夏で~~す。

さぁ、今日から夏です。土用の鬱陶しい時期も終わり、カラッとスカっとサマーバケーションの季節になりました~。

  

 

なに、気が早い?

 

何をおっしゃいます。ちょいと気の利いたカレンダーには小さく「立夏」とあるはず。山野に新緑が映え、そろそろ夏の気配が感じられる・・・それが「立夏」。「蛙始鳴(かわずはじめてなく)」時でもあります。都会だったらアマガエルの鳴き声が聞こえるかもしれません。

 

そして端午の節句でもある今日この日は、「菖蒲の節句」とも言われます。舞踊技芸にご利益のある大田神社(京都・上賀茂神社境外摂社)には有名な菖蒲(カキツバタ)の群生がありまして、見ごろになっていると思います。

 

菖蒲は「尚武」にも通じ「武を尚ぶ」として男子の節句であることが有名ですが、一方でその香りの強さや葉の形が剣先のようであることから、邪気を払う力があると信じられてきました。

 

  

 

ああ、そうそう。
紫外線もバリバリですよね。Ultravioletです。

( ・ω・)<さすがの菖蒲もこれは払ってくれませんよね。

 

 

 

今晩はスーパームーンだそうで・・・・事故とか起きなければ良いのですが。

 

ヾ( ゜∀。 )ノ 疲労がポンと取れるよ

疲労がポンと取れる・・・・・・・なんてステキなものがあれば?

 

今から何十年前までは販売していたんですけどねぇ。これさえあれば食事も睡眠も必要なく働き続けることができる夢の薬です。アサヒグラフなどにもその広告が載っていました。

つ「ヒロポン」。

  

関越自動車道でのバス大破事故を見て、ふと思いました。

 

前もって書いておきますが、合法である間は今の酒やタバコと何ら変わりは無いのです。感覚的にはそんなものです。

疲労がポンと取れるから、ヒロポン。「除倦覚醒剤」のことです。開発は日本の薬学者。中枢神経興奮作用を持ついわゆる”覚せい剤”で、脳神経系をかなり活性化させるタイプです。医療の現場や一部の限定状況を除き、現在では覚せい剤取締法により規制されています。
ヒロポンの名称は「疲労がポンと・・」にもかけていますが、ギリシャ語の「Φιλόπονος(労働を愛する)」(→Philopon)が語源です。ワーカーホリックの日本人のために開発されたものといっても過言ではありません。かつて食料も労働力も不足していた時代に「睡眠も食事も不要な人間を育成する」という産業にとっては夢のような方針で開発され、国策と言っても過言ではないでしょう。本当に生産力が上がり、奇しくも後の高度経済成長(1950~1970)の原動力のひとつになったことは否めません。

中毒性は言わずもがな、人間の3大欲求である睡眠欲と食欲を捨て去ることを代償にしたのです。とはいえ、日本に限らず、どこの国でも研究開発されていることです。どうやれば労働力や戦力が眠たいとか食べたいとか我がまま言わないようになるかな~、と。

 

唐突に覚せい剤の話を書き始めたと思われるでしょうが、先述のように関越自動車道の高速バス激突事故を知り、価格競争による従業員への負担増加、過重労働・・・もちろんバス業界だけではありません。そこでふとヒロポンを思い浮かべました。もっとも、同じ居眠りでも亀岡市の無免許暴走事故の方は論外ですが。

 

コンビニでバイトしていたとき、ものすごくよく売れていたものにアレがあります。「レッドブル」です。補充頻度がとても高いのです。そして、カフェイン、ニコチン、アルコールetc・・・・みな、「疲労」を軽減する為に買うのです。

労働時間はどんどん伸びても格差は広がるばかり。労働環境も経済も悪化。少子化。生活保護受給者増加。災害頻発。ヒロポンに代表される「労働を愛する」クスリがまた必要になるかもしれない時代が来ているのか?と考えてしまいます。

 

 

とはいえ、疲労を感じないまたは疲労しない身体になっても、資本主義社会の大日本民主帝国ではそれこそ(死ぬまで)こき使われるだけですから、それも困った話です。そうそう、ヒロポンに頼らずとも人間は「欲」が絡むとぜんぜん疲れなくなります(笑)。ということは「やる気」の正体は「欲」というのも間違いではないかと。

ヒロポンにしても欲にしても、疲労しないのではなくそう感じないだけのことなので、疲労との上手い付き合い方が求められると思います。

 

軍隊における休息の概念ですが、人間は疲労が少ない時は少しの休憩で回復しやすいが、いったん疲労しきると、ちょっとやそっとの休憩では回復しないようです。なので、同じ60分に対して10分の休憩をいれるパターンにして、60分ごとに10分の休憩を入れた場合と、300分(60×5)ごとに50分の休憩を入れた場合を比較すると後者はほとんどの兵士が疲労を回復しきれなかったといいます。

 

また、さらに休息の取り方の一例としてあげておきますと、たとえば行軍では、10分の小休止が与えられるとします。重い装備を取り外すのに3分。また装着するのに3分かかるとします。普通に考えるならば面倒くさいから着装したまま座ったりして休もうと思いますよね。軍隊では、装備を外して極力休息できる状態になってから、残りの4分間を”全力で”休みます。やはりがっちりと着装したままで疲労が回復しないそうです。(もちろん、警戒時はその限りではありませんし、また兵装の確認や足の手入れなどに時間が使われることもあります)

 

筋肉の制御に神経が大きく関わっており、リミッターをかけながら動かしています。非常時だけそのリミッターが解除されますが、疲労しきってしまうと気付かないうちにリミッターが接近し、神経系の高まりをダウンさせることが困難に為ってしまいます。結果、筋肉を構成しているたんぱく質も熱と加圧で不可逆的な傷みが生じてくるわけです。

 

休息や就寝の前には10分ほど時間をとって、寝やすい服に着替えることはもちろん、軽くストレッチなどをして物理的なストレス軽減が最低限必要ではないかなと思います。もちろん、やりすぎると体温や神経の活性が上がってしまうので寝つきが悪くなります。そういう意味では就寝直前にお風呂にどっぷりつかるのも一考の余地アリかと思います。

  

GWのひと時

TOPページにブログ復活! 片山さん、ありがとうございます。

長居公園にて。

 
 
 
 
 
 
 
ちょっと練習に来ていて、パチリ。しばらくしたら気付かれてにらまれました。
  

練習ではたっぷり汗をかきました。  
雑談中、興味津々で聞いたトリビア。

タマムシの餌の食べさせ方

1.タマムシを試験管にお尻から入れる。
2.桑の葉をギュッと詰め込む。
3.タマムシがそこから出るために、仕方なく桑の葉を食べ始める。

( ゚Д゚)つП へぇへぇへぇ~

はー、なるほど。今度試してみよう。

高校は山の中だったので何度か捕まえられる機会がありました。タマムシって、飼育下ではほとんど餌を食べないのです。
  
  

デアボリカ

人生の意味は、自分の中ではなく、社会にありて思うもの。

養老孟司あたりのコメントをひっぱってきましたが、いろいろと課題があるものでなかなか復帰できませんな~(苦笑)。
GWはちょっと予定が狂ってしまったので節約モードに入りつつ、いっそ鍛練三昧にしてみようと思います。スタジオに行けたらイイんですけどね~。
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花の散る頃・・・

春の土用の真っ最中、いかがおすごしでしょうか。旧暦では、今年は「閏月」があるのでまた3月に入っております。

ブログでは季節ごとに書いてきたネタですが、簡単に土用の説明だけしておきますと、それは季節と季節の合間の過渡期です。生殺二道の土用は、古い季節を殺し、新しい季節を芽生えさせるダイナミクスな力を持つ時期です。この時期は人によって好調・不調の差が激しく、昨日まで元気だったのに今日はダメだということはよくあります。また、土いじりや改築は基本的に回避すべきことです。今は春の土用なので、もうじき「夏」ですよ。

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ゆうたん

古今東西、人間が大好きなものに「くすり」があります。秘薬、特効薬、仙薬、霊薬etc・・・・・。基本的に「薬」と云うものは、とりわけ本物は特権階級が求めるものであることには変わりありません。今も昔も庶民には良くて大量生産品の余りモノが回ってくる程度です。

 

「薬と権力者」の図式が具体化してきたのは中国・秦の始皇帝の時代に始まると言われています。始皇帝が「永遠の命」を求めたあたりからです。「神仙術」「丹」という言葉が “ゆうたん” の続きを読む

白蓮の針(@劇団HANTOMO)

ホラ、綺麗やろ、濁った水の上しか咲かへんねん
                    でも誰も、ドブは描きよらん

  

  

 

 物語は幕末の大阪。商才溢れるお辰という女性の波乱と冒険に満ちた栄光と挫折の半生が、今は浮世絵の摺り師として暮らしている老婆の想いとして描かれるという流れである。

 毎度おなじみの「劇団犯罪友の会」。名前はいかついですが、まっとうな時代物・歴史物を得意としています。一度、野外演劇を観に行ってからすっかりハマっております。ここの色とすごく相性が良いんでしょうね。今回は再演で、私は2006年に観ています。月日が経つのは早いものです。

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あのバイク

おお、Bloggerに私のブログが列挙されるようになった!

片山さん、ありがとうございます。

列挙一発目がちょっとナナメな内容だったのはご愛嬌。計算違いです(笑)。

 

最近見て印象に残っているテレビといえば、「アメトーーク」のラグビー芸人特集です。ラグビーなんて興味も知識もなかったのですが、とても面白かったです。中川家の審判のモノマネ、「のっとりり~すざぼーるっ!」がすっかり口癖になっております。

そこから興味を持ってちょっと技術的なことを調べてみると、なかなかどうしてあなどれません。たとえば、ボールを持った選手にタックルに行く刹那、お互いに様々な駆け引き・攻防が繰り広げられているのです。単に全速力でまっしぐらに突っ込んでいるようにしか見えない・・・という認識は変わりました。

あの番組は、たとえその分野に興味が無くても楽しめるので好きですね。

 

さてさて。

「大友克洋GENGA展」やってますね。東京なので行けないのが残念すぎます。

http://www.gizmodo.jp/2012/04/genga.html

さらに驚きの動画。
大友克洋を知らない人でもコレを目にしたことはあるんじゃないでしょうか。

「みんなが夢見たあのバイクがついに完成」

http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/p63da0db83e426c729163a35b4d84e1eb

そして、通称「金田のバイク」が公道を走っているという驚き!!!
1983年に「AKIRA」に登場して以来、どれだけファンの心を掴んできたことか・・・。

 

 

あら、なんかしょぼい・・・・・・・・。エンジン音もスクーターみたいだし、何よりピーキーさが圧倒的に欠けている。

それもそのはず。
本来の設定は、「全長2.9m 全高1.2m 全幅0.8m」。そりゃ人が乗ったら違和感があるわけです。しかし、その意気はすばらしいです。これを見習って、早くどこかのメーカーが作ればよいのですが・・・・・・。ま、作るわけありませんけどね。

今のクルマの有様を見ていればよくわかります。

日本人のもともとの習性というのか、「クルマ=移動するお部屋」なんですよね。移動の手段のための乗り物ではなく、あくまでも自宅の一部、テリトリー、自分の城なんです。私はこの手の世にはびこっている概念が、そしてそれに気がつかずノウノウとしている人たちが気に食わなかったので、このあたり、大学の小論文で思いっきり皮肉って書いてやろうと考えたことがありましたが脳みそが足らず、見事に挫折しました。車体に傷がつこうものならまるで我が身を切り裂かれたように怒り狂いますしね。経済学的な広義的フェティシズム、つまり物神化で逆に我々を束縛するという云々・・・・。
話を元に戻します。

  
これはクルマ好きを称する人の意見の抜粋ですが、
 

>エンジンの音、振動、タイヤの感触、ハンドル切ったときの追従感、
>など、体で感じる楽しさです、
>従って最近の車は「つまらん」です、
>車嫌いが車を作っているので、音や振動を「不快なもの」として
>しまっています、
>車好きなら音や振動を「心地良い」レベルに仕上げるはずです、
>「CO2」=「温暖化」などのデマを振り回さずに運転の楽しい車が欲しいですね。

 

「ベンツは乗り味はどれでもいっしょ、BMWはそれぞれ異なる」という話も聞きます。ベンツは向こうでは仕事用のクルマですからね。
抜粋文も含めて私もその言うところはよ~くわかります。が、これらはマニアの意見です。しかも、外装ではないのだから、ある意味、タチが悪いwww。

少数のクルマ好きを満足させる、つまらなくないクルマばかり作っていてはたして採算が取れるのかというと現状ではとてもムリだということは明らかです。
ただ、
>作り手が不快なものとして捉えてしまっている
というのは、なるほどと思いますね。

日本では、高級車はとても便利なものです。公道では幅を利かせられます。右を見ても左を見ても走っているエル○ラ○ド類はそのまま走るお部屋になるし、ビッグスクーターは安定感抜群でまるで走るイスです。ピーキーさの欠片もありません。日本が誇るGT-Rですら新モデルにラグジュアリー云々をうたった時はショックでした(苦笑)。

ブランド、エコ、経済性、燃費、安全etc・・・。いま、何が求められているかということを考えると、「金田のバイク」は存在しないのです。

 

でも、世の中にはたまに上記の人のような「大バカ」が登場するので、小バカたちは諦めきれないんですよね。

 

さて、その前に二輪免許を取っておかないとイカンな。

サクラ

あら名残おしの夜遊(やいう)やな
惜しむべし惜しむべし
えがたきは時会いがたきは友なるべし
春宵一刻値千金
花に清香(せいきょう)月に影
春の夜の花の影より明け初めて
鐘をも待たぬ
別れこそあれ
別れこそあれ
別れこそあれ
待て暫し、待て暫し ・・・・

能「西行桜」の一節

 

私の習性でもあるが、どうもテレビとか雑誌とか、大々的に取り上げられ始めると途端に興味が失せる。花見もしかり(苦笑)。もっとも、元々そんなに行っていた方ではないが。

それはそれとして、ここ5年ほど、「花見」の推奨やプッシュが非常に喧しくなっているような気がするのだ。昨年の大震災の反動もあるだろうが、今年は妙に盛り上げよう盛り上げようという方向性を感じる。さらなる商業化? ガス抜き? さも年中行事のようにしてしまいたいのではないかと勘繰ってしまう。 

また、ほとんどの場合付随するものとしてBBQが挙げられる。なぜBBQをしなければならないのか? ゴミが恐ろしいことになっているのはご存知の通り。

本当に「花」を見に来ているのか、それとも「花見」という行為に参加している自分を演じているのか、花を見なければならないという強迫観念にかられているのか、それとも、花見をする情趣を私は持ち合わせていますよというアピールなのか。

作為的な「楽しみ」を「大衆」として満足するよう、操作されている気もしないでもない。

マイナーな趣味を自分で(人目を気にせず)楽しめる人の方が少ない国民でもあるから仕方ないといえば仕方ないだろう。叩いている人間が、いつのまにやらそ知らぬ顔で楽しむ側になる国民性でもある。

そもそも桜ほど日本人の栄枯盛衰、心の美しさも醜さも知り尽くしている花は他にないと思われる。奈良時代あたりまでは「梅」で、「右近の橘・左近の桜」のように平安時代から台頭し始め、鎌倉時代で西行や兼好法師が「桜がいちばんカッケーwww」といい始めたあたりから花木の頂点に立つようになります。奈良時代より古く、花見ないしそれに類するものはありますが、いずれにしても、基本、富裕層・支配層の遊興・社交です。江戸時代になってようやく庶民あたりに普及してきます。

散り際云々の話は、軍国主義(というより時の為政者)に利用されていたのはご存知の通り。潔く散るのが武士、なんてのは江戸時代の体制によってサラリーマン化された「武士」で、鎌倉~室町、戦国初期の武士だと、切り払ってもドンドン生えてくる葛とかドクダミくらいしぶとい。

 日本人の感情を掻き立てるとても便利な文化的記号あるいは「装置」ではないかな?

  

「桜の樹の下には死体が埋まっている」

という有名な表現は梶井基次郎の「檸檬」が最初だと言われている。日本人の「滅びの美学」なんてものが、果たしてあるやいなや。あったとしても、 誰にとって都合のいい美学なのか。

 

 

用事で京都市立美術館の近辺に行ってきたのですが、まぁ日曜日だけあって人の多いこと多いこと。バスなんて満杯でバス停をスルーしてばかり。疎水も通りましたが・・・・。

 

人のあまりいないところで花見がしたい(笑)

 

 

実は一度だけ経験があります。
佐賀県・有田にある佐賀県立九州陶磁美術館に行った時のことです。ここは小高い丘陵の上にあるのですが、美術館に至る道には桜がたくさんありまして花吹雪の中、美術館へと登って行きました。朝早かったので人はあまりいませんでしたね。

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