おひさしぶり &3年目

来るべきダンスフェスティバル(発表会)のパンフも一新されて、まさに作戦始動という感じですね。

超絶久々にJAZZ-02(現JAZZ BASIC)のレッスンに参加。お久しぶりな方も初めての方も、どちらさまにもよろしくお願いしますという感じ(笑)。これまた久々に1階のロビーに入ると靴の置き場もないことに驚き。活気があって、私も元気になりますね。

入れ替わり間もなくレッスンが開始。ハガネの身体を痛感した後にすぐさまコンビネーションですが、先生が「明日、左のお尻が筋肉痛になるでッ!」とおっしゃってました。既にもうあちこちが痛くなっております(笑)。ああ、運動不足。少々息が切れながらも、先生の動きを近くで観させてもらいましたがなんでこんなにダイナミクスなのか。それでいて微塵も力みが無い。発した力が全身から外に向かってきれいに飛んでいる・・・。もちろん見よう見まねに挑戦しました。

  

レッスンに参加している皆の熱心さの中で、爽快感たっぷりに汗を流しました。いいものですね。来月もがんばって来ようと思います。

  

そして、はや3年目・・・・・・。

  

 

 
 
6/25はマイケル・ジャクソンの命日。
(上記のイベントは昨年の物です)

ミント爆弾

梅雨の盛りの夏至も過ぎ、カブトムシの出荷が本格化したそうで、まさに夏である。8月の夏なんてものはもう残暑の終わりかけの夏であるのだ。
ちなみに今は5月です、旧暦だと。

いま、「ミント」が欲しい。その薬効的成分に魅力を感じる(笑)。ということで蚊除けに「ミント」でも設置してみるか、と考えている。玄関を開けた時、そしてベランダにカメの水槽がある関係でどうしても入ってくる。家周りのノラネコ除けやゴキブリ除けにもなるだろう。

 

植物はあまり詳しくないのでちょっと調べてみたところ、「ミント爆弾」なる言葉を発見。

ハッカ油を充填した水風船をぶちまければあたり一面ミントスプラッシュ!

 

そういうものを想像してしまったが、実のところミントの爆発的繁殖力と頑健さを表現した言葉で、露地植えしたら最悪な事態になるという。また、間違っても庭や道端に蔓延させてはいけない!というもの。ちなみに「核指定」されているのはアップルミントwww

笹VSヤブガラシVSミントという三国志的様相を呈している庭もあるらしい。

 

 また、「無敵化」という表現もある。何かのきっかけで異常な丈夫さ・繁殖力を身に付けるらしい。病気を乗り越えたり、適度な手抜きによって発現したりするそうだ。

  

まずはタダで・・・ということで、淀川における自生地情報を調べてみる。とりあえず(生物に関して)大阪湾と淀川を探すというのは大阪市民(キタ系)の特徴かもしれない(笑)。
それはともかく、ミントどころかけっこうあれこれ生えている。ただ、場所が絞りきれない。昆虫や魚だったらある程度の情報が得られたら勘で何とかなることもあるが、植物はちょっと見当がつかない。

 

自家採集はおくとして、手始めに近くのホームセンターをのぞいてみた。小さいコーナーながらミントは幾つかあったのだが、何が一番(蚊除けに)効くのか分からない。後で調べてみたら蚊対策として良いのはオーデコロンミントとニホンハッカ(和種薄荷)が良いらしい。となると、がぜんニホンハッカが欲しくなる(笑)。アメリカザリガニでなくてニホンザリガニ、セイヨウタンポポでなくてカントウタンポポが欲しくなる心理と同じ。

ニホンザリガニだとアメザリに比べて飼育がかなり難しいが、ハッカはそんなことはあるまい。 

  

たくさん増えたら葉っぱをウォッカに漬けても良さそうだし、面白そうである。ハッカ油はドラッグストアに売っているのでそれはそれで入手すれば良いし、当初の目的である蚊はどこへやら。

  

さて、ニホンハッカ、つまり和種薄荷を入手しようと調べているうちに分かったことだが、ハッカというのは「換金作物」であり、かつて北海道で一大産業を形成していたという。ハッカ御殿という言葉もあるくらいだ。これは知らなかった。ペパーミントやスペアミント以上に香気の強い「ハッカ油」がよく取れるのが日本産であり、医薬品や香料としてメントールが大量に抽出され、海外に輸出されたのだ。それに関連してのことだが、「換金作物」として様々な人の手が加わり、和種薄荷の「原種」の入手は困難を極めることもわかった。現状でもっとも入手しやすい和種薄荷は品種「ホクト」であり、これは西洋種のミントの血が入っている。また、もともと交雑しやすい性質のため純血の和種薄荷はおそらくだが、存在しない(人跡未踏の山奥ならあるいは)。原種に近いという種類も販売しているところは少なくともネット上にはなかった。

残念である。

  

それはそれとして、和種薄荷「ホクト」と別の種類を購入してみようと考えている。

とうとつにやってくる

別れである。

  

 

「おれなー、仕事辞めて郷里に帰るねん」
兄弟子Bが仕事を辞めて帰郷することになった。先の発表会があったのでなかなか言えなかった、と。

もう、教室のみんなが驚いた。言葉が出ない。古参ほど動揺を隠しえない。
「みなで発表会したとこやのに、すまんけど・・・」

 

仕事は地方よりもまだ大阪の方が多いし、寝泊りできる場所は先生が何とでもすると云ってくれているが・・・・「いや、くにに帰ると決めててん。親の顔をみてくるわ。」 と。
体調のこともある。前から不定愁訴とか神経症とか、医者で見てもらっても原因がまったくわからない。それどころか、「組織・器官的には丈夫過ぎる」とまで言われてしまう始末。半分、療養もかねてのことだ。原因は、仕事(の環境)である。

うちの会の両輪のひとつが本当になくなった。
兄弟子Aも「ともに技を磨き、鎬を削り合う相手がいなくなる・・・」と肩を落とし、姉弟子も「いなくなるなんて考えられない」と。付き合いは長く、私で6年。古参だと15~20年にはなるだろう。いつもいてるのが当たり前の風景であり空気であったから・・・・・・。教える人が減るのはイタイが、うちはほとんどボランティアなので経営的にどうのというモノではない。感傷にすぎないがいなくなってしまう状況がたいへん辛い。

郷里は九州だ。遠すぎる。

 

 

気が優しくて力持ちを地でいってるキャラで、人柄もよく、何より自然体の明るさを持つ。一見するとポカポカとリズミカルに腕を振っているだけなのだが一般のフルコン空手の人ではまず敵わない。どちらかといえば感性型。

そして型における「性」と「能」をよく知っていた人だ。そのあたりは先生も一目おいていた。その持ち前の感性とひらめきで、いろんなヒント、意味、発見があったものだった。私もいろいろな情報を提供して、フィードバックしてもらった。

 

私が今年こそは何とか解決しようとしていた(実技における)対人技法と対人緊張を解くための練習にもよくつきあってくれた。体格差があるのでものすごく練習になる。また、どこぞの合気道の会の副会長曰く、「素直」なので練習相手には最高である、と太鼓判を押していた。そしてこちらの飲み込みが(異常に)悪くても嫌気も顔に出さず教えてくれた。

格闘技サークルにも通っていたので、そちらでもどれだけの仲間が肩を落とすことか、想像に難くない。

 

大きなバックアップを喪失してしまった観がある。いや、事実そうなのだ。教えてくれる師を失うというのはこういうことなのか。そもそも環境的に贅沢すぎたのだ。

 

練習していても「また今度できれば良い」なんて自分の甘さがあったのだろうと悔やまれてならない。いなくなるなんて思ってもみなかったことだ。当たり前が、当たり前でなくなった。私はまったくダウンロードもインストールもできず、ただの情報消費端末だったのか??

真剣に、一期一会をもって、かじりついてでも、教えを受け、習得するべきだったのだ。

このわたしがもっともにんしきがあまかった。

  

 

 

私的な内容で申し訳ないが、教えを受ける有難さを思い知った次第。
もちろん、死んだ訳ではないし海外に行った訳でもないから、二度と会えないなんてことはない。ひょっとしたらまた戻ってきてくれるかもしれない。でも、この喪失感は何とも言えない。そして後悔の念が堪らない。

疾患のことは前々から言っていた。現状では郷里に戻る以外に快方の見込みは無いことも間違いない。他人に、その辛さが伝わりにくいもどかしさもあったに違いない。

  

発表会をしたばかりなのに・・・・という思いはあるが、近く送別会をすることになる。個人的な餞別は流儀の全技名を載せたファイル。私が今、時間があるので前から資料としてちょこちょこと作成していたのだ。ただ、急な話なので「未検証・未監修版」で渡すことになる。大阪に戻ってきて欲しいという意味もこめて。 

  

たくさん売れるといいですね

「米騒動」ってのはご存知でしょうか。学校で日本史をちょこっと学んだ人ならかすかに記憶が残っていると思いますが?

  

一種の暴動です。米を求めて米問屋などに民衆が押しかけて米を強奪するというものです。江戸はもちろん明治でも行われたことです。原因のほとんどが「飢饉」です。が、これが必ずしも天災などが引き金になっていたわけではないのです。特に都市部で、米の投機などで売り惜しみや市場操作などをした挙句、価格が異常に上昇したりなどで出回らないor米が買えなくなることによる飢餓が生じるわけです。その結果が打ち壊しという暴動に至るわけですが・・・。

その打ち壊しに至るのは、米問屋に米があるから、あるいはあることを知っていたから生じるのです。モノが無いから売れないのではなく、売り惜しんで高値になるのを待って寝かしておくことを選択した商人が多数な上、江戸幕府も明治政府もそれを黙認したのです。

  
鎖国も終わって国際交流も盛んになった明治でさえ生じています。米がなければ他国から輸入して、国策として価格の調整に着手すればいいとおもうのですが、けっきょく米騒動は何度となく発生。そして、為政者側が価格を釣り上げる商人を取り締まらず、餓えて追い詰められて蜂起した民衆に銃口を向けたのはなぜ? という話になります。

  
 

  

何が言いたいかと云うと、

  

議論もせず、周知もせず、パブコメも募集せず、
反対派をシャットアウトしてネット規制をスピード採決

違法ダウンロード:罰則を科す法案 審議なく衆院を通過
http://mainichi.jp/select/news/20120616k0000m010001000c.html

リッピング違法化+私的違法ダウンロード刑罰化法案、衆院・文科委員会で可決
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20120615_540420.html
>あわせて、自民・公明の両党から“私的違法ダウンロード刑罰化”を追加する修正案が採決直前で提出され、賛成多数で可決された。

ダウンロード刑罰化法案、ストリーミングもアウト ニコ生ピアキャス完全死亡
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1340113221/
土壇場提出、審議無き通過、与野党の取引、曖昧な定義など
めちゃくちゃな衆議院可決を果たした著作権法改定案の修正案が、
ようやく読めるようになっていますので、紹介。
衆議院通過してから初めて読むことが出来る法律なんて、あっていいものかどうか。
(中略)
ま、パブコメすら募集しない案だし、中身がまともなわけないですしね、こんなものでしょう。
http://blogos.com/article/41490/?axis=g:0

ダウンロード刑事罰化、成立ほぼ確定 反対派は全面排除される模様
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1340133901/ 
 

  

密室談合。レコード会社とか音楽業界や協会のおえらいさんとか、そんな人ばっかりがえらく意気込んだコメントを発表しています。国民はもちろん、歌や映像を作るアーティストの意見なんて一言もありません。

 

  

  

CDがたくさんうれるといいですね。

 

 

反逆と捻りと

「ぱっと見た感じは普通だが、いつもどこかに秘密がある」

  

  

Byポール・スミス

 

  

  

 

 

”反逆性とエレガントは相反しない”

  

  

・・・と言ったかどうか、ヴィヴィアン・ウエストウッド。

 

ひねりをくわえたクラシック。

日本は「ポール・スミス」にとって最大の市場だが、中国進出は慎重だったらしい。
「新興市場にはロゴがついた分かりやすいブランドが好まれるからだ。だが、私のブランドにはロゴがない」

アパレル文化の一端

「次回、女子(20~70代)は全員チャイナドレスなッ!」
をいをい、秘書(姉弟子)以外、誰も乗ってきやがらない・・・!(笑)

 

 

発表会も終わり、有志が持ってきてくれた動画を見ながら反省会にて。
秘書は「次はアオザイにしようかな~」とか言っている。慣れているのも手伝ってノリノリである。武家の女の嗜みってことで襷がけの振袖で演舞する薙刀の流派だってありますし、実際問題として表演の際に見栄えは大変良いので推奨したいところです。

 

で、チャイナドレスといってもいろいろあるんですよ。
脚を出すのがいやなら丈の短い物にしてパンツと組み合わせてもいいし、あるいはジャケットタイプのものもあります。ご婦人方にはラッパ袖で裾の長いタイプとパンタロンみたいなスラックスを組み合わせるのが良いかと思います。まぁ今時はいろいろあります。

チャイナドレスから少し離れますが、南拳スタイルといって、袖なしのチャイナスリーブのトップスにゆったりパンツで幅広の帯を締めるものもあります。チャイナドレスであってチャイナドレスでないものもあり、いろんなスタイルがありますがちょっとまとめきれないのでご勘弁ください。

 

チャイナドレスというとセクシーさばかりに気を取られますが、あれもまた歴史の必然・文化的選択で至った結果です。日本では一部、ちょいと安っぽい扱いもあって残念なのですがね。要は着こなしと立ち居振る舞い。どんなブランド物であっても「着たきりスズメ」な人には、どんな服も似合わないのです。

  

  
いや~~~、書いていて自分勝手もオソロシイなぁと我ながら感心しとりますwwwww
みなさんゆるしてください。

  

 

ウンチクになりますが、ごく簡単に申せばあれはそもそも「漢民族」の民族衣装ではございません。清朝を築いた「満州族(女真族・遊牧民)」の民族衣装でございます。移動手段の馬に女性も騎乗するのが日常なので、男女とも馬に乗りやすくデザインされた服装が元なのです(当然ボトムにパンツをはきます)。中国は基本的に前の王朝文化は否定・排除します。そして最後の王朝が満州族の興した清朝なので、貴族・支配階級の衣装がそのまま伝統衣装(のイメージ)におさまってしまったという流れです。旗袍(チーパオ)といいます。
辛亥革命の後に、ガウン(羽織物)として着用が普及し始めたのが契機となりました。そして近代化の著しくなってきた1930年代あたりから、モダンブームにのって西欧式の風格・・・ボディコンシャス的なデザインになったり、ボトムのパンツやスカートを廃止してワンピース風にしたり、このあたりに登場したデザインが日本でいうところのチャイナドレスに相当していると考えてもらっていいです(いわゆる「新式旗袍」)。中国のアパレル文化として、近代化に伴い、曲線の審美を偏重し東洋の女性の上品さと静かさを求めた結果であるともいえます。日本の「和服」同様、中国という国・文化を明確にイメージさせるアパレルとして、国際舞台で有効であることも間違いでありません。
満州族の衣装が漢民族の衣装となり、また近代化を経て変化していく・・・民族衣装というよりは、「伝統衣装」なのかもしれないですね。
パーティや花柳界では、やはり女性らしさを強調する高い詰襟に深いスリットが主流になっています。あのスリットには一説には大英帝国(香港をはじめ、上海も英国の支配力が強い)の影響もあったりなかったり(笑)。礼服あるいはパーティドレスとしての格を上げたことは間違いないでしょう。

だいたいにおいて真っ赤なチャイナドレスが浮かぶと思いますが、赤は中国、ひいては漢民族を表すカラーなのです。「火徳」の民の色なのです。

  

一方、本土だけでなく、台湾、各国の華僑で、男女問わず、詰襟と飾りボタンのジャケットを礼装として着ている場合がありますが、それは旗袍ではなくて、「唐装」だそうです。なので、中国人の皆が皆、チャイナドレス(旗袍)を着ているわけではありません。アメリカで人気の中国系デザイナーブランドの「ヴィヴィアン・タム」は紋様や色彩感覚にはこだわっても、あまりチャイナドレス的ラインを重要視していないようです。どちらかといえばシルクロードをも含めた「唐から西域」調だと思います。

そのように満州族の影響を受ける以前の民族衣装も存在し、漢服や唐装、唐衣と呼ばれています。「霊幻道士」などに出てくる道士の衣装は「道服」と呼ばれ、道教系の漢服です。話は反れますが、この道服が欲しくて一時ネット通販を探しましたが見つかりませんでした。南京町に売ってるらしいことはわかりましたが、断念。イベント用と云うかFWDSのハロウィン用というか(笑)。また「唐代の再現衣装」は見つかりましたがヒラヒラしすぎでとても動けません。

 

アオザイは、もともとのベトナム各地域の民族衣装に加わる形で18世紀にチャイナドレス(新式ではなく旧式旗袍)が持ち込まれたのが原型となっています。チャイナドレスよりもフルオーダーにこだわり、きつくなくゆるくなく「本当にぴったり」で着るのが通。ラインは強調する反面、優雅さもこだわります。フランス統治下であったことも大きく影響していると思います。

 

 

ピークエンドの法則 

「終わりよければすべてよし」という言葉ありますが、はて、これは何とかの法則と云うンだったかな・・・・と思っていたらテレビでちらっと聞きました。「ピークエンドの法則」です。 

人間は全体のシーンを均一に記憶することが苦手なので、一部のインパクトのあるシーンでそのほとんどの印象が決まってしまうというものです。「あらゆる経験の快苦の記憶は、ほとんどがピーク時と終了時の快苦の度合いできまる」ということです。行動経済学の初歩理論ですね。面接やらプレゼンやら、ほとんどのアドバイスにコレが応用されています。

今回、わたしはまったくの逆です。会が始まる直前のピーク時に大失敗を経験したので、失敗がぜんぜん笑い話になりません。とてもそんな気分になれない・・・・とは云うものの、次回に向けて沸々と再構築が始まっております。とはいえ、しんどいことはしんどいので専門家が登場してくれれば丸投げする気も満々です。

さて、「終わりよければ・・・」というのは、ある意味「値打ちのつけ方」です。最終的に売り込みたいもの(ピーク)を売れば良い訳で、そのための売れない商品もまた必要なのです。プレゼンや舞台としては「とりあえず、良かった」と評価をいただければ次につながりますし、売りたいものには当然利益率を乗っけているわけですから、全体的に見れば利潤が生じます。すべてを高品質で固めてしまうことも可能でしょうがその高品質が「平均化」してしてしまうと、その高品質が見る側に伝わらなくなってしまう。凸と凹、平均値、配置(流れ)、起点と終点・・・経済的に捉えるならばそうなるでしょう。

そう考えてみてもプロの舞台・ステージと言うのは、本当によく考えられています。

  

 

以下、画像集です。
撮影係は別にいましたが、これは私のデジカメによる記録用画像です。私が音楽に忙しいので実行委員の一人に任せて撮ってもらいました。資料用にもうちょっと全体的に取って欲しかったんですが良しとしましょう。音響をやりつつ演武もするのはけっこう忙しいですね。

  

↓始まる直前。
机の裏ではCDトラブルで私が冷や汗をかいています。

手前にずらりと並んでいるのは先生とか水墨画関係のえらい人とか来賓とか。
どこに座ってもらうか、席順や位置は意外と難しいです。ここは社会経験の豊富な兄弟子にお任せ。

 

  

 

  

表演風景その1
Tシャツを揃えていると見栄えがいいですね。

  

 

 

   美人司会
あとでこのままあるパフォーマンスを・・・。

  

 

 

 表演風景その2
うちの教室。私は写っていません。
  

  

 

   

表演風景その3

独逸語だと「アハトマスターデ」かな。  

 

  

 表演風景その4
特注の3.5cm径の六尺棒。重いです。重量武器の取扱いの見本です。

  

 

 

パフォーマンス(笑)
アドリブです。 

 相手を崩して、投げて・・・

 

 

関節を極める!www
関節は一ミリでもずれたら極まらないッ!

 

 

 

技をかける方は効率の良い力の出し方を知っていることと、思い切りが良くないと出来ません。受ける方は素直に受けて、安全に受け身を取る必要があります。私もなかなかできませんけどね。

 

パフォーマンスがウケました(笑)。  

 

  

演武は見て面白いかと言えば、正直なところ、そんなに面白いわけではありません。まして競技でもありませんから、打ち合ったり飛んだり跳ねたりなんてこともしません。
では、なぜ行うのか?

ひとつは流儀としての広報活動。
ひとつは各支部、教室の一体感。
ひとつは磨いた体術の披露の場と機会。あるいはその目的。※これはとりわけ武術的な要素を強く求めない中高年や女性にとっての目標となります。

技術の盗み合いやその人の技の練度を測られたりもしますので、他流の人間が見に来ているとすごく緊張しますけどね。

 

普通は、ある物語の構造があって(楽曲のイメージでもよろしいです)、出来事と言うものがはじまり、展開し、終わる。空間的ないろいろな出来事(ダンスならアクション)ですが。それが時間的な関数で表現されるわけです(盛り上がり曲線みたいなものです)。

ところが演武なんてものは空間的な出来事の展開は決まりきっていて、時間と共に経過していく。しかもその時間は無限に続いても壊れない。始まりと終わりは形式的なものにすぎなくて、それこそ延々と続いていく。

そして形には意味があります。もちろん形どおりには使えませんけど、先人の知恵が凝縮されたエッセンスです。武術の経験がある人ならデコードは可能かもしれない。身体芸術の人なら、何かの象意を感じるかもしれない。何も知らない人だったら・・・何かその人らしいことを思い描いてくれるかもしれない。象徴の芸術として捉えても・・・・まぁ、カッコつけすぎですかね。

 

おもしろきこともなきよをおもしろく

今日は晴れてくれました。穏やかな天気で、それだけでも十分でした。発表会、無事に終わりました。

  

※以下、長いので携帯では読みにくいです。

  

 

準備と片付け含めてたったの3時間。それでも、つかれた・・・・・。よほど張り詰めていたのか、右眼の下、こめかみの手前が痛い。顔がひきつっていたんでしょうかね。

「発表会」というのは「生もの」で、何が起こるかわからない。強く実感しました。それを考えると「FWDF」は言わずもがな、「HHSC」でも、出る側としては絶大な安定感を供給してくれているなぁと深く感じました。プロの仕事ですね。

 

というわけで、実行委員として製作にあたっていた発表会(演武会:先のブログ参照)も無事に終わりました。およそ半年かけて、第一回目という記念すべき場と機会をもうけられたと思います。

  

前日は夜勤明けで昼過ぎに起床。テープやマグネットなど、必要な道具を買いに行ったり、進行表など必要な書類の確認。音源のチェックでパソコンにかかりっきり。

 
  

9:20
受付を済ましてカギを預り入室。即、AV機器にかじりついてマイクテスト&音源テストと操作の把握。他の実行委員に進行表を渡し、舞台設定、幕の飾りつけ、席配置、更衣室、掃除などの割り振りと指示。

とにかく音が鳴るかどうかが心配でひたすらチェック。他にCDチェンジャーの操作やボリューム、検索などをいじる。不安一杯。

なんだかんだと皆が聞きに来るので「音響に集中させてほしい」とイライラが募る。顔も引きつっていたと思います。聞きにくるのがわかっているのに・・・なぜ冷静になれんのだ、とやや自己嫌悪。

教室Aがカセットテープを持ってきて、これを使いたいと言い出す。こちらで音は用意しているのだが、いつものと違うので出来ないという。カセットのデッキがあるので承諾。そのかわり、時間は予定通りにすると返答。

兄弟子が二つ目の演目の前に着替えるというのでプログラム変更。さらに不安一杯。機材を補助の人が確認している間、司会と打ち合わせ。
どうもAVシステムに慣れない。音が鳴り始めタイミングが掴めない。念のため、一度iphoneにつなげてみようかと思ったが、どこに繋げてよいのかわからない。それらしい差込口はないようだが?

補助の人「これ、繋ぐとこないんじゃないの?」
え、そうなの?  ケーブル買ったのに~。

 

いざ開始の少し前になって、一枚のCD(焼いたCD-R)が選曲できなくなるハプニング発生。まったく選曲できず、読み取らない・・・・・(大汗)。怖れていたことが!さっきまで読み取っていたのに!?と本当に焦る。不安が大噴火。その教室が、たまたまテープを持ってきていたので事なきを得る(未編集なので時間を食うが)。

ヒエヒエ(((;゜Д。;)))アワアワ  <さっきまで読み取っていたのに?!?!

まさにこんな感じでした(苦笑)。

10:13
3分遅れで開始。開催の辞と代表挨拶をさくっと済ませる。

すぐに一番手の教室A。基本の形の演武。進行上、特に問題なし。 

  

二番手の教室B。同じく基本の形。予定より1分ほどオーバー。
ただ、どちらの教室とも、入れ替わりの時間を余計に取っていたので問題なし。

  

うちの教室演武開始。もっとも模範たる教室であるべく、日ごろの成果を見せる。
音を鳴らしてすぐに列に加わる(私)。ボリュームが大きすぎたかもしれないと思いつつ、演武。AとBによる二重同時演武。
曲名はヨーヨーマの「グリーンディスティニー」。

滞りなく終了。

舞台への出入りをもっと練っておけばよかった。そうすればもっとスマートに見えたかもしれない。出入りってすごく大事なことだ。

 

10:41
今回のクライマックス。先生の特別演武(煽り文句)。。時間的には余裕あり。予定(4:30)より超過したが問題なし。

演目は張占魁派形意門八卦掌のうち龍形八卦遊身掌・全型。BGMは「獅子王争覇 大合唱」。テンポも早く、かなりムチャな組み合わせ。

  

 


  

10:49
特別演武の後、わたしと秘書の剣の演武。音を補助の人に任せて出撃。音の方が先に終わってしまうミス。そこまでゆっくりやったとも思えないのだが・・・。
スケジュール的には問題なし。何度か滑りかけたことと、ちょっと首が前に行き過ぎていたか? BGMは「戦国無双3」の曲。 

 

10:54
教室C 形意連環拳。ソロ演武からチーム演武へ。あまりにも短いので、もうちょっと伸ばしてくれるよう事前にお願いしておいた。BGMは「十面埋伏(琵琶)」。間に合わせだったので、もっとしっかり選んでおきたかった。

10:57
兄弟子Aの棒術。いちおしチョイスのBGM「オボロムラマサ」。わりとおどろおどろしい感じの曲だったけれど、ぶっつけ本番でよくやっていただけました。棒の重みがよく伝わっていたと思います。

 

11:00
兄弟子B 雑式捶(ザッシキスイ)。音を出すのが遅れてしまった&向こうもさっさと開始してしまった。冒頭にインパクトのある曲だったのでチグハグに(汗)。もともと音は要らないと云ってたけれど。

この時点で時間的には相当余裕があり、不安も解消していました。

 

11:03
兄弟子A、Bと秘書のパフォーマンス。「推手」という対人練習。。まず兄弟子AとBによる「基本練習」スタイルを見せてから・・・・・続いて、チャイナドレスを着た小柄な女性(秘書)が男性(兄弟子)を投げ飛ばす自由演武。投げ飛ばしたり、関節を固めたり、急所を攻め上げたり(笑)。
予想通り、かなり受けました。やっぱりやってよかった! 

臨時司会としてこの私。
「すべて太極拳の技。これはやらせではありません!」 いやほんとに(笑)。

BGMは「十面埋伏(琵琶)」。

 

11:08
プログラムには無いサプライズ演出ということで先生にもう一度演武してもらいました。
(時間が無ければスルーの予定だった)
「24拐」という棒術。BGMは「将軍令」で勢い良くフィナーレに向けて盛り上げ。 

 11:11

代表の総評や理事の挨拶。そして閉会の辞。BGMとしてゆるやかな「三国志5ED」。
話を聞きながら機材の陰でほっと一息。つかれた~、と。 

 

 

12時に完全撤収だったので企画の時点から時間が心配でしたが、杞憂におわりました。後片付けの時間も十分に確保できます。
また、アンケートを実施するのを忘れていたのは痛かったです。 

 

音響に関しては、ダンスイベントだったら死んでます。
演武という、最悪、音がなくてもズレても出来るものだったから良かったものの・・・というより、ダンスイベントだったら他に音響出来る人がいますからね。今回、他に誰もいなかったので選曲から簡単な編集(短くする等)、機材操作まで私がすることになりました。精神的にきつかったです。音のチョイスをしたまではよかったものの、CD-Rでは読み取らない機材があると知り、不安で不安でなりませんでした。案の定、やっちまったわけですが・・・・。
次回はやはり(実行側の)リハが必要であると思いました。機械のコツを掴みきれませんでしたね。言い訳になりますが、実は音楽に関してはもうからっきしです。今回、私のiphoneに初めて曲が入りましたというレベル(苦笑)。

選曲は楽しかったですね。中国伝統系と日本伝統系でまとめて、アップテンポなものとおとなしめのものを交互にし、中には突飛なゲームのOP曲を入れたり、先生にはインパクトのある曲を割り振ったり。

  

今回の目玉のひとつで先生の「特別演舞」がありました。もっと分かりやすい内容の方が良いのではないかという意見もありました。私は普段じっくり見られないものを「見せる」ということでこだわり通しました。ある意味、先生のアレはひとつの極致で流儀として皆が目指す形でもあるわけですから。

 

観客の入りは、正確な集計はまだですが出場者を含めて50名以上は来ていたと思います。次回はもっと大きなところにしようとなりましたが、100~200名のキャパのところってあまり無いような気がします。

予算と人員が許せば、照明も担当をつけてみたいです。

  

 

終わってしまえば何のことも無く、祭りの後の寂しさよ・・・。
不安と懸念に塗れきってしまった不覚。もっとドンと構えてできなかったのか。終始、イライラして駆り立てられていたような気がします。ただ、それは自分で自分をそのようにしていたと思います。不安をイライラで、懸念を張り詰めた心でごまかしていたのでしょうか。精神的なもろさが如実に出たかと思います。部門担当としても、統括としても不合格です。

精神的にいっぱいいっぱいになり、暴走してしまう人がいてます。そういう人は「自分が弱いから、もっと強くならなくちゃ。」と思います。そして「強くならねば」と自分を追い込んでますます不安定になり、周りを巻き込み傷つけた挙句、自滅します。実に迷惑な存在です。
強くなろうと思っても強くなれないのが人間。ストレスがたまれば誰だって不安定になります。溜め続けると暴走(強制排出)するようにもできています。

ならばどうするか。けっして「強くなろう」などと思わない。ムチャな目標は立てない。その代わり、ストレスの原因となる要素を除去しようとする。生活の負荷を下げ、ストレスレベルを下げれば、弱い人間でも精神的に安定することは可能。

「知恵」が明暗を分けるという。知恵がなければ高いストレスレベルに絶えようとして自滅・自爆。「知恵」があればストレスレベルを低く保ち、安定する。

暴走していたとは思いませんが、右目周りの筋肉の痛みがあるということはかなり強烈なストレスがあったのでしょう。「こうしなくちゃああしなくちゃ」「こうなったらどうしようああなったらどうしよう」ということに囚われすぎていたと思います。あるいは、必死に振舞うこと自体がすでに周囲への圧迫だったのかもしれません。

  

小規模な発表会ではありましたが、第一回目という事で無事に、そして事実として成り立ち、終えることができました。第二回、第三回と続いていけることを願います。

そうそう。進行表には、台本とまではいきませんが、その感覚で注釈をつけてみました。
「記念すべき一番手なので盛り上げて云々」
「二番手は雰囲気を柔らかくしつつ」
「先生の武徳を称えてつつ、伝統の解説」etc・・・。
実際には携わらなくても、実行委員全員が共通の概念を持っていることが良いのかもしれません。

 

 

  

 

ああ、面白かった。またやりましょか。

 

入梅も近い

近頃は雨の中にもかなり黄砂が含まれていますね。クルマのフロントガラスが雨滴跡だらけになってしまいます。梅雨の晴れ間などで降雨後にカラッと乾くとそれが飛び散るから呼吸器に要注意です。

 

歯医者2回目。この調子だと来月まで食い込みそう。我ながらこの歯医者が苦手なのはどうにかならぬものか。痛い目にあった今でこそ2ヶ月に一度は検診に通おうと考えているけれど、治った途端に忘れだす。喉元過ぎればなんとやら。

  

  

 

前置きはさておいて、ただいま製作進行中のものがあります。去年に発案し、もう少しで完成しそうです。

このヒマ人ならば知識がなくとも時間をかければきっと独力でも完成できるであろう・・・・と考えていましたが、無理でした。意欲は時に衰え、趣味でさえ時にしんどく感じます。人の協力と分担なくして完成に至る事はないと思いました。

  

 

「発表会」という場と機会を作っております(というと何だかえらそうですけど)。

照明できない、音響知らない。撮影機材がない。タイムテーブル組んだ事ない。資金がない。統括もできない。知っているのは発表会の「素晴らしさ」だけ(笑)。

もちろん、お手本は「FreeWayDanceFestival」と「HHSC」。

 

 

昨年のいつだったか、私が通っている太極拳の老師(先生・台湾出身)が急にムチャ振りを始めました。

「もっと会を、教室を、なんちゃらかんちゃら」
たまにムチャを言い出すので、またかと秘書(姉弟子)と顔を見合わせました。もともとボランティアみたいな教室です。今更金儲けに走るというよりは先生がいなくても教授体制がもっと整って欲しいのであろうと思います。予想も邪推もありますが、どういう思惑であろうとも先生たってのご希望ですから何とか形をつけないわけにもいきません。それから2,3ヶ月後、教室同士が集まろうということになりました。うちの教室がほとんど中心になって委員会を発足し、私が書記になっております。議事録なんてものもまとめましたが、(最近、詳しい人に書式を見せてもらって)本式とは程遠いものだったりします(汗)。

それらしい形だけはつきましたが理事やら企画になった兄弟子たちも積極的ではありません。当然です。働き盛りで仕事もあり家庭もある身。そうそう動けるはずもありません。おまけに他の教室は中高年の人ばかりの上、長い間教室同士の交流があまりないという状況。でも、何か実行しないと進展がありません。

兄弟子や秘書(姉弟子で事務局長)とも相談して、
「やはり一度、合同で発表会をした方がいいとおもいます」

と発言したのが始まりです。大賛成ではありませんが、すんなり受け入れられました。他に特にやれることもなかったからです。
「会場のアテと構想(お手本)はある」という根拠だけはありました。

to be continued・・・・・・。

 

いちおう告知。

 
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このたび太極拳、形意拳、八卦掌、剣、棍による演武をおこないます。

日曜の朝ですが、中国武術のひとときをお過ごしください。

日時:2012年6月10日(日)
10:10開演~11:30終了予定
場所:クレオ大阪中央 4Fセミナーホール
入場無料 自由席

アクセス
大阪市天王寺区上汐5-6-25
大阪市営地下鉄 谷町線
四天王寺前夕陽丘駅1・2番出口から北東へ徒歩3分 

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ダンスみたいに見て面白いものではないし、来賓席とか何にもご用意できませんし、私も実行委員なので準備から後始末まで忙しいので何のお構いもできませんけど・・・・・ヒマなら朝っぱらから見にきやがれッっ(笑) 

 

密雲不雨

最近、テレビでもネットでもロクでもないニュースばかりですね。興味半分で見ている流石の私も食傷気味です。行政茶番劇だの、離婚するだのしないだの、河本システム梶原システムだの、ハーブだの、風営法だの、隣の布団叩きがうるさくて殺しただの・・・・・もうどこかおかしいンやないか?と。
隠蔽と利権にまみれる国や経済界もおかしい。けれど、その国民もどこかおかしい。  

 

「傍観の幸福者」という言葉があります。ニュースやワイドショーを見ている限り、そのすごいニュースを見ている「自分」がいる限り、「自分」は絶対安心なんだというものです。自分の安全を確認するため、といえるでしょう。そういう意味では、ノンフィクション小説や戦争映画も同様です。見る立場にいる限りは、この立場を脅かされることはないのです。ただ、見る立場を超えられない宿命も背負うことになります。常に傍観者である悲劇・・・・人間の幸福のひとつとしてあるべき形でしょう。よく携帯で事件などを撮影する人がいますが、まさに典型でしょうね。
そして「自分だけは大丈夫」というまったく根拠の無い自信の助長にもなります。なので不意に弱い。全てのことで自分の予想外のことをされると些細なことでも烈火のごとく怒り出すのはおそらくそういう人だと思われます。予想外のことをしてくる相手がクルマや自然だったら、怒鳴る前に自分の命が無い場合があります(笑)。

 

 

また、日本はもともと熱しやすく覚めやすい国民性です。しかし、このところのヒステリックが過剰気味ではないかと思います。何々が出来たといってはドっと押し寄せ、節電だからといってあれもこれも節電に夢中になり、誰ともなく自粛が流行れば徹底的に自粛する。そして後には何も残らない。その場の雰囲気やメディアによって擬似集団を構成することは「個」であることを放棄する「悦楽」であるのか、と。それは日本人が元々「個」の概念が強いからこその逆説で、常に「個」であることから解放される状態・・・・「群れる」と個の責務から解放される。そして、もうひとりぼっちには戻りたくない恐れが生じます。

少し前にニュースで取り上げられていたタトゥーですが、それにまつわる社会通念とか個人の想いとか一切合切を無視して記号的に考えますと、あれは逆に「個」なんですね。何を着てもどこで何をしてようとも「個」の印(しるし)なんです。自分でも他者でも視覚的に確認できる絶対的な個の装着。否応なくそこに個性が集約してしまう。なので、上記のように「群れ」つつも「個」を持つことができる非常に便利なシステム(ファッション化)でもあると考えています。そう考えると、流行れば流行るほど、奇しくも民衆による民衆のための国民番号みたいなものになってしまう危険性も孕んでいますが・・・。

ちなみに私自身は、特に舞台上であればコトのほか「別の者」に成りたい志向が強いので、記号的にタトゥーなどの「個」がついていると非常に自分が困るわけです。キツネやタヌキでいえば尻尾が出たまま。つまり(気持ち的に)化けそこなうわけです。ただ、こういう志向のデメリットとしては、場面々々でも個性を等分あるいは分断してしまうので薄っぺらい人間にしか見えません。

 

話を元に戻しますが、私がこの国の「国民性」というものを考えさせられたのは、昨年ですが、ボディワーカーとしての将来の独立についての話になった時です。

「こんな国民相手に商売していかないといけないんだよ」と。
恥ずかしながら盲点過ぎて愕然としたわけです。

  

さて、今月。

「風天小蓄(フウテンショウチク)」という言葉を教えてもらいました。いわゆる易占の結果。
力が弱い。種の状態。努力次第。成長過程のひとつの節。今月は答えがでなくても、今こそ一進一退の努力だと考えています。

とはいえ、まさかの歯医者だの、「自分は大丈夫」の信号無視だので、月のはじめからエライ目に遭ってます(笑)。