。
  

最近の記録では平成4年の四天王寺・聖霊会(しょうりょうえ)で270年ぶりに舞われたとのこと。
また、宮内庁式部職楽部有志で結成された雅楽団体「十二音会」によって2007年に正式に復曲されています。

   

別の話はまたの機会に。

人はGKと呼ぶ

世界のすばらしきGK特集。
  
 

GK-001 (Gottui Kaeru)

     
  
GK-002 (Gottu Kimotieewa)

時計仕掛けの大福

こいつ・・・・動くぞ?!

                                          

                                                 ※生き物です、念の為

                              

心の糧

先のブログに片山さんより有難いコメントを戴きましたので、
原文のままで転載させていただきました。

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マイケル・ジャクソンのもう一つの良い言葉…
あなたにとって成功とは… に応えて、

自分が成功したと思える程度に、人々も成功したと思ってくれる事。時として自分では失敗と思っても、人からは大成功と褒められるがうれしくない。自分では大成功と思っても、人からは然程の評価が得れない時も、うれしくない…

と言った内容のものでした〜。

後、ハープ奏者の第一人者、雨田先生が貴方からもミンナに是非伝えて下さいって言われてた、「歌やダンス」には力があるって話…。
彼によると、人間は、人らしきものになって、600万年!?と経つそうですが、実に人間が言葉らしきものを持ったのは、3-5万年前の事で、それまでは、歌ったり、踊ったりして、コミュニケーションしてたらしい。もしくは言葉らしきものは、当初は歌のような抑揚がついていたとも考えられている。歌と言うよりは、ターザンの雄叫びのようなものであったでしょう。うれしい時は、「ホッホッホッ」と言いながら、足を鳴らし、木を鳴らして、踊ったはず…。だから、言葉ってもどかしいもんなんだよ。人の存在時間のわりには、言葉はかなり後半に出てくる。それ以前は、ずっと、抑揚のある声をだし、踊っていたはず。だから歌やダンスには、言葉にならない、そのもどかしい感情を言い表す力がある。言わば、心の栄養なんだよ〜って。ボクは、現代人が、もっと良い音楽を聞いて、自分でも演奏して、歌って、踊れば、訳の分からない殺人やイジメはなくなると信じている…って、熱心に教えてくれました。
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混沌とする現代社会においては個性は時として不必要。あるいは誰かが作った「商品」であり、またマスコミのあてがいぶちに過ぎません。その中で、自己の表明活動として「表現」するからこそ、そしてその表現が他者によって「承認」されるからこそ、「今、そこにいる自分」を明確にできるのかもしれませんね。
   
   
  

1973年、中国青海省大通県出土の「原始舞踊紋 彩陶盆
推定年代は5000年前。

踊る時

スタジオライブが大盛況だったようで、そういう時こそ観に行けなくて残念でした。プロ科1年生の人たちも先のHHSCでは元気がありましたし。

片山さんのブログから引用ですが、
「・・・・歌やダンスには、それだけでは終わらない、何か人を感動させる力がある。元気をもらう事が出来るんですね…。何か人の心に入って行く、何か特別な力があるのではないでしょうか?」

私もそう思います。
洋の東西の違いはおくとして、近代に入って身体と精神を学問的に区別して捉える風潮が広まり、精神生活と舞踊は次第に切り離されていったように思います。しかし、宗教儀式や祭事においての舞、集落での集団での踊りなど、太古の昔から人々の生活の中にあり、人心を結びつけ、時に「神(あるいは精神の奥の奥)」に通じる重要な活動だったことは間違いないはずです。心理面で社会的な役割を担ってきたと言えるでしょう。

  

  

「踊る時に何を考えているのでしょうか」という問いに答えて曰く、

  

 踊る時に考えるのは最大のミス。
  感じることが大切なんだよ。
                     ━Michael Jackson

蝉の初鳴きを聞きました。

  

  

 

夏です。私は夏が好きです。
それもこの7月の、今まさに頂点へ向かう上り坂にあって現在進行形の盛夏が大好きです。8月になってしまうと、いくら暑くてもそれは下り坂にある残暑に過ぎません。翳りが見えてしまうのが何とはなしに寂しくなります。

 

日本人と欧米人では、虫や鳥の鳴き声、ひいては川のせせらぎなどの自然音に対する認識が違うという話を聞いたことはありませんか?
それらがただの雑音ではなく、鳴き声あるいは音色として認識できるのは特に日本人と古代ギリシャ人(?)が秀でているそうです。人間の右脳は音、左脳は言語。日本人は蝉や虫の音などは左脳で聞き、「ミーンミーン」「ホーホケキョ」といった言語として認識しますが、欧米人は右脳つまり雑音として認識するらしいのです。また、言葉や日本語独特の母音にも関係しているそうです。

鳴き声の美しい蛙を飼育するために「河鹿籠(かじかかご)」と呼ばれる専用容器が存在したり、野鳥を飼育し声の美しさを競わせる文化があったり、鈴虫に代表される様々な鳴虫の飼育法が昔から伝えられていたりしますように、音に対する感受性は「風情」あるいは「情趣」というようにも言い表されてますね。言葉的に理解しているということでしょう。

  

 

一方で、ダンスのレッスンでも「ここはサッと横を向く!」とか「脚はビュンと動かす!」とか、先生方がフリや動作の説明されているのを聞いたことがありませんか?
その「サッ」や「ビュン」こそが日本語の特徴である「オノマトペ」です。擬音語と擬態語の総称で、音の模倣によって物事や動作を命名したり、それによって言葉を作ったりすることをさします。状況や動作のニュアンスなどはほぼ問題なく伝わりますよね。

自然の音色を言語化して聞き分けることができ、また動作や状況を音で表すことが出来る日本人の中でも、関西人はとくにその傾向が特に強いみたいです(笑)

ちなみに、他言語では類したものがない最高傑作と呼ばれるオノマトペがあります。
無音状態をあらわす「シーン」だそうです。

黄色と黒のアレ

8日に開催された17th.HHSCも無事に終了したようで何よりでございます。片山さん、Mei主宰殿、スタッフの皆様、お疲れ様でした。今回はショーケース第一部・第二部ともに充実していましたね。初っ端からプロ科チームの勢いでテンションを上げ、歌とダンスを適度に挟み、(リハしか見てませんが)噂のPassionTime、世界最古の管楽器ディジュリドゥの音色、etcetc・・・良かったです。

しかし、出る前は何であんなに緊張するのか・・・。

     

    

さて、今回使用した「工事現場の棒」ですが、一部の皆さま方には非常にウケけていただいたようでありがとうございます。(※´∀`)

当初の予定は「モップ」でした。しかし、長い物(150㎝以上)が入手できず中止。他に「高枝切りバサミ」「虫捕り網」「鍬」「物干し竿」「測量棒」などの代替案を経て「工事現場の棒」に至りました。たまたまコーナンで安価で扱っていたおかげでもありますが。

今回はドラマチック(笑)に音に合わせてみようとチャレンジしました。ところが、テンポに合わせる事に夢中になりすぎてしまうと気が焦ってしまい、動きが力んで硬くなったり止まってしまったりして「形」としても「動き」としても意味をなさなくなってしまいます。力押し的な「厳つさ」を表現したかったわけではないので、そのあたりは失敗かもしれません。ちなみに、形の名称は「五郎棍」と云います。

服も工事現場の棒に合わせようとしたのですが、予算と時間の関係で予定通りに。

あれこれ考えるのは楽しいですが、本番が近づいてくるにつれ緊張感と不安感が高まってくるのは辛いですね。その分、終わった後の解放感ドップリが心地よかったです。

不思議やなはや深更になるままに。夜の燈火幽かなる。
光の中に人影の。あるかなきかに見え給うは。如何なる人にてましますぞ・・・

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魔除け