GWのひと時

TOPページにブログ復活! 片山さん、ありがとうございます。

長居公園にて。

 
 
 
 
 
 
 
ちょっと練習に来ていて、パチリ。しばらくしたら気付かれてにらまれました。
  

練習ではたっぷり汗をかきました。  
雑談中、興味津々で聞いたトリビア。

タマムシの餌の食べさせ方

1.タマムシを試験管にお尻から入れる。
2.桑の葉をギュッと詰め込む。
3.タマムシがそこから出るために、仕方なく桑の葉を食べ始める。

( ゚Д゚)つП へぇへぇへぇ~

はー、なるほど。今度試してみよう。

高校は山の中だったので何度か捕まえられる機会がありました。タマムシって、飼育下ではほとんど餌を食べないのです。
  
  

デアボリカ

人生の意味は、自分の中ではなく、社会にありて思うもの。

養老孟司あたりのコメントをひっぱってきましたが、いろいろと課題があるものでなかなか復帰できませんな~(苦笑)。
GWはちょっと予定が狂ってしまったので節約モードに入りつつ、いっそ鍛練三昧にしてみようと思います。スタジオに行けたらイイんですけどね~。
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花の散る頃・・・

春の土用の真っ最中、いかがおすごしでしょうか。旧暦では、今年は「閏月」があるのでまた3月に入っております。

ブログでは季節ごとに書いてきたネタですが、簡単に土用の説明だけしておきますと、それは季節と季節の合間の過渡期です。生殺二道の土用は、古い季節を殺し、新しい季節を芽生えさせるダイナミクスな力を持つ時期です。この時期は人によって好調・不調の差が激しく、昨日まで元気だったのに今日はダメだということはよくあります。また、土いじりや改築は基本的に回避すべきことです。今は春の土用なので、もうじき「夏」ですよ。

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ゆうたん

古今東西、人間が大好きなものに「くすり」があります。秘薬、特効薬、仙薬、霊薬etc・・・・・。基本的に「薬」と云うものは、とりわけ本物は特権階級が求めるものであることには変わりありません。今も昔も庶民には良くて大量生産品の余りモノが回ってくる程度です。

 

「薬と権力者」の図式が具体化してきたのは中国・秦の始皇帝の時代に始まると言われています。始皇帝が「永遠の命」を求めたあたりからです。「神仙術」「丹」という言葉が “ゆうたん” の続きを読む

白蓮の針(@劇団HANTOMO)

ホラ、綺麗やろ、濁った水の上しか咲かへんねん
                    でも誰も、ドブは描きよらん

  

  

 

 物語は幕末の大阪。商才溢れるお辰という女性の波乱と冒険に満ちた栄光と挫折の半生が、今は浮世絵の摺り師として暮らしている老婆の想いとして描かれるという流れである。

 毎度おなじみの「劇団犯罪友の会」。名前はいかついですが、まっとうな時代物・歴史物を得意としています。一度、野外演劇を観に行ってからすっかりハマっております。ここの色とすごく相性が良いんでしょうね。今回は再演で、私は2006年に観ています。月日が経つのは早いものです。

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あのバイク

おお、Bloggerに私のブログが列挙されるようになった!

片山さん、ありがとうございます。

列挙一発目がちょっとナナメな内容だったのはご愛嬌。計算違いです(笑)。

 

最近見て印象に残っているテレビといえば、「アメトーーク」のラグビー芸人特集です。ラグビーなんて興味も知識もなかったのですが、とても面白かったです。中川家の審判のモノマネ、「のっとりり~すざぼーるっ!」がすっかり口癖になっております。

そこから興味を持ってちょっと技術的なことを調べてみると、なかなかどうしてあなどれません。たとえば、ボールを持った選手にタックルに行く刹那、お互いに様々な駆け引き・攻防が繰り広げられているのです。単に全速力でまっしぐらに突っ込んでいるようにしか見えない・・・という認識は変わりました。

あの番組は、たとえその分野に興味が無くても楽しめるので好きですね。

 

さてさて。

「大友克洋GENGA展」やってますね。東京なので行けないのが残念すぎます。

http://www.gizmodo.jp/2012/04/genga.html

さらに驚きの動画。
大友克洋を知らない人でもコレを目にしたことはあるんじゃないでしょうか。

「みんなが夢見たあのバイクがついに完成」

http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/p63da0db83e426c729163a35b4d84e1eb

そして、通称「金田のバイク」が公道を走っているという驚き!!!
1983年に「AKIRA」に登場して以来、どれだけファンの心を掴んできたことか・・・。

 

 

あら、なんかしょぼい・・・・・・・・。エンジン音もスクーターみたいだし、何よりピーキーさが圧倒的に欠けている。

それもそのはず。
本来の設定は、「全長2.9m 全高1.2m 全幅0.8m」。そりゃ人が乗ったら違和感があるわけです。しかし、その意気はすばらしいです。これを見習って、早くどこかのメーカーが作ればよいのですが・・・・・・。ま、作るわけありませんけどね。

今のクルマの有様を見ていればよくわかります。

日本人のもともとの習性というのか、「クルマ=移動するお部屋」なんですよね。移動の手段のための乗り物ではなく、あくまでも自宅の一部、テリトリー、自分の城なんです。私はこの手の世にはびこっている概念が、そしてそれに気がつかずノウノウとしている人たちが気に食わなかったので、このあたり、大学の小論文で思いっきり皮肉って書いてやろうと考えたことがありましたが脳みそが足らず、見事に挫折しました。車体に傷がつこうものならまるで我が身を切り裂かれたように怒り狂いますしね。経済学的な広義的フェティシズム、つまり物神化で逆に我々を束縛するという云々・・・・。
話を元に戻します。

  
これはクルマ好きを称する人の意見の抜粋ですが、
 

>エンジンの音、振動、タイヤの感触、ハンドル切ったときの追従感、
>など、体で感じる楽しさです、
>従って最近の車は「つまらん」です、
>車嫌いが車を作っているので、音や振動を「不快なもの」として
>しまっています、
>車好きなら音や振動を「心地良い」レベルに仕上げるはずです、
>「CO2」=「温暖化」などのデマを振り回さずに運転の楽しい車が欲しいですね。

 

「ベンツは乗り味はどれでもいっしょ、BMWはそれぞれ異なる」という話も聞きます。ベンツは向こうでは仕事用のクルマですからね。
抜粋文も含めて私もその言うところはよ~くわかります。が、これらはマニアの意見です。しかも、外装ではないのだから、ある意味、タチが悪いwww。

少数のクルマ好きを満足させる、つまらなくないクルマばかり作っていてはたして採算が取れるのかというと現状ではとてもムリだということは明らかです。
ただ、
>作り手が不快なものとして捉えてしまっている
というのは、なるほどと思いますね。

日本では、高級車はとても便利なものです。公道では幅を利かせられます。右を見ても左を見ても走っているエル○ラ○ド類はそのまま走るお部屋になるし、ビッグスクーターは安定感抜群でまるで走るイスです。ピーキーさの欠片もありません。日本が誇るGT-Rですら新モデルにラグジュアリー云々をうたった時はショックでした(苦笑)。

ブランド、エコ、経済性、燃費、安全etc・・・。いま、何が求められているかということを考えると、「金田のバイク」は存在しないのです。

 

でも、世の中にはたまに上記の人のような「大バカ」が登場するので、小バカたちは諦めきれないんですよね。

 

さて、その前に二輪免許を取っておかないとイカンな。

サクラ

あら名残おしの夜遊(やいう)やな
惜しむべし惜しむべし
えがたきは時会いがたきは友なるべし
春宵一刻値千金
花に清香(せいきょう)月に影
春の夜の花の影より明け初めて
鐘をも待たぬ
別れこそあれ
別れこそあれ
別れこそあれ
待て暫し、待て暫し ・・・・

能「西行桜」の一節

 

私の習性でもあるが、どうもテレビとか雑誌とか、大々的に取り上げられ始めると途端に興味が失せる。花見もしかり(苦笑)。もっとも、元々そんなに行っていた方ではないが。

それはそれとして、ここ5年ほど、「花見」の推奨やプッシュが非常に喧しくなっているような気がするのだ。昨年の大震災の反動もあるだろうが、今年は妙に盛り上げよう盛り上げようという方向性を感じる。さらなる商業化? ガス抜き? さも年中行事のようにしてしまいたいのではないかと勘繰ってしまう。 

また、ほとんどの場合付随するものとしてBBQが挙げられる。なぜBBQをしなければならないのか? ゴミが恐ろしいことになっているのはご存知の通り。

本当に「花」を見に来ているのか、それとも「花見」という行為に参加している自分を演じているのか、花を見なければならないという強迫観念にかられているのか、それとも、花見をする情趣を私は持ち合わせていますよというアピールなのか。

作為的な「楽しみ」を「大衆」として満足するよう、操作されている気もしないでもない。

マイナーな趣味を自分で(人目を気にせず)楽しめる人の方が少ない国民でもあるから仕方ないといえば仕方ないだろう。叩いている人間が、いつのまにやらそ知らぬ顔で楽しむ側になる国民性でもある。

そもそも桜ほど日本人の栄枯盛衰、心の美しさも醜さも知り尽くしている花は他にないと思われる。奈良時代あたりまでは「梅」で、「右近の橘・左近の桜」のように平安時代から台頭し始め、鎌倉時代で西行や兼好法師が「桜がいちばんカッケーwww」といい始めたあたりから花木の頂点に立つようになります。奈良時代より古く、花見ないしそれに類するものはありますが、いずれにしても、基本、富裕層・支配層の遊興・社交です。江戸時代になってようやく庶民あたりに普及してきます。

散り際云々の話は、軍国主義(というより時の為政者)に利用されていたのはご存知の通り。潔く散るのが武士、なんてのは江戸時代の体制によってサラリーマン化された「武士」で、鎌倉~室町、戦国初期の武士だと、切り払ってもドンドン生えてくる葛とかドクダミくらいしぶとい。

 日本人の感情を掻き立てるとても便利な文化的記号あるいは「装置」ではないかな?

  

「桜の樹の下には死体が埋まっている」

という有名な表現は梶井基次郎の「檸檬」が最初だと言われている。日本人の「滅びの美学」なんてものが、果たしてあるやいなや。あったとしても、 誰にとって都合のいい美学なのか。

 

 

用事で京都市立美術館の近辺に行ってきたのですが、まぁ日曜日だけあって人の多いこと多いこと。バスなんて満杯でバス停をスルーしてばかり。疎水も通りましたが・・・・。

 

人のあまりいないところで花見がしたい(笑)

 

 

実は一度だけ経験があります。
佐賀県・有田にある佐賀県立九州陶磁美術館に行った時のことです。ここは小高い丘陵の上にあるのですが、美術館に至る道には桜がたくさんありまして花吹雪の中、美術館へと登って行きました。朝早かったので人はあまりいませんでしたね。

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軍曹とルーキー

軍曹とは、軍隊の階級のひとつで曹長・軍曹・伍長の下士官の中では中間の階級である。

ミリタリー・戦争関係のフィクションでも頻繁に登場するが、新兵気分丸出しのルーキーの根性をテッテー的に叩きのめし、鍛え上げる役として描かれることが多い。実在の軍隊でも新兵教育はこの階級に任されるため(時に過剰となることもあるが)おおむね間違っていない描写である。

FWDSにも期待のルーキー達が入ってきたようですね ( ̄ー ̄)ニヤリ
さて、始業式・・・・。

  

 

「貴様らは厳しい俺を嫌う! だが、憎めばそれだけ学ぶ!

俺は厳しいが公平だ!人種差別は許さん!黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん!

すべて━

           ━平等に

                         ━価値が無い!!

 

口でクソたれる前と後に『サー』と言え!分かったかウジ虫ども!」

Sir,Yes Sir!!

 

・・・・・・・始業式ではそんな訓戒が(嘘)。

 

冗談はさておいて、有名な上記の台詞でも知られている、「フルメタルジャケット」に登場したハートマン軍曹を思い出しますね。

劇中のハートマン軍曹はアメリカ海兵隊志願者を鍛え上げる海兵隊訓練キャンプの鬼教官であり、わずか8週間の短期日程でありながら、新兵達をぼろぼろに痛めつけ、そして一人前の”死の司祭”に仕上げる名教官・・・という役柄。映画自体は戦争の陰惨さを描いた傑作と言われています。ハートマン軍曹の最期は、才能が発掘されながらも精神に異常をきたしてしまった部下(通称、微笑みデブ)に射殺されてしまいます。
この軍曹は映画の前半にしか登場しないのですが、まるでこれだけの映画のようなイメージがあるほど有名なキャラクターと演技力です。

 

ちなみに、映画自体の有名な台詞は

逃げる奴はベトコンだ。
逃げない奴はよく訓練されたベトコンだ

 

ヘリからベトナムの一般人を撃ち殺しながらアメリカ兵がこう話します。
ものすごい説得力を感じます。アメリカの戦争・・・そもそも戦争自体は、こういう事なのでしょう。

 

話を元に戻します。

軍隊とは違いますが、専門的な技術(技芸)を身に付けるという訓練期間であるという点では同じだと思います。

  

    /ノ 0ヽ
   _|___|_
   ヽ( # ゚Д゚)ノ  <  「口でクソたれる前と後に『サー』と言え!
     | 个 |                  わかったか、ウジ虫ども!」
    ノ| ̄ ̄ヽ
     ∪⌒∪

 

 

※AAにもなっているハートマン軍曹。ここまで可愛くありません 

私は門外漢ですが、そういう意味ではこの台詞もあながち間違いじゃないわけです。
技術体系やノウハウを丸ごと受継ぎ、我が物とするにあたって、個人的な思想、感想、疑問などは一切が不要無用。言い換えれば、自己の主体性の強調でしょう。その人が何を「自」と認め、何を自己の「主体」と考えているかであるか。しかし、そんなことを考えているヒマはありません。そして、その「自」が単なる「我」や、思慮分別し憎愛取捨する心意識に過ぎないのだとしたら、その自己主張は単なる我侭勝手に過ぎないのです。

 

 

・・・・やれやれ、恥ずかしながら浪々浮薄の我が身。早くどこぞのひよっこにならんことにはスタジオにも復帰できまへんな(笑)。というわけで、自戒をこめて書きました。

花に嵐のたとえもあるさ (´ω` )

「花に嵐のたともあるぞさよならだけが人生だ」井伏鱒二

「さよならだけが人生ならばまた来る春はなんだろう」
(中略)
「さよならだけが人生ならば人生なんかいりません」 と、寺山修司。

林檎が落ちるのは、落ちる法則があるからだ。しかし、私たちにとって大事なことは、林檎は落ちるという事だ。

寺山修司をそこまで読み込んだわけではありませんが、所感としては文字通り受け取りたくは無いな、と(笑)。

先日の春の嵐はすごかったですね。私は夕方から出ておりましたが、交通は大ダメージ。駅も大変な状況でした。駅のカウンターに殺到する苛立った群衆をみて感じたことは「喉元過ぎれば何とやら」ですね。平和ボケ、権威主義に並ぶ日本人のお家芸です。震災とは比較にならないとはいえ、ある意味、この日は異常事態。ま、この程度のものなんだろうな~と。
  

さらにその前の4/1。エイプリル・フール。四月馬鹿とはいいますが、馬鹿も馬鹿にはできません。馬鹿と云う者が馬鹿とはよく言ったものです。

古代中国。悪名高い「秦」の奸臣・趙高の、馬と鹿をもって馬鹿と成す故事は有名。簡単に言えば、粛清のための見極め的なデモンストレーションである。

※粛清=邪魔者を消すこと

当時、趙高の背後にあった権力を考えると、その状況にいざ直面すると大変に恐ろしい話。無論、趙高は自分の威(権力)を背景に、「鹿を以って馬と成した」わけだが。

趙高の粛清を逃れるために馬といって臣従するのがバカか、まともに鹿と答えて潔くすっぱり殺されるのがバカか、どちらかバカかはわからない。

理を非となし、非を理と成して、押し通す。そこには多かれ少なかれ権力が見え隠れしている。政治だけではない。社会、職場、ありとあらゆる人間関係においていつでも成し得る。もちろん権力・・・利権と見ることもできるだろう。紀元前の話が今になっても続いているわけである。

 

定年までの自分の給料を計算すると自分の値打ちが分かってしまうご時世だからこそ余計に、人はいつも感情と社会の戦争を続けるのかもしれません。「戦争」が、自分を新しく生まれ変わらせてくれると心のどこかで願って。