朔日参り 5/1

天皇陛下、19年4月末退位・5月1日改元へ
新元号18年にも公表。

天皇陛下は2019年4月30日に退位され、翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される。

 

すでにニュースにもなっておりますが、その一年前であるこの日、5/1の朔日参り。なかなか感慨深いものです。

氏神様の「月次祭」+「おついたち参り(朔日参り)」を済ませた後、神職さんとの少し雑談の中で、

「来年の今日、”神恩感謝”とともに”皇室弥栄”を是非お願いしようかと思います」

”皇室弥栄(こうしついやさか)”というひとつの祈願内容ですね。たまに祈願メニューの中に書いている神社もありますが、あまりお目にかかることはないと思います。

伊勢神宮では”皇室と国家の弥栄”が当たり前であり、またこういう折には神社庁からそういう祭礼をするようにお達しみたいなものがくるそうです。

 

その後は奈良・大神神社に行きまして、遅まきながら今年の初参拝+神恩感謝の祈祷。こちらの方はさすがに地元のみならず全国からの信仰篤い神社でありますので、「朔日参り」の参拝客が大変多かったです。大神神社は大変に古い神社であり、古き神でもあります。天津神でも国津神でもない、この日本に古くからいる神様です。

10時の月次祭が終わったあとなので少ないかと思っていましたが、正午過ぎでもけっこう祈祷を受ける人が多くて、逐一祝詞の中で名前と住まいを読み上げてくれるのですが、ちょっと正座していた脚が痺れてしまいました。

遠くは埼玉から来ていた人もいましたね。

御山への登拝も隣の摂社・狭井神社で受け付けていますが、こちらもごった返してました。ハイキング感覚の浮ついた人も・・・。御神体に登らせてもらうという意味を考えると大変に畏れ多いことです。

 

いろいろな祈願もありますでしょうが、やはり「自己の内省」「生活の節目」こそが朔日参りの意義かと思います。

20th.FREE WAY DANCE FESTIBAL 終幕

能舞台

 「…手前にある舞台は、現世でのドラマの展開する場所で、此岸を象徴している。
 それにたいして、背後にある楽屋は、彼岸で、あの世を象徴していると考えられる。
 たとえば舞台への出口は鏡の間と呼ばれ、ここでは、あの世にいる霊魂を演者がその身体に感知し、それと一体化をなしとげ、劇中の霊魂そのものに変身する場所だといわれている。
 この二つの世界をつなぐのが橋懸で、此岸と彼岸の通路である。
 舞台と鏡の間の関係は、この世とあの世、此岸と彼岸という具合に、空間の二分法に従っている。
 舞台はこの世をあらわしているとしても、観客がそこに立ち入るわけにはいかない。
 あくまであの世の霊魂が降臨する場所で、その霊魂との対話がなされる。」
                                            -「能の舞台空間」磯崎新

 

能舞台とは異なるが、それでも発表会に演者として出る意義は、舞台、客席、舞台裾などを通して「此岸、彼岸、境界」をほんのわずか感じることが出来る。日常から切り離された無意識の領域に踏み込める。それが人生においてどれほどの意味を持つかはわからない。しかし、ユングの心理学でいうところの、自分の「影」をちらりと見ることができるのだ。

 

影はつまり、自分で認めたくない負の面、不足している部分、誤った態度、抑圧された願望など。そして、その人自身が大して評価していないようなもの、どちらかという否定しているもの、抑圧しているもの、未発達なもの、それらは「自我」から締め出され、影となる。

 

 

ゲネプロが終わり、しばしの休息&食事。

控室では黙々というほどでもないけれど、そこまで話が弾まない感じで食事が進んでいる。和室で畳のせいか、
「ん・・・ちょっとダレるかな・・・」とはBON先生。

たしかに和室はちょっと落ち着きすぎるかもしれない。

時計の針と周囲の動きに気を配りながら軽く予定を立てる。着替えや変装の段取りや、練習したり、息抜きで雑談したりする。着替えの準備、雑談、練習、雑談、ボーッとしてまた雑談。toshimi先生が気を遣ってくれて、舞台の美術係(?)の人に頼んでJAZZ用の帽子に蓄光テープを張ってきてくれた。
途中で帽子を脱ぎ捨て、はける時にそれを拾うのだが暗くて見えにくかったのである。

 

みな、思い思いの時を過ごす。

「・・・。」&「・・・。」&「・・・。」

そして時刻はイチナナマルマル。一七〇〇。

開場である。同時に「01.Jazz hiphop -GAN-」のメンツが動いた。開始である。

私は「最後の悪あがき(という練習)」をしてから着替えを済ませて、舞台裾に向かう。06番なのであまり時間はない。ところが降りてみるとまだ「01番」の進行中だった。少し時間がおしているらしい。

舞台裾で眺めていたが、ゲネの時より動きがイイんじゃないか? 何より表情が明るい。開幕に相応しいステージ。先陣を務める栄誉というのはそれほどまでに動きのキレを鋭くするのであろうか。ステージが終わり、「場をあっためておきましたからっ」と息を切らしながらコメントするN氏。

続いて、今回、随一の衣装を誇る「04.はじめてのBallet」も実に見事。やはり本格的な衣装はひと味違う。

独演の「05.Theater」。見ているけれど次が出番なのであまり頭に入らない・・・。最後の最後のミーティングではToshimi先生から励ましのお言葉をいただき、意を決して出撃。舞台の客席のざわめきが否が応でも緊張感を高めてくる。

「06.Basic Jazz」。

久しぶりのJAZZの舞台は実に感慨深い。

今までの発表会出場の中で、一番大きく踊れたのではないかと思う。後で教えてもらったが、多少ではあるが「笑顔」になっていたと。

それだけで十分である。

 

蓄光テープのお陰で脱ぎ捨てた帽子の回収も問題なく、無事に舞台からはけることができた。Toshimi先生とメンバーで解放感と達成感、喜びを分かち合う。お決まりの、いつもの光景ではあるが、それがイイ。次の出番もあるのでメンバーも早々に解散し、それぞれの準備に取り掛かる。残念ながら「07.」~「15.」までは観ていない。

先のブログにも書いたと思うが、あまり舞台裾で他の人を観ていると影響されて良くも悪くもブレる。そのため極力、観ないようにしている。モニターだと映像として観るので空気までは感じないので影響は少ないから平気なのだが。

控室で次の出演支度を開始。先に服を着替え、ウィッグを整えつつ、舞台の進行状況を見計らってヒゲを装着する。待っている間はガンプレイ(クルクル回すアレ)や振りの練習、合間に雑談といった感じ。

「13.HIPHOP(初級)」が終わったころにヒゲを装着開始。接着剤を口周りに塗布し、半乾きになったところでペタペタと張り付ける。ウィッグを被り、髪型を調整。最後に帽子を目深に被ったあと、煙草をくわえてから全体的なフォルムを整えて出来上がり。

ここから後は「次元大介」である。猫背気味で寡黙。付けヒゲのせいで口周りが動かしにくく、かなり喋りにくいのである。ヒゲをつけ、ウィッグを被り、目深に被った帽子。そしてくわえタバコとなると、それだけでけっこう気力と体力を消耗するのだ。

フリーウェイとしては珍しい部類に入る「16.コンテンポラリーバレエ」を眺めつつ、「17.Jazz3-Toshimi-」のステージを観る。音楽、振り、衣装のバランスが大変よく、耳馴染みに良い曲「Can’t take my eyes off you」とも相まって中盤の盛り上がりは相当なものではないかと思われる。

さて、TAPグループ。今回のTAPの布陣は過去最高ではないかと思う。
「19.」のパフォーマンス。「20.」のコミカル。「21.」のオーソドックス。これ以上ないと言ってもよい。

「19.Tap(adv)」においてはアドバンスの名に恥じず、非常にパフォーマンス性が高い。多人数であるだけでなく、様々な技を合わせての表現。「カップソング」や椅子を使った見せ技がTAPというものの幅を広げてくれる。良く出来るもんだなぁ・・・と。とりわけ今まで様々なパフォーマンスに取り組んだTAPのベテラン会員H氏の集大成ともいっても過言ではない。

「20.Tap(beg.)」はおそらく発表会史上初と思われる徹頭徹尾100%「コスプレ」での出演。「ガンプレイ」を織り交ぜて、「ルパン三世」における次元大介の世界観を再現。

「コスプレしてダンスをする」簡単そうで簡単ではないチャレンジ。いやホント、やってみれば分かります(苦笑)。技術的に難しいというよりも、調達・調整・調合ですね。
衣装・小道具などの「調達」
実際の動きやすさと耐久性、特徴的なアクションなどの「調整」
ダンスの振り付けとキャラの役作り、特徴などの「調合」

「21.BASIC Tap」は正統派TAP。一切の隠し味も余技も追加しない。スーツで極めたオトナの香りが舞台に満ちる。締めが正統派で終わりよければすべてよし。

「TAPの見どころが、実は分かりにくい」という意見もあり、今回は様々な局面におけるTAPの在り方を示すことができたのではないだろうか。

リボルバーの拳銃を持っていたのに「イジェクション(排莢)」が出来なかったのが唯一の心残り。コレをやることが出来れば、会場中の男どものハートを鷲掴みに出来たであろうに(笑)

※イジェクション(排莢):空になった「薬莢(カートリッジ)」を排出する動作。リボルバー拳銃における特徴的な動作のひとつ。ドラマや映画、アニメ等でのアクションとしては欠かせないワンポイント。女性にはまったく興味のないもののひとつ。

汗をかきかき控室に戻り、休憩しつつヒゲを修正。

すべての演目を終えた・・・・いや、最後のフィナーレが残っている。やらねばならないアクションがまだ残っている。なので、ちょっとだけ練習。

そして、いつもの光景だ。

20th.FREE WAY DANCE FESTIBALの最後のショウが幕を開けた。ショウの演目は「28.JAZZ-05」。

・・・を舞台裾で眺めながら、フィナーレを待つ。

暗幕の舞台裾。音楽が時を刻み、眩い光が皆の輪郭をぼやかす。誰一人として言葉を発する者はいない。恍惚と解放感、儚さと・・・。ひとつ煙草をふかしてみたくもなる。

「タバコはもうくわえてなくていいんじゃなくて?」
「いや、最後まで次元大介を演ってなくちゃなぁ」

そしていつもこのセリフを思い出す。
「ピーターパンのネヴァーランドでもなければ、どんな遊びも楽しいことも終わりが来るのだから。」

『蜂と神様』      金子みすゞ

蜂は お花の中に
お花は お庭の中に
お庭は 土塀の中に
土塀は 町の中に
町は 日本の中に
日本は 世界の中に
世界は 神様の中に

さうして さうして
神様は   小ちやな 蜂の中に。

 

「JAZZ-05」が終わった・・・・。「29.FINALE」である。観客の喝采を一身に浴びるこの高揚感。そしてすべてを終えた解放感。
まだやることは残っている。クラス紹介だ。変装、仮装をする楽しみにはここにある。

「06.BasicJazz」に次元大介の姿で出る事の快感。観客の誰もがまさかJAZZにも出ていたとは思うまい。ほんのわずかではあるが、次元の衣装でJAZZを踊る楽しさ。たまらないものがある。最後に煙草を軽く口から離して挨拶。顔を隠すコスプレをしたのは本当にこのためだけ・・・ではないが、かなり大きい理由なのである。

「20.TAP(beg.)」では銃を手に持った状態で出て、踊った後の挨拶で軽くガンアクション+投げキッス(これはメンバーで打ち合わせ済み。不二子ちゃんらしくやろーぜ、と)。ここまできっちり余すことなく出来たのは片山さんのフィナーレの稽古のお陰かもしれない。

さらに最後、ぜんぜん知らない観客の人から写真をお願いされたのはもう最高であった。コスプレ冥利に尽きる。コスプレと言っても舞台用のアレンジがなされているので近くで見ると思ったほどでもなかったかもしれない。ちょっと映りが気になるところ。

 

かくして発表会も幕になりけり。記念すべき20回目に出られた幸運を喜ばずにはいられない。

それは咲いている時間のとても短い花だけれども、また懸命に咲くのです。

 

さて、Amemuraさんの発表会まとめ。今回は演者側だったので全部を観ることはできませんでした。個人の独断と偏見によるベストファッション、新人賞、インパクト賞、優秀賞などはございません(笑)。ただ、「敢闘賞」はございまして、やはり「22.Stylish Ballet」に出場された「mei先生」をおいて他には無し! 常に前線に立ち、かつ新境地を開拓するその意気込み、感服いたしました。

 

今回の衣装は「スーツ」が多かったですね。”次元大介”が目立たないな~と(苦笑)。カッターシャツ系の衣装も多く、早着替えやアレンジがしやすい為だと思われます。突出したコーディネイトはありませんが、衣装的な完成度の高さと目立ち加減ではダントツで「04.はじめてのバレエ」。やはりK氏が「ベストドレッサー賞」ですね。

Toshimi先生に衣装案NGを喰らう率の高さがトップな私をもっともっとうならせる衣装をお待ちしております。

全体的に見るとTAP(beg.)のチャイナドレス+網タイツがセクシー系としてはトップクラスで「読み通り」(笑)の注目度。「不二子ちゃん」のコンセプトなので私からは「分かりやすいセクシー系。80年代のハリウッド女優的」の注文を出していましたが、女性メンバーが見事にチョイスしてくれた感じです。

出演者としては4~6クラスの掛け持ちの人がそれなりにいました。そういう意味では発表会慣れしている人や意気高く臨んでいる人が多く、良い意味で緊張感の張りつめていない舞台だったのではないかと。舞台裾でもあまり緊張感でガッチガチという人も少ない感じです。また、人数の多いクラスが増えたので見ごたえがありました。まさにJAZZの醍醐味といえましょう。

 

20回目としてふさわしい発表会でありました。

では、またの舞台でお会いしましょう。
劇中劇さながら、「この世は舞台」の中のさらに舞台に立つ奇妙さと、面白さと・・・。

 

I hold the world but as the world, Gratiano;
A stage where every man must play a part,
And mine a sad one.

「世間は世間、それだけのものだろうグラシアーノー、

つまり舞台だ、人はだれでも一役演じなければならぬ、

そしておれの役はふさぎの虫ってわけだ」

(『ヴェニスの商人1113ページ)

 

 

2018 西宮のおばちゃん論争

13日に「火垂るの墓」が放映されてました。もちろん恒例の「西宮のBBA論争」も勃発。

 

ネットでは擁護派と否定派に分かれて延々論争する、毎度おなじみの光景です。こちらはマスゴミに変に取り挙げられて失速した「バルス祭り」と違ってまだまだ楽しめますね。

 

西宮のババアの鬼畜の所業に憤りを隠せない否定派が放ったキャッチコピーの中で傑作は、

 

悪魔の住む街 西宮

https://www.nishi.or.jp/

 

たぶん前回放送時だったと思いますが、これを超えるキャッチコピーはなかなか出ないですね(笑)。

 

擁護と否定に分かれますが、そのほとんどが観る年齢によって見方が変わるのです。

 

子供ワイ「節子清太かわいそうすぎる…」

思春期ワイ「ババア死ね!!!」

大学生、20代ワイ「清太糞すぎない?もっと大人になれよクソガキ」

社会人、30代ワイ「なんやこの糞ババア、もっと清太に助言してやれよ。このババアが元凶だわ」

火垂るの墓って見る年齢によって見方変わるよな

 

かとおもえば、

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565: 名無しの七氏 2018/04/13(金) 22:27:42.73 ID:+V+ycOdE0
>>344
ニートが多いこの時代、助言が何も意味ないことを知る
結局痛い目を見なきゃ何もわからないんだよ

 

602: 名無しの七氏 2018/04/13(金) 22:28:03.88 ID:vtqcEMI00
>>344
アラフォーワイ、全部戦争が悪いで終結

 

622: 名無しの七氏 2018/04/13(金) 22:28:12.88 ID:g6Wx2Uw1M
>>344
清太もババアも戦争の被害者や
戦争が心も貧しくしてしまうんや
**********************
このような展開もあり、結論が出ないが故にとても面白いのです。
今回は、人の母親のものを強引に売ったことへの非難が多かったように思います。「これお前らの取り分な?」「お前らの分の米よこせよ」って言ってる奴のどこに正論があるのか?と。
また、ババア視点は老害になった証拠という意見も多いようで。(見ている年代が上がってきている?)
さらに、故・高畑勲氏がどう意識して描いたのか、インタビューに残っています。

(アニメージュ 1988年5月号)

それを元にした見解ですが、やはり論議はつきません。

***********

清太が間違った判断を下したのは確かだが、
全体主義から逆転し個人主義的な考え方が
広まってきた時代(公開当時1988年)において、
多くの人々は清太に共感するようになったのだと指摘している。
そしてさらに、ある種予言のようにこうも語っている。
—————————————————————-
もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、
いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。
全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。
清太になるどころか、
未亡人以上に清太を糾弾することにはならないでしょうか、
ぼくはおそろしい気がします。
—————————————————————-
前述の「清太が悪い」という意見はまさに
高畑勲さんが危惧していた事態である。
もちろん公開当初にも
清太には共感できないという人もいただろうし、
今現在も社会生活を拒絶した清太に共感をもつ人もいるだろう。
しかしそれでも「清太を糾弾する」流れが
これだけはっきりと見えてくるということは
この30年で社会の風潮や「空気」が変わったことはやはり確かなのだ。
全体主義に合わせられない者は悪。
非国民であると。
現代的な言い方をすれば、
社会に合わせられない者の無能さや愚かさは
「自己責任」でありそれによって困窮したり最悪命を落としても
それは同情されないものでむしろ責められるべきものある、と。
そういった視点を意識的、無意識的に関わらず
私たちは清太に向け始めているのだ。

20th.FREE WAY DANCE FESTIBAL 第三幕

オーストリア ブレゲンツ音楽祭(ボーデン湖)より「仮面舞踏会」
野外オペラの舞台

 

いつも自分をきれいに明るく磨いておくように。
あなたは自分という窓を通して世界を見るのだから。

 

- バーナード・ショー -

ジョージ・バーナード・ショー(1856~1950)アイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、社会主義者、ノーベル文学賞受賞。

 

14:00よりゲネプロが開始。
進行、振り、衣装、立ち位置のすべてが本番と同じである。違うのはお客さんがいるかいないかだけ。

いったん動き出した後の展開はかなり早い。時計の機械仕掛けが狂ってるんじゃないかと思うくらいだが、これは発表会に出てみないと分からない。

いつものことだが、プログラム「ナンバー.01」というのはちょっと考えただけでも緊張する。今回の先陣は「Jazz HipHop -GAN-」。メンズから二人が出るのだが、傍目には緊張している感じは見えない。流石である。

「幕が上がって、踊り出す」。客席からの、新鮮な期待と興奮を一身に受ける栄誉とともに、場を温める重要な役目もある。私の出番もそんなに遠くなかったので裾から見ていたが、実に良い感じ。上手いとか下手ではなく、場と曲に一体化しているといった具合。

フェスティバルの幕開けに相応しい。

続いて「04.はじめてのBallet」。おそらく今回の衣装ではもっとも本格的。このような衣装を身にまとうことができるのは実に羨ましい。

そうこうしているうちに出番である。「06.Basic Jazz」。6番手ともなると早い。緊張する暇もない。舞台に立てば、いつものように音楽が流れる。何の違いがあるのだろうか・・・と思うけれども、やはり舞台ということでやや硬いか。「ただ思い切り、踊る」。これが難しい。

脳内はまさにこんな感じか?

 

「感覚の偏り」というのが生じる。視野狭窄だったり、周りが見えすぎたり、ある音が聞こえすぎたり聞こえなさ過ぎたり、脚がフワついたり、動きが遅く感じたり・・・・。

それはその時になってみないとわからない。そして偏ったまま踊るしかないし、それはそれでどうとでもなるのだ。

結果として、脱ぎ落した帽子を舞台裾へはける時に回収していく算段だったのだが予想以上に見えなくて難儀したことと、やはり表情が固いこと。反省点ではあるがあまりに拘り過ぎると「豆腐メンタル(笑)」では本番にも差し支えるので、先生もやんわりと指摘する程度。先生のフォローが有難い。

 

いったん始まってしまえば次のクラスのことで頭が切り替わってしまうので、失敗に拘りたくてもこだわれない。とりあえず私は着替えもあるので控室に戻り、支度をする。同じクラスの人も同様だ。次の出番もあるし、着替え補助もやらなくてはいけない。
先生のアドバイスを受けた後は解散し、それぞれの役割を果たす。

私はつけヒゲやウィッグ等の準備もあるので、おおよそのタイミングを計りつつ、変装を開始する。あまり早くやりすぎると接着度が落ちる事と、精神的な疲れが出てくるので、意外に大事である。「最後の悪あがきwww」(練習)もしなくてはいけないから完全には変装できない。

他のクラスも見に行きたいが準備があるし、いったん変装すると疲労をさけるために動きたくなくなるのだ。出入りする人たちに今の進行状況を聞き、把握しておく。

他のクラスを見ていると、「私もしっかりやらねば」と思ったり「私だったらこうする」なんてことを考えたりもする。良くも悪くも気持ちが揺れるのであまり見ない方がイイとは自分では自覚している。なので控室から出ることは少ない。前の控室の時はモニターがあったんだけどなぁ~(悲)。

そうこうしているついに「TAPグループ」の出番が近づいてきた。私も変装を済ませ、心の準備も終わっている。メンズでぞろぞろと控室から移動し、舞台裾で出番を待つばかり。
ひとつ前の「19.TAP(adv.)」を眺めているけれど感心することひとしきり。複合で様々な技を見せる。椅子だのカップだの、小道具も多い。さすがアドバンスクラス。

「20.TAP(beg.)」はメンバーが上手下手に分かれるので出番待ちは、ちと寂しいか(笑)。

さて、この時ばかりは「私」ではなく「次元大介」の出番がやってきたわけですが・・・。

ゲネなので客席の反応が無い(苦笑)・・・・・などと生意気言ってすみませんが、そんなこと考えるくらいの余裕はあったということで。
不二子ちゃんたちも拳銃を落とさなくて良かった。
(練習中では何度かホルスターから落下したので)

タバコ咥えて、ウィッグ被って、TAPシューズを鳴らして、おまけに「次元」に成り切るという脳内メモリーを消費するのは疲れる。

先生からは立ち位置の指摘。これはちょっと意気込み過ぎて空回りしたかもしれない。位置関係が疎かになってしまったのは明らかに失敗であった。

 

これにて私の演目はすべて終わり、ちょっとした解放感を感じながら控室へ転がり込んだ。「これで一段落ついた~」と言いながら、帽子を脱ぎ、ウィッグを取り、ヒゲまで取ってしまった。

フィナーレがあるのを忘れてた・・・・・・。

フィナーレでは次元で出る予定なので仕方なくもう一度ヒゲを付け直す。今取ったヒゲは少し湿っているのでくっつきが悪い。予備の新品を使うことにした。新品は新品で馴染みが悪い。

トリである「28.JAZZ-05」が始まる前くらいには舞台裾で待機。舞台裾から「JAZZ05」を眺めているこの光景はいつも変わらない。いつの発表会だってこれだけは変わらないのだ。でもまだ、「本番」前の雰囲気がある。

そしてJAZZ-05が終わり、フィナーレの始まりだ。クラス紹介、JAZZの時はどういったリアクションをするか、TAPの時は拳銃をどのタイミングで回すか?そんなことばかりを考えていたのだが、ゲネプロではクラス紹介まではしなかったのである。思わぬ肩透かしになった。これこそぶっつけ本番になってしまったが、まぁ仕方ない。こんなことを考えているのは私だけだろうな、と多少可笑しかったが。

一山越えて、ちょっとした満足感とともにドヤドヤと控室に戻る。次元のコスを初めて見た人もいるので地味に視線が突き刺さる。こんな人もいるんだよ~~ッて感じだが、相変わらず「衣装とコンセプトの突き抜け具合」だけならスタジオでもトップクラスであるという自負はある(笑)。

ついに「本番」が始まる。
それは怒涛の嵐のように。

20th.FREE WAY DANCE FESTIBAL 第二幕

舞台吊物図(上から)
緞帳、中割、文字幕、大黒幕の幕類のバトン。ドロップや大道具など吊り込んで使用するバトン。照明用のバトンがあります。ほかにも音響反響板、スクリーンなどが吊物としてあります。バトンの本数は劇場によって違いがあります。

 

土方は醜悪な美と悪魔的な変身と嘲笑を引き連れて死者の屍衣をかぶって出現した。死の視点から肉体を観念したこの踊りは昭和元禄で浮かれている日本の首都に真っ赤に熱した太い杭を打ち込み、灰神楽の中で闇をばらまいたのである。(焼け落ちた橋)とは戦争の焼け跡で全身火傷をしながら天界と地界の間に立ち尽くしている人間のことである。天と地の架け橋が燃えているのだ。刻々と死につつある人間のことである。生きたい何としても生きのびたい。耐え忍ぶ痛みと汚らしさ、人間という条件や輪郭をすでに失っているのだ。焼け跡と狂気。

『舞踏譜考察』 和栗由紀夫 より引用

いわゆる「暗黒舞踏」。土方巽(ひじかたたつみ)なんて誰が知っていようか。スタジオで聞いたところで片山さんくらいしか知らないだろう。私もそこまではよく知らないし、そもそも(ライブで)見たことがない。父が「寺山修司」が好きだった関係でその手の本があったのが切っ掛けである。また、大学の時に知り合った知人がテント芝居やそのあたりの暗黒舞踏をギリギリライブで観た世代であったので耳学問として知っている。
私が観たのは土方巽の次世代である田中泯だ。

ダンスにおいて、健康な肉体の美と力の一致がお題目のようになっているのは間違いない。健康な肉体の美と力の一致。それについては異論は一切ない。だが、斜め上にあるものを見に行ってしまうのは私の癖なので気にしないで欲しい。こういうコトも知っておきたいのだ。また土方巽は「欲望のオブジェ、そういう技術を入れておく器が肉体である」と言いながらも「世界で一番遠いものが自分の肉体」という言葉も残している。

考えれば考えるほど分からない世界。非言語的表現に言語で挑もうとする愚かなるスタジオのドン・キホーテこそ私、そういう結論。先生だけが温かく見守ってくれる優しい世界(苦笑)。

3/11(日)本番当日

さて、発表会当日で最初に気になるコトがある。それは楽屋。狭いか広いか、舞台から遠いか近いか、モニターがあるかないか・・・。

12:00:出演者入り開始

今回は「和室」。舞台裏が地下2階に対して3階の和室。「おおぅ・・・」と呟いてしまった。
案の定モニターは無く、鏡もない。まったり感だけが有難い。

和室にはJAZZに出る人と一緒に一番乗り。張り紙をよく見ておらず
「和室ぶち抜きで全部使えるな~」と喜んでいたのもの束の間、女性陣が入ってきて「きちんと男性部屋と女性部屋を仕切って使うんですね・・・」と気づいて意気消沈。
到着してからの持ち物チェックが意外に大事なことは言うまでもない。

ぞくぞくと男性陣が入ってくるなり部屋の感じに微妙な顔をするのが少し面白い。

挨拶も兼ねて浅い会話を重ねる中、TAP最終レッスンで撮った「ソロパート@排莢バージョン」を皆に披露する。概ねウケが良い。なんで次元のチョイスなのかも実に理解と賛同が早い。女性陣はほとんどが「ルパンの曲なのになぜルパンでないのか?」「排莢?」という反応ばかりだったので実に愉しい。

リボルバーの排莢はロマン。ジャラっとな。

男のロマンは男にしか分からぬ。分からぬのだ(悲)。

1215:全体ミーティング
片山さんをはじめとした先生方、スタッフの皆さんとの、舞台前の最後の顔合わせであり、大体のスケジュールの流れを確認する(認識させる)大事な過程でもある。
不安にさせまいという心遣いが有難い。

いつも、だいたいの先生方が言う言葉は決まっている。ここまで来たらその言葉以外に何があろうか。言語表現の限界だ。それを信じるほかはない。そして信じるに値する言葉でもある。

1300:サウンドチェック
TAPグループの音チェックである。TAPマットが敷かれ、音や立ち位置などの確認をする。スタジオとは違うのでこちらも感覚を調整していかないといけない。

画像はイメージです

1315:フィナーレの稽古
全員がぞろぞろと舞台に集まってフィナーレの練習が開始。
トリである「JAZZ05」が終わった直後からフィナーレが始める。舞台裾からササッと出て、おおよその所定の位置に出る、というものである。あとはクラス紹介の時に各個が前に出て、2×8ほど踊るのだ。

私は今回は特に楽しみだ。私とは分からない仮装状態で別の出演クラス挨拶に出るのが楽しみで仕方がない。”次元”でJAZZをちょっとだけ踊れるのだ。JAZZクラスはタバコ強調で、TAPは拳銃持って出ようかな~なんて考えながらやっていた。

いつもながら和気あいあいとして、緊張感は良い意味でも悪い意味でも、無い。そう、「悪い意味でも、(緊張感が)無い」ことが・・・。

「・・・もっかいやりなおすでッッ!」と片山さんが声を出す。
全体的な雰囲気もさながら、立ち位置やフリがグダグダ気味。
「フィナーレだからこそしっかりと引き締めたいし、全員がそろえばもっと良くなる」

「先生方も立ち位置確認したって!」と激しく言葉が飛ぶ。

どちらかといえば本番のみに気が行ってしまっている出演者全員も、一気に身が引き締まるのが雰囲気で分かる。雑談の内容が立ち位置やフリの確認になる。
実際問題としてこうあらねばならないとは思う。楽しかった楽しかったばかりではダメなのだ。やはりそこは舞台。最後の最後まで「演じなければ」ならない。
舞台からはける瞬間まで、なのだから。

けっこう時間をかけて稽古が続く。我々は演者である。本番踊ってオシマイ、ではない。その再確認としては直々に指導を受けられた千載一遇の機会、ともいえる。

私としてもこのおかげで過去最高のフィナーレを迎えることができた。「仮装状態」、「ワンアクション」をプラスできたこと、振りもきっちり踊れたこと。やはり全員がしっかりできたからこそのものだと思うのだ。

1400:ゲネプロ開始

状況が開始される。

ここからが、早い・・・・・!

 

 

20th.FREE WAY DANCE FESTIBAL 第一幕

舞台構造

 

「一番良い映画は一番新しい映画です。
あなたのような若い人がそんなこと仰っちゃダメよ」

淀川長治

 

「FREE WAY DANCE FESTIBAL」。
フリーウェイダンスフェスティバルの良いところは、常に新しいことだ。
一番良いフェスティバルは一番新しいフェスティバルだ。

発表会当日が終わって、寝て起きて次の日の朝になって、仕事が終わってスタジオに行けば、とっくに過去の遺物だ。スタジオでも誰一人、ろくに覚えちゃいない。あの時は・・・この時に・・・決してふりかえらない。

思い出に誰一人、浸っていない。

それでいい。

だから常に新しく、また限りなく若い。

映画を観ることは娯楽ではありません。映画は人生の教科書。人間勉強の場なんです。
〈中略〉
だから、わたしは一週間に一回ぐらいは映画を観に行ってほしいと思っています。
なぜ、観て欲しいのか。
それは映画は現代の教室。”今日のもの”だからなんです。どんな作品でも現代とともに生きているんですね。人間関係の葛藤、生活の匂い、風俗などが今の感覚で描かれていますね。
ですから、昔の名作をごらんになり勉強なさるのもいいでしょうけれど、新しい作品をどんどん観てほしいんです。
 〈中略〉
今、世界の人間がなにを考えているのか。映画はわたしたちにそれを教えてくれているんですね。
そんなわけで、みなさんも面倒くさがらないで、新しい映画をどんどん観て、ご自分の栄養にしてほしいと思います。

淀川長治 『日々快楽』

 

発表会は「発表会」に過ぎない。映画と違って人生の教科書とか人間勉強の場とか、そこまで言うつもりはない。しかし「今日のもの」というのは賛成だ。

栄養にはならないかもしれないが、教養にはなるだろう。生きて動いている「舞台裏」を知ることが出来る。あなたがどれだけ緊張しようが舞台はあなた以外の多くの人によって進行していく。
どういう想いがあれ、「真実」はその人の立場によって複数存在する。しかし「舞台」は「事実」であり、始まってしまったら、それ1つしかないのである。

 

カール・ラガーフェルド(1933~)
「シャネル」のアーティスティック・ディレクター
自身の名を冠する「カール・ラガーフェルド」の元締めでもある。

「私は過去に価値を見い出しません。行動に移す前に考えることが必要だと思っています。過去についてメモをとる必要はないし、過去に成功した誰かについて知りたいと思うこともありません」。

「私は『シャネル』や『フェンディ』のアーカイブを詳しく調べたことは一度もありません。それは、私にとって不健全なことなのです。でも他の人たちにとってはそれが面白いのは理解できますよ」

http://www.afpbb.com/articles/-/3047039
2015年のインタビューより抜粋

では、明日、舞台で遇いましょう

 

There are more things in heaven and earth,Horatio Than are dreamt of in your philosophy.

「ホレイショー、天と地の間にはお前の哲学などには思いもよらぬ出来事があるのだ」

『ハムレット』第1幕第5場より

 

思いもよらぬは舞台なりけり。

終ったところで後にも先にも何も残らない。断片的な記憶と、舞台に出たんじゃないかな?というかすかな感触だけが脳裏をさまよっている。

今日の、何年かぶりの「場当たり」を観ていて、皆はどうして発表会に出るのだろう?と今更ながらに思いを巡らせた。意外に若い子の方がそこまで考えていない。シンプルだ。逆に、年寄りの方が意義だの意味だのを必死で見出そうとするのだろう。

まして、哲学など思いもよらぬ出来事がある。

久々に舞台に立ってつい浮足だってしまったのか、場当たりが終わったら階段から降りずについ舞台からピョンと飛び降りてしまった。明日はここで本番をやる身としては、随分とはしたないことをしたものだ。

 

そうそう。締めのフィナーレにそなえて皆が舞台裾に集まって待機するのだが、その時に最後の演目であるJAZZ5を観る。(オンステージなので当然だが)誰も言葉を交わさない。この時の光景と皆の顔は、美しくもあり、切なくもあり・・・。

砂時計の、砂が落ち尽すあの刹那にも似た空気は言い尽くせない。落ちていく砂粒を惜しむようにそのひとつひとつが見えそうなほど心が研ぎ澄まされている。
けれども、「もう終わる」という過ぎ行く時間を押し留めることが出来ないその無力さも感じている。

では、明日。
足を運んでくださる見知らぬ多くの人々へ、舞台で遇いましょう。

 

 

ファイナルステージ そして本番へ

20th.FWDF(フリーウェイダンスフェスティバル)まであと4日。

今日は遅れながらの「おついたち参り」。朝からスーツを着て、お酒を買いに行ってから参拝。普通の日でしたが、神職さんと私の都合で祈祷の予約がこの日しかなかったのです。

『「白山比咩神社」のおついたちまいり』より

 

本日の奉納のお酒「ロ万(ろまん)」会津のお酒です。いくつかシリーズがあります。
前回、店で店主が別のお客さんからの電話の問い合わせでこの酒の名前を口にしていたのを覚えていました。奉納用と自宅の神棚用の量り売りの物を購入。

神棚にお供えしたのを下げて晩御飯の時にいただきましたが、実に美味い。濃厚な感じでかつ甘口タイプ。それでいて引き締まっている。オリーブオイルをつけたパンにもシチューにもハンバーグにも合う。これはたまらない味わいでした。
お酒はそこまで強くなくて、疲れや体調次第によってはあっという間に寝落ち必至。そうなると何もできなくなってしまうので、そう気軽に飲めないのが困ります。月に一回のお供えで余ってくるのですから消費ペースはかなり遅いです。

参拝後は時間があったので作法の簡単なレクチャー。ついでに神職さんと長話をさせてもらいましたが「作法のための作法であってはならない」と。やはり大神様への気持ちが最たる物であり、形として「深い礼が3秒」といっても心中で数えているようではそれはむしろ良くない、ということです。また、これみよがしに「出来る事」をひけらかすのもまた宜しくないのです。

「自己の顕示に陥るべからず」ということで、それはダンスにも似たようなことが言えると思います。発表会においても自分のためではなく、見に来てくれる人のために一所懸命になることが肝要である、そういった神意かもしれませんね。もちろんフリーウェイの片山さんも「自分のためにかっこつけて踊らんといて。見に来てくれるお客さんのために踊って」とおっしゃっていたのも記憶に残っています。

「躍動感」こそがJAZZ
どこで切り取っても、それはJAZZ

 

火曜に「BASIC-JAZZ」がファイナルを迎え、あとは発表会を残すのみとなりました。随分とブランクがあったJAZZ。何年振りの発表会か・・・という感慨も束の間、振りはなかなか覚えられないわ、動きが決まらないわ、大変でした。先生やクラスの皆のお陰でそれなりに形になってきたかとは思いますが、表情の固さはなかな取れませんね。久々のJAZZの舞台、意気高く臨むつもりです。

TAPも金曜にファイナルですが、コスプレ・仮装はやはり余計な神経を使うのか、けっこう疲れます。ガン・プレイとTAPは難しかった・・・。完全仮装もガン・プレイ私が望んだこととはいえ、ちょっとだけ後悔(苦笑)。脳のメモリーが足らなさ過ぎます。
キャラの、それっぽい動きを心掛ける。帽子を目深に被るので視界不良。煙草をくわえます。拳銃を抜きます。拳銃を回します(ガンプレイ)。TAPなので音が鳴っているか気になります。なので、気を回すところが倍以上なのです。
念のためと言う事で、予備のヒゲと接着剤も購入し、こちらも万全の態勢で臨みます。

発表会が近づいてくると、「来るべき時が来た」って感じは、これはいつも通りですね。初めて参加するわけではありませんが、不安と焦燥感に駆られながらのレッスンであっても、いつもいつもファイナルまでには何とかなってしまうのがフリーウェイのスゴイところ。

 

「ゴールデンカムイ」野田サトル@週刊ヤングジャンプ より
江戸貝くんと鶴見中尉

ほんとにこれっくらいの笑顔で舞台に立たないといけません。
イヤホントに。

体感温度

発表会へのカウントダウンも始まった3月。18日を過ぎてホッとしたのか、ちょっと疲れが出てきましたね。早く寝ることで対処していました。

今日は随分と暖かくなってきました。それでも夕方になれば寒く感じます。真冬は「寒い」という点で気温が安定していますが、冬も終わりかけになると季節変化のため気候が不順であり、体調を崩しやすいのもまた事実。温度の上下は人体に影響を及ぼしやすいのです。

ペットショップで飼育説明をしていると、「温度(とその変化)」というものについてかなり鈍感な人が多いと感じています。老若男女関係ありません。無理からぬこととはいえ、温度に対して「自分基準」で考えてしまうせいもあるのです。
(結局、誰しも自分が暑いか寒いかが最大の判断基準ですからね)

熱帯魚は水槽の水量に応じたヒーター一本で事足りるので楽ですが、小動物はそうはいきません。環境要因が大きく絡んできます。

小動物は身体が小さいので、特に寒さに弱いのです。人間に比べて体積が小さい分、熱があっという間に奪われるので体力の消耗が激しく、一晩で死ぬ、体調を崩すことも珍しくありません。

人間基準で考えると十分暖かくても小動物には寒かったりすることもざらにあります。

そもそもペットショップのスタッフ自体、動物の飼育だけでなく、野外活動(釣り、採集、登山等)なども経験があるので温度に対する知識や経験、危険性を一般人よりも把握しているのですが、それを経験のない人、受け皿の無い人に説明するのは大変です。

魚にしても動物にしてもそれらが寒さで動きが鈍っていることすら気づかない人もいますからね・・・。

 

人が暑いと感じたり、涼しいと感じたりするのは、温度のみに原因があると誤解されがちですが、その時の温度=体感温度ではないのです。体感温度は、気温だけに影響を受けるわけではなく、特に室内であれば身の回りの物体から放出される輻射熱(赤外線)によっても大きく変化します。 例えば、太陽が照りつける真夏日に木陰に避難すると、気温は日なたと同じであるにも関わらず涼しく感じます。これは太陽の輻射熱を直接浴びずに済むことで、体感温度が下がるためです。

同じ温度でも、特に「寒さ」が変わるのが体感温度です。

「寒さの質」というのがあり、寒さを覚える要因はその時の温度だけではありません。寒さは、「風が強い」「空気自体が冷たい」「日差しが無い」という3つのタイプに分かれます。

まず、風の強弱で体感温度が変わってきます。風速1メートルで体感温度が1度下がるといわれています。

続いて、「空気が冷え切った寒さ」です。これはいわゆる「底冷え」です。これは天候からの判断になります。晴れて風が弱い夜は、「放射冷却」が強まって気温がグッと下がります。放射冷却とは、地表面の熱が放射によって奪われ気温が下がる現象です。
当然家屋の壁や屋根などからも熱が奪われますので、室内であってもどんどん冷え込んできます。

最後は「日差しが無い寒さ」。底冷えの日よりも朝の冷え込みがマシなのでつい油断してしまいますが、昼間も気温は横ばい。朝よりも寒くなったように感じます。加えて雨や雪が降り出せば、気温自体も下がることが多く、手足が震えてしまうことも珍しくありません。

 

ダンスでも、体幹はわりと温かくなっても足元が冷えたままというのはよくあります。太極拳や気功などでも下肢には気が届きにくいのです。
(膝から下は血行促進の具合を体感出来ないと言いますか)

というわけで職場でもスタジオでもこっそりレッグウォーマーは冬場はほとんど身に着けてます。(特に職場では水を触るので熱が奪われやすい為)

 

発表会の「ルビコン川」 テクニカルリハーサル終了 

2/18。
20th:フリーウェイダンスフェスティバルに向けてのテクニカルリハーサルが終了しました。先生方、スタッフの皆さん、舞台関係の皆さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。

 

テクリハ(総見)はある意味の「ルビコン川」すなわち「帰還不能点」であります。その点を越えると引き返すことが許されず、変更不能の状況に身をおくことになり、物理的に後戻りできない一線を意味します。

(冗談じゃなくて、本当に先生が許してくれない)

衣装も振り付けも位置移動も、およそ一切の変更が認められない。そういうポイントなのです。そういう意味では緊張します。決定稿を出す、そんな感じですね。

「ルビコン川」。この表現は紀元前49 年にジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)が当時イタリアとゴールの古くからの国境であったルビコン川を渡ったことに由来します。ローマ内戦において元老院の命に背いたジュリアス・シーザーが軍を率いてこの川を渡りました。この際に「賽は投げられた」と述べたことも有名です。

 

テクリハの前に撮影がありまして、順次、クラスごとに撮っていきます。私の場合はちょっとばかり仮装なので、どうも緊張する。そう、何故なら化ける前と後を見られてしまうので、「中の人」にとっては少々気恥ずかしいものがあります。

ちょっと早めに入って衣装の仕度。衣装に慣らさないといけないのでいつまでも更衣室に引きこもっているわけにもいかず、3階のロビーで休憩。

キッズの子たちがヒソヒソヒソヒソ。
「・・・次元かな?・・・マイケルかな?」
「聞いてみたら?」「やだよ~」

( ´;ω;’)ぜんぶ聞こえているんですけど?!(泣)

今さら「次元だよッ!」とは答えられず、黙ってスマホを眺めるのみ。ああ、クオリティがこんなものか・・・。こどもは正直です。

ウィッグがちょっとウェーブが強すぎるんだけど、ほかに無かったんですよねぇ・・・・。

モヤモヤしているうちにチャイナドレスの不二子ちゃん登場。個人的にはサブマシンガンを持って欲しかったですねぇ。

撮影開始。
私は「次元」なのでそこまで目立つ必要がありません。新聞を読んでいる感じで顔もディティールもそこまで明確にしないコンセプト。不二子ちゃんは思いっきり目立っていただく。・・・あっという間に終了。

 

私はいったん帰宅し、仮眠。脳内リセット。

 

再びスタジオに戻り、リハの準備をします。
1人のメンズがなんと見事な装飾をされた衣装を着ている・・・! バレエに出るそうですが、間に合わせでもない、コスプレでもない、明らかな舞台用の本格的な衣装。重厚感が違う。

こういう出来栄えの見事な本気の衣装を見ると心が躍ります。

 ナポレオン時代の軍服。こういうのが着たい。

 

ハンガリー騎兵の大礼服。こういうのでJAZZを・・・。

 

さて、フリーウェイの発表会なのですが、だいたいその年によって衣装に流行りがあります。ベストだったり、ベアトップだったり、いろいろありますが、今回は「上下揃いのスーツ」。昔なら見向きもされなかったのにな~・・・・・と、自称「スーツ先駆者」のわたしが呟いております(笑)。TAPの衣装がスーツなので被るのがヤダなぁ・・・と本音もついつい(爆)。

ある意味のおいて、舞台衣装についてはステレオタイプな面があるのは否めません。
衣装における選択・・・・・・みな、どういう想いで選んでいるんだろうか?というのは気になるところです。

私自身のチョイスが普通の人なら選ばないところからスタートしているので、そのあたりはまったく意見が食い違うことは日常茶飯事。

ただ、静的で近距離のコスプレや変装と、動的で遠距離(+照明効果)のある舞台とでは衣装の観点・意図が異なる点もあります。私はどうしても前者の立場なので、そのあたりの修正は随分と時間がかかりました。

そういう点もあり、先述のみごとな出来栄えの衣装は、衣服としてもファッション性、質感、近距離でも遠距離でも、縫製や裁断においても完成度の高さを目の当たりにし、少しばかり感動した次第です。

もちろん明治期の日本軍の軍服(礼服)でも私は構わない。

 

話を戻しますが、単純な緊張なら1回目、2回目の方が高いと思います。さすがに3回目ともなればそのあたりは緩和しますが、テクリハがひとつの「決定」であることを踏まえると、これでよいのだろうか? という逡巡めいた緊張感は漂っています。

練習期間はこれで終わり、あとは仕上げ。迫りくる本番。誰もが「解放」と「終わり」を感じるのです。振り返ってわかる練習期間の楽しさ。

結果よりも過程だったのかな?と。