20th.FREE WAY DANCE FESTIBAL 第二幕

舞台吊物図(上から)
緞帳、中割、文字幕、大黒幕の幕類のバトン。ドロップや大道具など吊り込んで使用するバトン。照明用のバトンがあります。ほかにも音響反響板、スクリーンなどが吊物としてあります。バトンの本数は劇場によって違いがあります。

 

土方は醜悪な美と悪魔的な変身と嘲笑を引き連れて死者の屍衣をかぶって出現した。死の視点から肉体を観念したこの踊りは昭和元禄で浮かれている日本の首都に真っ赤に熱した太い杭を打ち込み、灰神楽の中で闇をばらまいたのである。(焼け落ちた橋)とは戦争の焼け跡で全身火傷をしながら天界と地界の間に立ち尽くしている人間のことである。天と地の架け橋が燃えているのだ。刻々と死につつある人間のことである。生きたい何としても生きのびたい。耐え忍ぶ痛みと汚らしさ、人間という条件や輪郭をすでに失っているのだ。焼け跡と狂気。

『舞踏譜考察』 和栗由紀夫 より引用

いわゆる「暗黒舞踏」。土方巽(ひじかたたつみ)なんて誰が知っていようか。スタジオで聞いたところで片山さんくらいしか知らないだろう。私もそこまではよく知らないし、そもそも(ライブで)見たことがない。父が「寺山修司」が好きだった関係でその手の本があったのが切っ掛けである。また、大学の時に知り合った知人がテント芝居やそのあたりの暗黒舞踏をギリギリライブで観た世代であったので耳学問として知っている。
私が観たのは土方巽の次世代である田中泯だ。

ダンスにおいて、健康な肉体の美と力の一致がお題目のようになっているのは間違いない。健康な肉体の美と力の一致。それについては異論は一切ない。だが、斜め上にあるものを見に行ってしまうのは私の癖なので気にしないで欲しい。こういうコトも知っておきたいのだ。また土方巽は「欲望のオブジェ、そういう技術を入れておく器が肉体である」と言いながらも「世界で一番遠いものが自分の肉体」という言葉も残している。

考えれば考えるほど分からない世界。非言語的表現に言語で挑もうとする愚かなるスタジオのドン・キホーテこそ私、そういう結論。先生だけが温かく見守ってくれる優しい世界(苦笑)。

3/11(日)本番当日

さて、発表会当日で最初に気になるコトがある。それは楽屋。狭いか広いか、舞台から遠いか近いか、モニターがあるかないか・・・。

12:00:出演者入り開始

今回は「和室」。舞台裏が地下2階に対して3階の和室。「おおぅ・・・」と呟いてしまった。
案の定モニターは無く、鏡もない。まったり感だけが有難い。

和室にはJAZZに出る人と一緒に一番乗り。張り紙をよく見ておらず
「和室ぶち抜きで全部使えるな~」と喜んでいたのもの束の間、女性陣が入ってきて「きちんと男性部屋と女性部屋を仕切って使うんですね・・・」と気づいて意気消沈。
到着してからの持ち物チェックが意外に大事なことは言うまでもない。

ぞくぞくと男性陣が入ってくるなり部屋の感じに微妙な顔をするのが少し面白い。

挨拶も兼ねて浅い会話を重ねる中、TAP最終レッスンで撮った「ソロパート@排莢バージョン」を皆に披露する。概ねウケが良い。なんで次元のチョイスなのかも実に理解と賛同が早い。女性陣はほとんどが「ルパンの曲なのになぜルパンでないのか?」「排莢?」という反応ばかりだったので実に愉しい。

リボルバーの排莢はロマン。ジャラっとな。

男のロマンは男にしか分からぬ。分からぬのだ(悲)。

1215:全体ミーティング
片山さんをはじめとした先生方、スタッフの皆さんとの、舞台前の最後の顔合わせであり、大体のスケジュールの流れを確認する(認識させる)大事な過程でもある。
不安にさせまいという心遣いが有難い。

いつも、だいたいの先生方が言う言葉は決まっている。ここまで来たらその言葉以外に何があろうか。言語表現の限界だ。それを信じるほかはない。そして信じるに値する言葉でもある。

1300:サウンドチェック
TAPグループの音チェックである。TAPマットが敷かれ、音や立ち位置などの確認をする。スタジオとは違うのでこちらも感覚を調整していかないといけない。

画像はイメージです

1315:フィナーレの稽古
全員がぞろぞろと舞台に集まってフィナーレの練習が開始。
トリである「JAZZ05」が終わった直後からフィナーレが始める。舞台裾からササッと出て、おおよその所定の位置に出る、というものである。あとはクラス紹介の時に各個が前に出て、2×8ほど踊るのだ。

私は今回は特に楽しみだ。私とは分からない仮装状態で別の出演クラス挨拶に出るのが楽しみで仕方がない。”次元”でJAZZをちょっとだけ踊れるのだ。JAZZクラスはタバコ強調で、TAPは拳銃持って出ようかな~なんて考えながらやっていた。

いつもながら和気あいあいとして、緊張感は良い意味でも悪い意味でも、無い。そう、「悪い意味でも、(緊張感が)無い」ことが・・・。

「・・・もっかいやりなおすでッッ!」と片山さんが声を出す。
全体的な雰囲気もさながら、立ち位置やフリがグダグダ気味。
「フィナーレだからこそしっかりと引き締めたいし、全員がそろえばもっと良くなる」

「先生方も立ち位置確認したって!」と激しく言葉が飛ぶ。

どちらかといえば本番のみに気が行ってしまっている出演者全員も、一気に身が引き締まるのが雰囲気で分かる。雑談の内容が立ち位置やフリの確認になる。
実際問題としてこうあらねばならないとは思う。楽しかった楽しかったばかりではダメなのだ。やはりそこは舞台。最後の最後まで「演じなければ」ならない。
舞台からはける瞬間まで、なのだから。

けっこう時間をかけて稽古が続く。我々は演者である。本番踊ってオシマイ、ではない。その再確認としては直々に指導を受けられた千載一遇の機会、ともいえる。

私としてもこのおかげで過去最高のフィナーレを迎えることができた。「仮装状態」、「ワンアクション」をプラスできたこと、振りもきっちり踊れたこと。やはり全員がしっかりできたからこそのものだと思うのだ。

1400:ゲネプロ開始

状況が開始される。

ここからが、早い・・・・・!

 

 

20th.FREE WAY DANCE FESTIBAL 第一幕

舞台構造

 

「一番良い映画は一番新しい映画です。
あなたのような若い人がそんなこと仰っちゃダメよ」

淀川長治

 

「FREE WAY DANCE FESTIBAL」。
フリーウェイダンスフェスティバルの良いところは、常に新しいことだ。
一番良いフェスティバルは一番新しいフェスティバルだ。

発表会当日が終わって、寝て起きて次の日の朝になって、仕事が終わってスタジオに行けば、とっくに過去の遺物だ。スタジオでも誰一人、ろくに覚えちゃいない。あの時は・・・この時に・・・決してふりかえらない。

思い出に誰一人、浸っていない。

それでいい。

だから常に新しく、また限りなく若い。

映画を観ることは娯楽ではありません。映画は人生の教科書。人間勉強の場なんです。
〈中略〉
だから、わたしは一週間に一回ぐらいは映画を観に行ってほしいと思っています。
なぜ、観て欲しいのか。
それは映画は現代の教室。”今日のもの”だからなんです。どんな作品でも現代とともに生きているんですね。人間関係の葛藤、生活の匂い、風俗などが今の感覚で描かれていますね。
ですから、昔の名作をごらんになり勉強なさるのもいいでしょうけれど、新しい作品をどんどん観てほしいんです。
 〈中略〉
今、世界の人間がなにを考えているのか。映画はわたしたちにそれを教えてくれているんですね。
そんなわけで、みなさんも面倒くさがらないで、新しい映画をどんどん観て、ご自分の栄養にしてほしいと思います。

淀川長治 『日々快楽』

 

発表会は「発表会」に過ぎない。映画と違って人生の教科書とか人間勉強の場とか、そこまで言うつもりはない。しかし「今日のもの」というのは賛成だ。

栄養にはならないかもしれないが、教養にはなるだろう。生きて動いている「舞台裏」を知ることが出来る。あなたがどれだけ緊張しようが舞台はあなた以外の多くの人によって進行していく。
どういう想いがあれ、「真実」はその人の立場によって複数存在する。しかし「舞台」は「事実」であり、始まってしまったら、それ1つしかないのである。

 

カール・ラガーフェルド(1933~)
「シャネル」のアーティスティック・ディレクター
自身の名を冠する「カール・ラガーフェルド」の元締めでもある。

「私は過去に価値を見い出しません。行動に移す前に考えることが必要だと思っています。過去についてメモをとる必要はないし、過去に成功した誰かについて知りたいと思うこともありません」。

「私は『シャネル』や『フェンディ』のアーカイブを詳しく調べたことは一度もありません。それは、私にとって不健全なことなのです。でも他の人たちにとってはそれが面白いのは理解できますよ」

http://www.afpbb.com/articles/-/3047039
2015年のインタビューより抜粋

では、明日、舞台で遇いましょう

 

There are more things in heaven and earth,Horatio Than are dreamt of in your philosophy.

「ホレイショー、天と地の間にはお前の哲学などには思いもよらぬ出来事があるのだ」

『ハムレット』第1幕第5場より

 

思いもよらぬは舞台なりけり。

終ったところで後にも先にも何も残らない。断片的な記憶と、舞台に出たんじゃないかな?というかすかな感触だけが脳裏をさまよっている。

今日の、何年かぶりの「場当たり」を観ていて、皆はどうして発表会に出るのだろう?と今更ながらに思いを巡らせた。意外に若い子の方がそこまで考えていない。シンプルだ。逆に、年寄りの方が意義だの意味だのを必死で見出そうとするのだろう。

まして、哲学など思いもよらぬ出来事がある。

久々に舞台に立ってつい浮足だってしまったのか、場当たりが終わったら階段から降りずについ舞台からピョンと飛び降りてしまった。明日はここで本番をやる身としては、随分とはしたないことをしたものだ。

 

そうそう。締めのフィナーレにそなえて皆が舞台裾に集まって待機するのだが、その時に最後の演目であるJAZZ5を観る。(オンステージなので当然だが)誰も言葉を交わさない。この時の光景と皆の顔は、美しくもあり、切なくもあり・・・。

砂時計の、砂が落ち尽すあの刹那にも似た空気は言い尽くせない。落ちていく砂粒を惜しむようにそのひとつひとつが見えそうなほど心が研ぎ澄まされている。
けれども、「もう終わる」という過ぎ行く時間を押し留めることが出来ないその無力さも感じている。

では、明日。
足を運んでくださる見知らぬ多くの人々へ、舞台で遇いましょう。

 

 

ファイナルステージ そして本番へ

20th.FWDF(フリーウェイダンスフェスティバル)まであと4日。

今日は遅れながらの「おついたち参り」。朝からスーツを着て、お酒を買いに行ってから参拝。普通の日でしたが、神職さんと私の都合で祈祷の予約がこの日しかなかったのです。

『「白山比咩神社」のおついたちまいり』より

 

本日の奉納のお酒「ロ万(ろまん)」会津のお酒です。いくつかシリーズがあります。
前回、店で店主が別のお客さんからの電話の問い合わせでこの酒の名前を口にしていたのを覚えていました。奉納用と自宅の神棚用の量り売りの物を購入。

神棚にお供えしたのを下げて晩御飯の時にいただきましたが、実に美味い。濃厚な感じでかつ甘口タイプ。それでいて引き締まっている。オリーブオイルをつけたパンにもシチューにもハンバーグにも合う。これはたまらない味わいでした。
お酒はそこまで強くなくて、疲れや体調次第によってはあっという間に寝落ち必至。そうなると何もできなくなってしまうので、そう気軽に飲めないのが困ります。月に一回のお供えで余ってくるのですから消費ペースはかなり遅いです。

参拝後は時間があったので作法の簡単なレクチャー。ついでに神職さんと長話をさせてもらいましたが「作法のための作法であってはならない」と。やはり大神様への気持ちが最たる物であり、形として「深い礼が3秒」といっても心中で数えているようではそれはむしろ良くない、ということです。また、これみよがしに「出来る事」をひけらかすのもまた宜しくないのです。

「自己の顕示に陥るべからず」ということで、それはダンスにも似たようなことが言えると思います。発表会においても自分のためではなく、見に来てくれる人のために一所懸命になることが肝要である、そういった神意かもしれませんね。もちろんフリーウェイの片山さんも「自分のためにかっこつけて踊らんといて。見に来てくれるお客さんのために踊って」とおっしゃっていたのも記憶に残っています。

「躍動感」こそがJAZZ
どこで切り取っても、それはJAZZ

 

火曜に「BASIC-JAZZ」がファイナルを迎え、あとは発表会を残すのみとなりました。随分とブランクがあったJAZZ。何年振りの発表会か・・・という感慨も束の間、振りはなかなか覚えられないわ、動きが決まらないわ、大変でした。先生やクラスの皆のお陰でそれなりに形になってきたかとは思いますが、表情の固さはなかな取れませんね。久々のJAZZの舞台、意気高く臨むつもりです。

TAPも金曜にファイナルですが、コスプレ・仮装はやはり余計な神経を使うのか、けっこう疲れます。ガン・プレイとTAPは難しかった・・・。完全仮装もガン・プレイ私が望んだこととはいえ、ちょっとだけ後悔(苦笑)。脳のメモリーが足らなさ過ぎます。
キャラの、それっぽい動きを心掛ける。帽子を目深に被るので視界不良。煙草をくわえます。拳銃を抜きます。拳銃を回します(ガンプレイ)。TAPなので音が鳴っているか気になります。なので、気を回すところが倍以上なのです。
念のためと言う事で、予備のヒゲと接着剤も購入し、こちらも万全の態勢で臨みます。

発表会が近づいてくると、「来るべき時が来た」って感じは、これはいつも通りですね。初めて参加するわけではありませんが、不安と焦燥感に駆られながらのレッスンであっても、いつもいつもファイナルまでには何とかなってしまうのがフリーウェイのスゴイところ。

 

「ゴールデンカムイ」野田サトル@週刊ヤングジャンプ より
江戸貝くんと鶴見中尉

ほんとにこれっくらいの笑顔で舞台に立たないといけません。
イヤホントに。

体感温度

発表会へのカウントダウンも始まった3月。18日を過ぎてホッとしたのか、ちょっと疲れが出てきましたね。早く寝ることで対処していました。

今日は随分と暖かくなってきました。それでも夕方になれば寒く感じます。真冬は「寒い」という点で気温が安定していますが、冬も終わりかけになると季節変化のため気候が不順であり、体調を崩しやすいのもまた事実。温度の上下は人体に影響を及ぼしやすいのです。

ペットショップで飼育説明をしていると、「温度(とその変化)」というものについてかなり鈍感な人が多いと感じています。老若男女関係ありません。無理からぬこととはいえ、温度に対して「自分基準」で考えてしまうせいもあるのです。
(結局、誰しも自分が暑いか寒いかが最大の判断基準ですからね)

熱帯魚は水槽の水量に応じたヒーター一本で事足りるので楽ですが、小動物はそうはいきません。環境要因が大きく絡んできます。

小動物は身体が小さいので、特に寒さに弱いのです。人間に比べて体積が小さい分、熱があっという間に奪われるので体力の消耗が激しく、一晩で死ぬ、体調を崩すことも珍しくありません。

人間基準で考えると十分暖かくても小動物には寒かったりすることもざらにあります。

そもそもペットショップのスタッフ自体、動物の飼育だけでなく、野外活動(釣り、採集、登山等)なども経験があるので温度に対する知識や経験、危険性を一般人よりも把握しているのですが、それを経験のない人、受け皿の無い人に説明するのは大変です。

魚にしても動物にしてもそれらが寒さで動きが鈍っていることすら気づかない人もいますからね・・・。

 

人が暑いと感じたり、涼しいと感じたりするのは、温度のみに原因があると誤解されがちですが、その時の温度=体感温度ではないのです。体感温度は、気温だけに影響を受けるわけではなく、特に室内であれば身の回りの物体から放出される輻射熱(赤外線)によっても大きく変化します。 例えば、太陽が照りつける真夏日に木陰に避難すると、気温は日なたと同じであるにも関わらず涼しく感じます。これは太陽の輻射熱を直接浴びずに済むことで、体感温度が下がるためです。

同じ温度でも、特に「寒さ」が変わるのが体感温度です。

「寒さの質」というのがあり、寒さを覚える要因はその時の温度だけではありません。寒さは、「風が強い」「空気自体が冷たい」「日差しが無い」という3つのタイプに分かれます。

まず、風の強弱で体感温度が変わってきます。風速1メートルで体感温度が1度下がるといわれています。

続いて、「空気が冷え切った寒さ」です。これはいわゆる「底冷え」です。これは天候からの判断になります。晴れて風が弱い夜は、「放射冷却」が強まって気温がグッと下がります。放射冷却とは、地表面の熱が放射によって奪われ気温が下がる現象です。
当然家屋の壁や屋根などからも熱が奪われますので、室内であってもどんどん冷え込んできます。

最後は「日差しが無い寒さ」。底冷えの日よりも朝の冷え込みがマシなのでつい油断してしまいますが、昼間も気温は横ばい。朝よりも寒くなったように感じます。加えて雨や雪が降り出せば、気温自体も下がることが多く、手足が震えてしまうことも珍しくありません。

 

ダンスでも、体幹はわりと温かくなっても足元が冷えたままというのはよくあります。太極拳や気功などでも下肢には気が届きにくいのです。
(膝から下は血行促進の具合を体感出来ないと言いますか)

というわけで職場でもスタジオでもこっそりレッグウォーマーは冬場はほとんど身に着けてます。(特に職場では水を触るので熱が奪われやすい為)

 

発表会の「ルビコン川」 テクニカルリハーサル終了 

2/18。
20th:フリーウェイダンスフェスティバルに向けてのテクニカルリハーサルが終了しました。先生方、スタッフの皆さん、舞台関係の皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。

 

テクリハ(総見)はある意味の「ルビコン川」すなわち「帰還不能点」であります。その点を越えると引き返すことが許されず、変更不能の状況に身をおくことになり、物理的に後戻りできない一線を意味します。

(冗談じゃなくて、本当に先生が許してくれない)

衣装も振り付けも位置移動も、およそ一切の変更が認められない。そういうポイントなのです。そういう意味では緊張します。決定稿を出す、そんな感じですね。

「ルビコン川」。この表現は紀元前49 年にジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が当時イタリアとゴールの古くからの国境であったルビコン川を渡ったことに由来します。ローマ内戦において元老院の命に背いたジュリアス・シーザーが軍を率いてこの川を渡りました。この際に「賽は投げられた」と述べたことも有名です。

 

テクリハの前に撮影がありまして、順次、クラスごとに撮っていきます。私の場合はちょっとばかり仮装なので、どうも緊張する。そう、何故なら化ける前と後を見られてしまうので、「中の人」にとっては少々気恥ずかしいものがあります。

ちょっと早めに入って衣装の仕度。衣装に慣らさないといけないのでいつまでも更衣室に引きこもっているわけにもいかず、3階のロビーで休憩。

キッズの子たちがヒソヒソヒソヒソ。
「・・・次元かな?・・・マイケルかな?」
「聞いてみたら?」「やだよ~」

( ´;ω;’)ぜんぶ聞こえているんですけど?!(泣)

今さら「次元だよッ!」とは答えられず、黙ってスマホを眺めるのみ。ああ、クオリティがこんなものか・・・。こどもは正直です。

ウィッグがちょっとウェーブが強すぎるんだけど、ほかに無かったんですよねぇ・・・・。

モヤモヤしているうちにチャイナドレスの不二子ちゃん登場。個人的にはサブマシンガンを持って欲しかったですねぇ。

撮影開始。
私は「次元」なのでそこまで目立つ必要がありません。新聞を読んでいる感じで顔もディティールもそこまで明確にしないコンセプト。不二子ちゃんは思いっきり目立っていただく。・・・あっという間に終了。

 

私はいったん帰宅し、仮眠。脳内リセット。

 

再びスタジオに戻り、リハの準備をします。
1人のメンズがなんと見事な装飾をされた衣装を着ている・・・! バレエに出るそうですが、間に合わせでもない、コスプレでもない、明らかな舞台用の本格的な衣装。重厚感が違う。

こういう出来栄えの見事な本気の衣装を見ると心が躍ります。

 ナポレオン時代の軍服。こういうのが着たい。

 

ハンガリー騎兵の大礼服。こういうのでJAZZを・・・。

 

さて、フリーウェイの発表会なのですが、だいたいその年によって衣装に流行りがあります。ベストだったり、ベアトップだったり、いろいろありますが、今回は「上下揃いのスーツ」。昔なら見向きもされなかったのにな~・・・・・と、自称「スーツ先駆者」のわたしが呟いております(笑)。TAPの衣装がスーツなので被るのがヤダなぁ・・・と本音もついつい(爆)。

ある意味のおいて、舞台衣装についてはステレオタイプな面があるのは否めません。
衣装における選択・・・・・・みな、どういう想いで選んでいるんだろうか?というのは気になるところです。

私自身のチョイスが普通の人なら選ばないところからスタートしているので、そのあたりはまったく意見が食い違うことは日常茶飯事。

ただ、静的で近距離のコスプレや変装と、動的で遠距離(+照明効果)のある舞台とでは衣装の観点・意図が異なる点もあります。私はどうしても前者の立場なので、そのあたりの修正は随分と時間がかかりました。

そういう点もあり、先述のみごとな出来栄えの衣装は、衣服としてもファッション性、質感、近距離でも遠距離でも、縫製や裁断においても完成度の高さを目の当たりにし、少しばかり感動した次第です。

もちろん明治期の日本軍の軍服(礼服)でも私は構わない。

 

話を戻しますが、単純な緊張なら1回目、2回目の方が高いと思います。さすがに3回目ともなればそのあたりは緩和しますが、テクリハがひとつの「決定」であることを踏まえると、これでよいのだろうか? という逡巡めいた緊張感は漂っています。

練習期間はこれで終わり、あとは仕上げ。迫りくる本番。誰もが「解放」と「終わり」を感じるのです。振り返ってわかる練習期間の楽しさ。

結果よりも過程だったのかな?と。

早着替え失敗

2/14はバレンタインデーです。
世間の「風潮」なんて気にしないで、普段通り過ごしましょう。 過ごしましょう・・・。

 

出典 藍にいなさんのツイッターより

 

さて、BASIC-JAZZではテクリハ前の最後のレッスン。衣装フル装備でやりましたが、早替わりを失敗。替わることに集中しすぎて、2曲目の出だしが遅れたり忘れたり。

あ、

としみ先生「あ”~~~ッ!!!」

 

あと2秒欲しい(笑)。

・帽子を取る
・隠したネクタイを出す

・・・という2動作(+後退して反対向き)があり、帽子は片手でいけるけれどネクタイがどうしても両手が必要なので、ここで遅れが生じます。

右手で帽子を取りつつ、左手でシャツの前をはだける。その後、左手でフォローしつつ、右手でネクタイを引っ張り出す。こういう手順を踏みたいのですがそこは練習あるのみでして。あるいは、帽子を後回しにして先にネクタイ出し。最後に帽子は跳ね飛ばせば何とかなるのではないかと。

カッターシャツのボタンをまだマジックテープにしていなかったので、これを改造すればもう少し余裕が出ると思います。

あとは、1曲目の最後のポーズを脱衣の準備にする。襟元や帽子に手をやる、そんなポーズに変更しようとかと思ってます。

 

本番やリハはもちろんですが、こうして初めて衣装を揃えてのレッスンって結構緊張するんですよね。試運転だしお披露目でもあるし、なかなか言葉にしにくいもどかしさがあります。

 

バレンタインデーでがんばる乙女も、発表会に向けて励む人も、プロを目指しているダンサーも、

他所、他人の中には、自分の理想は決して存在しないのです。

なにこの一週間?

今日は建国記念日。久々の休みです。どこにも出ないで引きこもっておりました。パソコンも観てるとちょっと目がイタイ。以前に比べると眼精疲労から風邪を引くことが増えました。

紀元前660年2月11日の今日、大和に神武天皇が即位したとされる日です。
戦前は紀元節と称した、「日本国」の誕生した建国の記念日です。
どこの国でも建国の日を国家行事でお祝いすることは普通のことなんですけど、まぁ平和と言えば平和なんですかね。
(もっともほとんどの国は独立記念日や革命記念日)

 

先日、節分(2/3)の参拝・祈祷を済ませて、立春。これから新年!

日曜日(2/4)、いきなり店長がインフルエンザで戦線離脱。金曜(2/2)くらいに「やばいかな~」とは言っていたのですが、杞憂が現実に。職場が厳戒態勢に突入。

 

仕事も発表会もあるので、休めない。ましてインフル疑惑があるのでうっかり無理をすることもできない。

残存戦力を結集させて店長が戦線復帰するまで持ちこたえなくてはならない(泣笑)。
手洗いうがいは必須。マスクは常時装着。乾燥を防ぐために水分をきっちり摂り、睡眠不足は禁物。食べすぎも避けるべし。

食べ過ぎが良くないというのは、食べたものを「消化する」ことは意外にエネルギーが要るのです。なので、どうしてもどこかに負担がかかってしまう。それが体調が傾きかけの時だと悪化の助長にもなりかねないのです。そうそう、コーヒーやジュースは水分にならないことも付け加えておきます。

 

こちらも体調が悪化しましたが、なんとかインフルエンザにならずに済みました。久々の7連勤。休めないレッスンもあったのでなかなか大変でしたが、一段落ということで。

というところで、JAZZの方はひとまず衣装は問題無し。あとはソロの動きをまとめないといけません。ソロでウケ狙いのためにちょこっと「にゃんこスター」のあの動きを入れたいと提案するも先生に「却下(怒)」。
冗談です、冗談ですからすみませんっ!

TAPの方は初めての完全装備での慣熟訓練(慣らし運転)。
スーツ上下、カッターシャツ、ネクタイとネクタイピン、つけヒゲ、かつら、ホルスター、煙草と銃、帽子。思いのほか動きが悪くなりました。

つけヒゲ(の接着剤)とくわえ煙草で口周りに気を取られているせいですかね。

舞台上での見映えも先生や他の皆さんに検証してもらいましたが特に問題なしというところで、一安心。これでウィッグ3個目を買わずに済みました。

変装に近い着替えですが、最低でもパンフ撮影+テクリハ+ゲネ+本番で4回着替えないといけない訳です。加えてレッスンも慣らし運転のために装着した方が良いので、6~8回は着替えることになるかな。とすると、ヒゲと接着剤の予備が要るかもしれません。ヒゲがパーティグッズのオモチャなので耐久力に不安があります。

 

立春 春来にけらし

1月1日は新暦の正月で、社会通念上の新年。12/23は冬至明けで、22日の冬至は夜が長く昼がもっとも短いという陰の極み。だからこそその次の日は陽の出発点でもあり、太陽の誕生日。これもまた新年。そして「節分」。

節分(せつぶん)とは季節の節目を意味します。立春・立夏・立秋・立冬と年に4回も日本にはあります。季節の「始まり」を意味する節目が4回も・・・。 とりわけ春の始まりなので、2月の節分に重きをおくのです。

2/3の節分。この日は厄除け祈願を済ませてまいりました。「おついたち参り」も兼ねているのですが、一年の感謝を奉る日でもあります。ちょうど一年前、本厄の厄除け祈願に参じ、そして今ここに再び参拝しに来ているという・・・感慨深いものです。拝殿に上がり、神前にて座る。ただそれだけのことがいつもにまして有難いのです。
(我ながら年を取ったという事ですかね)

厄除け祈願ではありますが、心情的には神恩感謝です。ただ「厄除け祈願」としておいた方が神職さんにも話が早いのでそうしています。

未来を憂えず、過去を悔やまず。高きを羨まず、低きに卑屈にならず。中庸。今、ここに在る。今がよければ未来は希望に満ち、過去は良い思い出にもなります。しかし、今が悪ければ未来に絶望し過去を後悔するだけです。

節分過ぎての今年の言葉は、

「有漏時(うろじ)より無漏時(むろじ)に帰る一休み

雨降れば降れ 風吹けば吹け」
一休宗純

でしょうかね。

厄年は「役に立つ年」ともいうので、ある意味、後厄のこの一年しか後にも先にもないのです。思い切り体験してみる意気込みです。

 

さて、今回ばかりは作法に捉われることなく「お気持ち」が体現できたのではないかなぁ・・・と我ながら思いますが、神職さんの反応を見るに遠からずかな、と。
作法については時折神職さんに指摘してもらうことあるので、よく形に捉われているとは言われてますね。
※私が好き好んで玉串などの「神前作法」を独学したり教えてもらったりしただけなので、普通、神職さんがそこまで指摘することはありませんのでご心配なく。

 

「節分」。この節目を境に、世界も日本もこれから大きく変わっていくと思います。
静かに、それでいて確実に動く、そういうことを心がけていきたいと思いますね。

拳銃の所作

 

さて、今回の発表会(TAPクラス)で拳銃をアクセサリーとして使うにあたり、独学ではありますが基本を勉強しました。それだけではなく導入に当たって様々な試行をしました。

拳銃の所作といっても誰も興味を持たないでしょう。そりゃダンスと関係ありませんからね。

大きく分けてこんな感じです。

・拳銃操作の基本(実射に基づく現実の動き)
・拳銃操作の応用(ダンス的・パフォーマンス的な動き、見せ方)
・拳銃操作の応用2(”ガンプレイ”の練習とどこまで組み込めるか)
・拳銃の選択(演じるキャラクターに準拠・市販のモノを探す)
・拳銃の装着(ホルスターの選択と実際に動いてみての試行錯誤)

「武器の扱い方」については太極拳などで多少経験があるのでそれが役に立ちました。剣でも棒でもハンガーでも(笑)、基本を書いてしまうと「得物に逆らわない。得物の行きたいところに行く。動きを助けてあげる」ことです。

いつの時代でも、銃やメカに興味が在るのは男だけで、女性は「しー・・・ん・・」ですねぇ

 

さて、銃の所作は「取り出す、構える、撃つ」の3拍子ですが、無論それだけではありません。

それならば拳銃の基本とは何か?

「自分を撃たない事」

何を当たり前のことを言ってるんだ?とツッコミがあるのは分かります。ただ、これがもう基本中の基本。

「撃つわけない」と思いますが、ところが撃ってしまうんです、自分を。

出した時に銃口が身体に向いていて、引き金に指がひっかかって暴発。
構えた時に前に左手があった。気付かずに撃ってしまった。
下向けた時に引き金がひっかかり足を撃った。

・・・などなど様々なケースがありますが、ほとんどは意図しない事故によるものです。そして銃の特性によるものです。引き金を引けば、弾が出る。その先に自分の身体があった、と。撃ってからでは遅いのです。

「自分を撃たないこと」という基本。もちろんオモチャの拳銃です。まかり間違ってもケガする事すらない。そのあたりの「リアル」をダンスに持ち込むことには意味があるのか無いのか・・・。自問自答はしましたが、結論はご覧のとおりです(笑)。

 

拳銃の基本的な姿勢 (参考画像 お借りしました)
人体の水平・垂直方向が大事です。

 

ということで、拳銃のすべての動作が「自分を撃たない事」に基づいて行われるわけです。私が鳩尾に手を添えて、ネチ~と拳銃をホルスターから取り出す動作はその一環です。ホルスターから抜いて構えて撃つ、基本動作です。知らない人から見れば奇妙に見えるんじゃないだろうか?(汗)と。

バッと抜いてとにかく撃つことも大事だとは思いますが、また同時に「拳銃を撃つまでの積み重ね」が肝要なのです。

銃そのものを扱えるか、弾は入っているか。状況はどうなのか、緊急事態ならすぐに出した方がいいのか、交渉ならばそもそも出すことを選択肢に入れるのか。どうやって取り出すか、いつ取り出すか、どう構えるか、拳銃を奪われない距離を取っているか・・・・・・。撃つことはそれまでの積み重ねの帰結です。
ダンスと直接的には関係ありません。それでも概念として頭の片隅に置いております。役に立つのか立たないのか(笑)。

左手の銃口が下がってますよっ

 

発表会に出場決定した早い段階でTAPクラスでは拳銃を装着してレッスンに出ていました。新しい重心を身体に覚えさせるためです。そしてTAPの合間に拳銃の取り出しと構え、収納の練習。 ちょっと特殊なアクセサリーとかアイテムの類は重心が違ってくるのでしっかり体に覚えさせておかないのですが、ただのカッコ付けに思われたんじゃないでしょうか(苦笑)。

 

また、拳銃は筋肉では支えません。骨格で支えます。筋肉で支えると疲労することと、どうしても細かい震えが出るので照準がブレるからです。

とうぜん体幹も大事です。拳銃は火薬の爆発力で弾丸を飛ばす構造上、ものすごい衝撃が発生します。それを受け止めて逃がさないといけない。力で抑え込むことは不可能です。もっとも日本では実射できるところが無いのであくまでも想定として組み込んでおります。

持ち方(手の内)もかなり大事な要素で、私は引き金を引く事ばかりに気が行っていたので手首が内に曲がってしまうのです。実際は人差し指と親指の付け根の柔らかい部分でしっかりと銃を受け止める形にするのが大事で、人差し指は優位にならないのです。強いて言うならば親指が優位になります。感覚的には人差し指と親指の先を合わせる感じに近いでしょうか。

そうすると引き金に指が届かない?だったら別の銃にすることだ。・・・なので、自分に合った銃を探すというのが実はけっこう大事だったりするんです。

 

ひとつ加えておきたかったのが狙いをつけて的に当てる感覚です。しかし日本では難しい。サバイバルゲームかそれともシューティングBARか・・・それでもBB弾が限界です。火薬の爆発は体感できません。狙って撃つ威力だけなら弓もなかなかのものですが、そう簡単に体験もできませんし素人ではまず当たりません。

そこで即戦性を優先し、一日講習に行ったのが「手裏剣術」。
手裏剣と言っても棒手裏剣です。細長いナイフみたいなものだったり、釘みたいなものだったりする鉄の塊です。それを打つのです。

このお話はまたの講釈で。