19th. FREE WAY DANCE FESTIVAL

 

きのう いらっしってください。

きのうの今ごろいらっしってください。

そして昨日の顔にお逢いください、

わたくしは何時も昨日の中にいますから。

きのうのいまごろなら、

あなたは何でもお出来になった筈(はず)です。

けれども行停(いきどま)りになったきょうも

あすもあさっても

あなたにはもう何も用意してはございません。

どうぞ きのうに逆戻りしてください。

きのういらっしってください。

昨日へのみちはご存じの筈(はず)です、

昨日の中でどうどう廻りなさいませ。

その突き当りに立っていらっしゃい。

突き当りが開くまで立っていてください。
威張れるものなら威張って立ってください。

 

                     室生犀星

 

かくして、「フリーウェイダンスフェスティバル 2017」。

 

さて、いきなりですが・・・・。
大トリの「JAZZ-05」しかあんまり記憶残ってないです・・・。
今回のは、ここ最近では傑出しているのではないでしょうか。

「おや、珍しく『ジブリ』を持ってきたね? ふふん」と思っていたらトンデモナイ。

曲に対して、動きや表現の情報量の詰込みがすごすぎて、それでいて破綻をきたしていない。
なんという密度の高さだろうか・・・・。もちろんToshimi先生の手腕もさることながら、その要求に対して答えられているクラスの人もすごい。もちろん舞台上の光などの演出も素晴らしいものがありました。

 

 

ましてジブリ。いやいや、まさかの「アシタカせっ記」をもってくるとは。
普通はもってこない。踊るのには難しすぎるでしょう、これは。
どちらかといえばコンテンポラリー的なノリがあります。
それを見事な正統派ジャズで仕上げてしまうという・・・・・。
あの有名なオープニングの低音のシーン。
これから舞台でどういう展開になるのか、久しぶりにワクワクさせられました。

音に対して「無我」であるとは言い切れないが、脱俗超世・・・・ライブで観るからこそのモノ。
改めて知る、我を出す無意味さを。

「ワレを見よ、ワレを見よ。」

そんなもの、飾りにもならんのです。

うーむ、素人っぽくて申し訳ないですが、「凄いなぁ・・・」としか言えません。

実は私、今回初めての「遅刻」でして、たまたま休憩時間に入ることが出来ました。
なんとかTAPはギリギリ間に合ってセーフ。
慌ててチケットの半券を切ってもらうのを忘れてました。

ということで、ドエライ遅刻の上に大トリのJAZZ05に個人的な賞を総ナメされているので記憶内容的にはすごく薄いですが、いちおう印象に残っているトコだけ書いておきます。

えーと、私ごときが超絶「上から目線」でたいへん失礼いたしますが、今回の「ナンバー1」ドレッサー大賞は該当ナシでございます。

前半を全く見ていないので公平性の欠片もないのですが、全体的に手堅くいきすぎて「冒険心」に欠けたところが残念でした。
個性に走り過ぎるのを恐れた感じでしょうか。
思い切りがないので、そこはズバッとした大胆な切れ味が欲しかったですね。

TAP(adv.)は今回はシンプル。変化球なしの正攻法できましたね。
さすが上のクラスと言ったところです。

TAP(beg.)はやはりお盆の音がインパクトありました。
最後列の席まで聞こえていましたよ。私もクラスに出ていただけに感慨深いものがあります。
やや緊張気味だったのが惜しかったでしょうか。

その構成がいたく気にいってしまったのがStylishBallet(inter.)です。
やはり耳目を集めるのは2曲目でしたが、その構成というか、妙にハマるんですよね。
ややもすれば機械的な位置取りというかなんというか。

HOUSE(NAS)&(YUJI)。
HOUSEは未経験ながら、見ていてちょっとやってみたくなったのは今回が初めて。
その動き、果たしてどういう身体操作なのか? 興味が湧きました。

Hiphop(BON)の出場者はなんと2人ですか。
私も昔、2人や3人だったことがありましたが、このハートの強さはすごいです。
2人だと舞台が広い広い・・・・・・。

臆することなくBON先生の世界観を体現していく様は観ていて心が奮い立ちます。

 

そしてJAZZ-05を経て、フィナーレ。
解放感と達成感に満ち溢れたひと時。

見事だった、頑張った、やり遂げた、・・・etc、万感の思いが舞台にも客席にも満ち溢れる瞬間でもあります。

言葉を超えて調和できる、深い深い感覚の世界。連帯感や一体感、カタルシスの形成。
いつでもここは変わらないのです。

 

 

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

                茨木のり子 

 

建国記念の日

本日は建国記念の日です。
テレビではバレンタインの事しかやっておりませんが、建国を記念する日です。
特集を組んでもおかしくないのですがね。

この日は日本の建国神話をもとに建国を祝う日として定められました。
日本神話の登場人物であり、古事記や日本書紀に初代天皇とされる「神武天皇」が即位した日が2677年前の今日。

 

 

 

世界的には『建国』ともなれば盛況に周知すべきことです。語弊はありますが、建国の年月の浅い国である程、その国の成り立ちについての記憶が新しいから尚の事一層尊ぼうという意識はあるようです。

世界的にみれば「建国」を気にしない民族の方が圧倒的に少数派という・・・・・・日本は平和であり、かつ恵まれすぎているのです。高度な文明文化を持ち、世界的に見ても類稀で、皇室は世界でもトップクラスに永い。
スマホを観ながら夜の一人歩き可能なんて時点でおかしいくらい。

面白いところでは、虫や鳥の声を音楽として鑑賞することができる脳構造を持ちます。

また、日本独特の「わび・さび」も情緒では無く、論理的に判断をしているのです。

 

 

思うのは、生まれた時どころか、生まれる前から「国」がそれはもう永らく存在しているという感慨。妙な書き方になりますが、何とも言えぬ不思議さを感じます。

 

「いつでもある、当たり前にある」
先人のお陰ということを忘れてはいけないです。

 

 

 

アリの砦

暦の上ではすでに春ですが、名ばかりの寒さですね。

発表会も近づいてまいりました。なんともジリジリする頃だと思います(笑)。

さて、いつかのブログに書きました「魔玉(まぎょく)」。多肉植物ですね。
その怪異な見た目、妙な名前に惹かれて購入しました。現在、3鉢目。何とか維持しております。

これはどこぞからの借り物の画像。
ここまで良い形のものはなかなか入手できません。

 

冬に成長するということですが、それでもあまり水をやってはいけないようです。

 

魔玉に続きまして新たに入手したのがタイトルにもありますように「アリノトリデ」。

ありのとりで?

そう、アリの砦ですね。なんでも『アリ植物』というグループだそうで、アリと共生して生育する植物群です。特定の分類ではなく様々な分類群に点在します。種子植物だけではなくシダ植物にもそういうタイプが含まれると言う事ですね。

植物体の一部にアリが巣として使える空洞を持つことが特徴です。形状や位置は多様で、葉などが巻き込むようにして部屋を作るもの、茎や根茎内部に空洞を形成するものなどがあります。

 

今回入手したのはこちら。

アリノトリデ Myrmecodia beccarii (ミルメコディア ベッカリー)

砦ですよ、砦。出城みたいなものですが、このトゲトゲが良いですね。
ここからアリがぞろぞろ出てくるのを想像すると、少々コワイものがあります(笑)。

外に置いておくとそこいらのアリでも住み着くそうで、暖かくなっても外にはおけませんね。

 

 

野生の状態

着生植物らしく、根はそんなに張りません。
木の上の方にくっついて生活しているようで、そこそこ通気性がいるとのこと。
水は与え過ぎず、やらなさ過ぎずだったかな。

 

もともと栽培は得意ではありませんし、そこまで植物にハマっているわけではありませんが、ちょっと変わったモノはちょいちょいチェックしています。

 

「恵方巻」ならぬ「縁起悪い巻」

そうでなければ「違法巻」ですわ。

 

立春です。暦の上では春であり、新年であり、申から酉へと変わります。

2/3は節分・土用明け(冬から春への過渡期が済む)・旧暦の人日の節供
旧暦の七草・大晦日・・・と忙しいですね。
「節分」といっても本来的には季節の変わり目であり、とうぜん夏にも秋にも冬にもあります。
ただ、一年は春から始まるということが重要視されていたため、春の節分が特に大事にされていました。

 

で、この時期が近づくと目についてくるのが「恵方巻を食べるという謎のイベント」。
徹頭徹尾、有無を言わさない「商業イベント」です。

このブログを読んでいる人は私が商業イベント大嫌いなのをごぞんじでしょうけど(笑)。

 

私は生まれも育ちも大阪の中心部で、父方もずっと大阪。母方は神戸なのですが、この手の行事をほとんど知りません。それに「恵方巻」はその作りからしてゴチャゴチャして味が混ざるので、そんなにおいしいモノではありません。

 

また由来については花柳界の下ネタなお大尽アソビなのはほぼ間違いないと思われます。
遊びなれた旦那衆がまことしやかに言葉遊びで、

『ご縁をな、断ち切らンように切り分けへンのや。で、無言で願いごとをしながら、
1本まるまる丸かじりするのが習わしなンやで。』

 

旦那はんのニヤニヤしている顔(笑)。
 
 

 

恵方巻に諸説あるとはいえ、すっかりケチがつきました。

「恵方巻」に関してアルバイトの課せられるノルマ。

3日の節分を前に、コンビニエンスストアなどでは「恵方(えほう)巻」の販売が始まっていますが、ツイッターには、販売のノルマを課されたというアルバイトの学生の書き込みが相次いでいます。NHKの取材に対して、ある女子高校生は「50本売るよう指示され、20本は家族に買ってもらうしかない」と訴えるなど、過酷なノルマに苦しむ実態が浮かび上がっています。
(中略)
NHKが取材した女子高校生は、「店長から50本売るよう指示され、友人にお願いしてなんとか30本は売ることができました。友人には悪いなと思っています。残りの20本は家族に買ってもらうしかありません」と話していました。

また、別の女子高校生は「店全体で700本売ることが決まり、自分も20本売るよう『ノルマ』を課されました。コンビニでは、夏はウナギ、秋はおでん、冬はクリスマスケーキやおせちと、販売ノルマが課され、一年中苦しいです。こういう売り方はおかしいと思いますが、店長に冷たくされるのも嫌ですし、アルバイトを続けるためにはしかたがないです」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170202/k10010862671000.html

 

 

 

私もコンビニアルバイト経験があります。幸いにして罰金を科せられるほどのノルマはなかったですが、それっぽい雰囲気はありました。ウナギとケーキは店長に同情して自腹購入したことはありますが(苦笑)。

 
 

お陰様で、私はコンビニの季節商品は基本的に絶対に買いません。
というより、百貨店や専門店があちこちにあるのに、何故コンビニをチョイスしないといけないのか?
 

言い方は悪いですが、コンビニが背伸びしたところで味と格は変わらないのです。
 
 
 

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170202/k10010862671000.html

 
 
「縁起が良い」とか「招福」であるとか、そういう文句をうたいながらその実、人々を不幸に陥れる、搾取することで利を得ようとする実態。商業イベントのバカバカしさがようやく明るみに出たというところですね。

 

また、コンビニという性質上、200万本売れたところで、その廃棄はどれほどの量になるでしょうか。
大事な食物を無下にし、アルバイトから搾取する(ある意味、フランチャイズの店長も被害者か)。
法律違反、労働者の人権無視、脅迫、恫喝etc・・・。

加えて「フランチャイズなので本部は関係ない」というコンビニ本部の伝家の宝刀。コンビニという商売に「誠」なんてものは微塵もありません。本部でぬくぬくしている連中に売り上げが行くと思うととても買う気にはなりません。

 

「私の働いてるコンビニでは恵方巻きが49本廃棄になりました」
「26万円分の廃棄 二度と恵方巻き見たくない」
「恵方巻きの廃棄えげつなかったwww84個wwwwww」
「恵方巻きのみで合計価格13万以上の廃棄が」

引用元:J-CASTニュース(2016.2.5)

 

少なくとも「人を幸せにする」とうたう行事が人を不幸にしている事実。
大量の食物を捨てている現実。
もうやめればいいと思います。

 

こんな「いわくつき」のもの、もう食べられた代物ではありません。

 

 

あけましてあけまして

 

 

遅れながら、あけましておめでとうございます。
15日までは「松の内」なのでまだ大丈夫でしょう。

夫れ大塊は、我を乗するに形を以てし、我を労するに生を以てし、我を佚にするに老を以てし、我を息わしむるに死を以てす。故に吾が生を善しとする者は、乃ち吾が死を善しとする所以なり

「荘子」太宗師篇

【天地は、私を大地に乗せるために肉体を与え、私を働かせるために生命を与え、私が永遠に働けぬよう老いを与え、私を安息にするよう死を与える。すなわち、生きることを大切にするということは、死を大切にするということである。】

 

 

私事ながら年末年始はずっと仕事で、もはや正月感はありませんでした(笑)。

正月に入ってからの初めての休みには、氏神さまへ初詣に行ってまいりました。
「おついたち参り」を始めてどれくらい経ったでしょうか。
片山さんがそういうことをおっしゃっていたのが切っ掛けですね。
最初はどうということのない一般参拝でしたが、昨年あたりからようやく正式参拝(≒祈祷)をボチボチと始め、初詣で昇殿参拝に至っては初めてです。別に難しいことは何もなく、予約して玉串料を持参して・・・だけのことです。

しかし、普段やっている賽銭箱にチャリンとするのがいかに「簡易参詣」というのがよく分かります。
昇殿すると空間の清浄さが違うのです。

正装としてスーツを着用。新年初回ということで、いただいたばかりのロングコートをチョイス。奉献酒は伊勢丹で買ってきてもらった、ちょっといいモノです(もちろんささやかな予算内での話)。

いつもにまして拝殿に上がった時に感じる空間の静謐さが素晴らしい。

ちょっと緊張してるのか、それとも作法の見栄を張ろうとしているのか、玉串の時の手元と所作がいつまで経ってもおぼつきません。受け取ってから神前にどういう姿勢で移動するとか、ここはまだ勉強不足ですね。

あとは別のお寺にも立ち寄ってお参り。ここでは毎年交通安全のお守りを頂いてます。

崇敬神社である上賀茂神社・下鴨神社への初詣も済ませました。もちろん大田神社(芸能・舞踊の神様)も欠かしておりません。

 

 

 

さて、今年は酉年ですね。
だいたい酉というと鶏を指します。天岩戸におけるトコヨノナガナキドリに端を発する、伊勢神宮の神使でもあります。

酉は金気の正位として、金気は五気のなかでもっとも堅固で「乾・天・剛・円」を象徴します。
また方位としては西方であり、9月(旧暦8月)であり、午後5時~7時(夕暮れ)であり、仲秋であり・・・。

「酉」の本来の意味である「植物の生長」にかかわる意味としては、成熟と縮退です。

そういう点で、2017年はなかなか大変な年になりそうです。

 

 

さて、話を脇道にそらすといたしますか。

人間としての、日本人としての資質が問われる年になるかもしれません。
生きることも死ぬことも、宇宙規模でみれば小さなこと。
過去は寸分も変えられず、約束された未来はなく、ただ今があるのみ。

酉年ということで、やはり「火の鳥」@手塚治虫でしょうか。

「火の鳥 鳳凰篇」です。上記の動画はアニメ版ですね。

 

いきなりですが、仏師・茜丸は火の鳥にもう人間に生まれ変わることはないと言われます。しかし、その一方で我王はずっとずっと人間として未来に過去に転生を繰り返しているのです。
時に醜い顔で、時に腕を失い、時に愛する人を失い、それは時の果てまで、犯した罪が消えるまで続くと・・・。

桜の花びらが舞う中で佇む我王。人殺しも辞さない盗賊としての面影はありません。花びらとともに一匹のテントウムシが肩に止まり、それを見て我王は涙を流します。

取り返しのつかないことをしてしまうという哀しさ。変わらない、わからない、知ることもできない苦しみ。このあたりは「宇宙篇」なども観てみるとより深くなるんですけどね。

 

よくいう「命の尊さ」という耳さわりのよい言葉に惑わされてはいけないと思います。
生と死のバランスを無視し、必ず自分にも訪れる「死」そのものが他人事になってしまうのです。

 

「火の鳥 未来篇」より。
ある時ある星でナメクジが文明をもち、極まった結果滅びるというシーン。
最後の生き残りの足掻き。

 

最後にナメクジは呟きます。

『なぜ、私たちの先祖は、かしこくなろうと思ったのでしょうな。 もとのままの下等動物でいれば、もっとらくに生きられ・・死ねたろう. に・・進化したおかげで・・』(手塚治虫『火の鳥』未来編より)

人類最後のクリスマス?

 

 

 

2015年のことですが、ローマ教皇が、

「現在の人類は、もはや末期的状況にあり、このままでは来年は見るも無残な有様となるでしょう」
「各地で戦争が続いています。世界は飢え、焼け焦げ、混沌へと向かっているのです。もはやクリスマスのお祝いなど、今年で最後になりそうです」
「平和への道が拓けない限り、日々増え続ける罪のない犠牲者たちのために涙を流さなければなりません。そして許しを請うのです。神やイエス様とともに涙を流すのです」

・・・という趣旨の発言があったというニュースがありました。

 

今年のクリスマスは・・・・日本でも大きな事故がありました。

英国がEUを抜け、米国では大統領が変わり、タイではカリスマ的国王が亡くなられ、キューバではカストロが逝きました。

来年にかけて、日本だけでなく世界で「ひとつの節目」を迎えている気もします。

 

何と言いますか、ローマ法王庁というのは今も昔もスゴイのです。

「信仰」の名のもとに一般庶民の問題や悩みから、貴族社会・大統領とも通じています。これらから入る情報量と正確性は、各国の諜報機関の米国のCIA、大英帝国のMI6、イスラエルのモサド等の機関に勝るとも劣らないと言われています。

さて、話は変わりますが、日本では、西洋の祭祀は「飯のタネ」として商業利用されているのは当たり前で、一般庶民も随分と踊らされています。日本には八百万の神様がいるから・・・一神教じゃないから・・・という理由もあるかとは思いますが、今の経済界の人間が欲深いだけじゃないかと。多くのブラック企業が裏ではびこるクリスマス・・・。

 

バレンタインはいうにおよばず、ここ最近でようやく根付いたハロウィン。そして最近ではイースター。今も昔もクリスマスは最大イベントです。

 

 

「ハロウィン」の起源にドルイドが絡んでいるのはそこそこ知られておりますが、クリスマスも例外ではありません。むしろ「キリストの誕生日」よりも深いのかもしれません。

とりわけクリスマスの開催時期についてはドルイドの影響が大きいと言われています。世界各地で「冬至」を境として再び太陽が命を取り戻す、つまり日が長くなる(陰が終わり、陽が始まる)その時期に何らかの祭祀を執り行うことは珍しくありません。

その「冬至」の前後にドルイド達が行っていた祭りと、キリスト教文化が融合して、クリスマスという形になったといいます。

 

ドルイド

古代ケルト宗教であるドルイドの祭司を指す。ケルト社会の最上位を占める階級をなし、王にもまさる精神的権威を認められ、宗教と魔術に留まらず裁判や若者の教育、病気の治療などにあたった。ドルイドについては、カエサルの『ガリア戦記』に記述がある以外資料に乏しく、いまだ謎が多い。霊魂の不滅を信じ、占卜(せんぼく)により政治的・法的決定をなしたといわれる。また、神殿を持たず森において自然とともにあり、神、来世、天球の動き、未来などに通暁する賢者でもある。ドルイドとは「完全なる知識を有する人」の意味もある。しかし、この知識・知恵は種族の優れた若者に限って口伝えされ、その内容は皆目不明である。

 

 

自然崇拝的なドルイドの祭祀である以上、樹木が重要な役割を持っています。かつては、彼らの儀式では神木に生け贄として人間を吊るすなども行われていました。今日われわれも飾るクリスマスツリーにぶら下がっている人形というのは、そういう意味では相当に重みのある象徴と考えてもおかしくはないのです。

 

 

性善説の敗北  

 

レッスンを終えてスタジオを出、寒空の下、パーキングへと歩きます。

道路に面した通りなので、そこまで暗くありません。

 

夜道を歩きスマホしながらでも平和に歩けることがどれほどありがたいことでしょうか。

 

 

ドイツでアフガニスタン人の移民が、19歳の大学生をレイプし、殺害した疑いで逮捕された。殺害された学生は、欧州委員会高官の娘マリヤ・ラデンブルガーさん。ラデンブルガーさんは、難民収容施設でボランティアとしても活動していた。デイリー・メール紙が報じた。

ラデンブルガーさんは、スイス国境に近い大学町フライブルクで、10月16日に遺体で発見された。調査情報によると、ラデンブルガーさんは15日夜、イベントから自宅に向かう途中で男に襲われ、レイプされ、川で溺死させられた。容疑者は12月2日に拘束された。ラデンブルガーさんの父親のクレメンス・ラデンブルガー氏は法務博士で、欧州委員会の法務部責任者の補佐役を務めている。

Sputnik日本 2016年12月05日 18:19
https://jp.sputniknews.com/incidents/201612053086633/

http://www.express.co.uk/news/world/739620/Maria-Ladenburger-murder-EU-official-daughter-killed-by-refugee-Aghan

関連:【画像あり】女子学生を強姦殺害、アフガン難民を逮捕 ドイツ
http://hosyusokuhou.jp/archives/48778897.html

 

 

実に痛ましい事件です。
さらに「川で溺死させられた」というのが隠蔽工作じみていて、とても不愉快ですね。

 

日本ではマスゴミの「報道しない自由」発動と「多文化共生」という甘言にどっぷりなので、ダメダメですが、

「移民」とは、こういうことも含めての移民なのです。

多文化共生という、偉大で崇高な理念のためには多少の凶悪犯罪なんてご愛嬌。
文句を言う暇があったら、移民支援充実のために税金を払うべきです。
移民のために、ドイツ国民がその身を捧げ犠牲になって全世界に模範を示せばよいでしょう。

バカの見本をね。

 

合理主義の中国、ロシアは絶対に移民を受け入れない。
英国がEUを脱した時点ですでに回答はでています。
そして、「口ではヒラリー。裏ではトランプ氏へ」のトランプ氏の大統領当選。
アメリカ人が内包する反グローバリズム。
アメリカも中国、韓国、ヒスパニック系の移民(不法移民)への不満が大変高いのです。

 

 

さて、(日本では予想通りニュースにすらなりませんが)今回も政府高官の娘さんが被害にあったから取り挙げられたのであって、これが庶民なら取りざたされることもありません。実際的に強盗なり強姦なり被害に遭うのは庶民です。

 

人種・民族間には紛れもなく民度や倫理観や能力諸々に差があると思います。
たとえばある地域では宗教的問題等から紛争が絶えずお互い妥協や譲歩する事もなく、この時代になっても未だ国家としてまとまりがつかない。そんな国からの移民を受け入れてくれた挙句の所業。

すべての人間には良心があるとか、罪を憎んで人を憎まずとか、薄っぺらいきれいごとは捨てろとはいいません。ちょっと横に置いておく必要があるとは思います。

 

日本人は「お花畑」が多すぎます。
戦後の教育のせいもありますが、例えばテレビ番組などで気のよさそうな外人(テレビ局が都合よく選び抜いた観光客)ばかり見ているせいか、どうにも善人説がこびりついているようです。
自分がごく一般的な良識持ってるからと言って、他の人間がそうとは限らない。同じ日本人同士ですらそうなのに、
国・民族が違えば尚更というのは言うまでもないと思います。
同じ人間だから分かり会えるとか、それは理想だが妄想でしかありません。
日本人が世界で歓迎されていると信じているのもバカげた話です。何の因縁も無しに、裕福で暮らしやすそうな国に住んでいるから(日本人が日本から)いなくなればいい、と本気で思っている人たちもいます。

また、移民のすべてがまともな教育を受けているとは限りません。なぜ移民になったのか。政治的理由とか戦争被害者とか、そればかりではないでしょう。そもそもなぜ祖国で仕事が見つからなかったのか?祖国を捨てるとかどういうことか? その結果の「移民」ということを考えた方が良いと思います。
可哀想と同情するのは構わないですが、被害者たちは全員が大人しく善良で無力なわけじゃないのです。想像を絶する凶暴な犯罪者だって、移民・難民にはなれます。
人道だ、人権だと言葉尻だけで捉えず、現実に根ざした判断をすべきでしょうね。

 

何より、私の親兄弟とか親しい人間が万が一の被害に遭うのがイヤで堪りません。

移民にとって移民先の国は「ボーナスステージ」です。
得るものはあっても今更失うモノは何もない。

まして日本の警察にはまかり間違っても殺されることはない。

近年、日本人を6人も包丁で殺したペルー人の事件があったのも「喉元過ぎれば・・・」。
(そのペルー人は自国で殺人を犯して日本に逃亡)

 

もっとも被害をこうむるのは我々一般庶民です。警察だってすぐに来てくれないです。
私だちは相手を人間だと見ていても、相手は私たちを人間としてみているのでしょうか?
ただの標的・獲物としてしか見ていないかもしれません。

女性とか子供とか年寄りとか弱い立場の人が犠牲になるのは辛いです。
そして、それを守ることができない男性がたくさんいるのも辛いです。
自分の身は自分で守るというのも限界があります。

自分の身は自分で守るのに限界がありますが、こういうところで自分の国を自分達で守るのは、限界があるでしょうか? もっと一人ひとりの日本国民の意識が変わると良いのですが。

夜に「歩きスマホ」なんてできない時代が来る可能性だってあります。
自転車なんて待ち伏せをくらって横からモノを投げつけられれば一瞬で転倒してしまいます。
パーキングで車に乗る瞬間、襲われる可能性があります。

日本が不逞外国人の「狩り場」になってしまうことも、大げさではありません。
まして相手は何ひとつもっていない「文無し」です。被害の賠償だってできないのです。

 

歩きスマホはし放題。最悪、路上で寝ていたってそうそう襲われないあたり、あまりにも平和すぎる「今」には感謝しかありませんが、それもいつまでも続くやら。

 

既に事実と正義はあります。あとは世論を動かす建前論が必要です。この建前論は決して美しくありません。本質的には非常に醜い。それでも構築しなくてはならないでしょう。
日本でも犠牲は確実に増えています。報道されない限り、それは存在しないという恐ろしさ。

そんな日本では、非常に重要であるトランプ氏の大統領就任までの動きや世界の情勢などがある日を境にぱったりと報道されなくなり、国際的にみて重要ではない隣国の茶番劇ばかりが報道されています。

移民の問題は「軒を貸して母屋を取られる」というレベルではありません。

 

いくつかの民族は、なぜ自分たちの土地を捨てて他国に侵入し、そこで国を創るかの理由だが、これは戦争の一種と見るべきであろう。この人々は、戦乱によるか飢餓のためかして、やむをえず家族ともども侵入してくるわけだが、この種の侵入は、領土欲に駆られてではない。とはいえ、先住民族を追い出したり殺したりすることにおいては、変わりはないのである。だからこそ、通常の戦争よりも残酷な様相を呈する場合が多いのだ。

この、やむをえずにしても新天地を求めて侵入してきた民族がもしも非常に多数の人間からなっている場合は、必ずと言ってよいほど先住民族を追い出し、殺し、財産を奪った果てに新国家を建設するようになる。

マキャベリ『政略論』

 

 

古代ユダヤやローマ帝国に限らず、新大陸発見後の原住民がどうなったでしょうか。中国は昔からそれの繰り返しです。チベットやパレスチナは20世紀になっても、モーゼの時代と同じことが起きたくらいです。

 

戦争は兵器・軍事から経済競争へ。そして、人道をもって戦争をする時代になってきたのかもしれません。
余談ですが、インドのガンディーが非暴力で成功したのも相手が「大英帝国」だったからで、スターリンやポル・ポトだったら通用しなかったろうと言われています。これは、まぁ、毛沢東も全く同じで、我が国はその隣に位置してます。

 

ムンクの叫び 動く名画

実に久々のブログです。

試運転ということで軽めのネタで。

 

誰でも聞いたことがあるであろうノルウェーの画家・ムンクの「叫び」。けっこう盗まれていることでも有名で、インパクトと知名度が高いデメリットでしょうか。

 

で、このたびめでたく日本で立体化されました。

このあたりの超絶技巧はさすがというべきでしょう。

セットでのお値段は5370円(税別)。

GOODSMILE ONLINE SHOPで2016年11月30日21時まで予約受付中。おひとり様3つまで。

 

 

 

既にこういうのは持っておりますので。

 

時、既にヴァレンタイン

なんというか・・・今年は特に年末年始という感がなかったですね。ダウンタウンの「笑ってはいけない・・・」は途中から観てましたけど、元日は朝から出勤でしたし、気が付けば既に七草粥も過ぎて発表会が目前という。

デパートやモールなどでは既にチョコレート売り場が出来ております。時はすでにバレンタイン。福袋の次はチョコレートですかそうですか。

三越伊勢丹の社長は「休む正月に回帰する」と云ってましたが、寝正月派の私にとっては大賛成ですね。世間を見ていると「何か動かないと、買わないと損」的な強迫観念に駆られているような気もします。気ぜわしいことです。

 

年末年始はお笑い番組を見ながらゴロゴロしているのが最高なのですが、ここ最近は面白いコンビが多いですね。昨年の「キングオブコント2015」優勝の「コロコロチキチキペッパーズ」(以下コロチキ)のコント「卓球の試合」で使われている曲が気になっていました。

 

 

 

原曲となった「surface」の『 さぁ!』

 

 

さらに、

「まもって守護月天」というアニメの主題歌だったんですね。
1998年10月放送開始なので、およそ17年前の曲です。「surface」は近年解散してしまったようですが。

もちろんコロチキのコント「卓球の試合」の完成度の高さもあってのことですが、話題になっていますね。
切り口でいくらでも違った印象を受けるということでしょうか。

目の付け所と料理の仕方・・・・優勝しただけあって見事だと思います。

そういう意味では、これ↓

twwiterで出回っていた画像です(笑)。

ドラマティックな一言

先ずはリハーサルに参加された皆様、お疲れ様でした。

周りをグルリと見回してみると、とても慣れた観もあり、緊張の面持ちの観もあり、なんだか「らしく」なってきたなぁと思います。
「こうでなくっちゃなぁ・・・」と感慨深いふりをしてリハに臨みました。

 

なによりも。

久しぶりに片山さんのお姿を見た以上にうれしかったのが、

「amemuraさん、久しぶりやね」
なんとドラマティックな一言でしょう。

リハーサルの、それも本当に踊る直前に、目の前に鎮座する片山さんがそう声を掛けてくれました。握り拳をギュっとする程度のお応えしかできなかったものの、あまりにも美味しすぎるタイミングでの一言。これ以上遅くてもいけないし、これ以上早くてもいけなかった。まるでマンガか映画の一コマ。まったく・・・・・心から嬉しくなりますね。

こんな「大人しい」格好じゃ収まりがつきませんねぇ(笑)。
こんなおとなしい格好でも、BILLON先生に「かっこいい」と値千金なお言葉を頂戴し、恐悦至極に存じマス。

 

 

さて、間もなくクリスマスですが、商業主義に汚染されまくったイベントの代表格のようなもので。

なんといいますかね「商業主義」という人間が造りあげた一種のフェティシズムなわけですよ。人が作り上げた幻想であり物神であり、それに心底隷属することを至上の喜びとする、いわば崇拝する「新宗教」です。かなり悪い意味において人間があれこれ試行錯誤して作った体系をありがたがることで、かつそれの「奴隷」として支配されることです。クリスマスを企業の演出の奴隷としてまさに「宗教化」したイベントとして過ごすことは避けたいと思っている今日この頃です。

 

というわけで、このブログで毎年恒例のクリスマス批判も今年で何回目になるでしょうか?(笑)