その手に握りしめた「正義」の刃ほど・・・

 

「歴史を学んで分かることとは、人は歴史からは何も学ばない、ということだ」

ヘーゲル(ドイツの哲学者)

 

大衆に正義などない。あるのは「怨念」だけだ。怨念こそが正義に他ならない。自分勝手な愚衆どもめ。恐怖で抑えつけ、時には「粛清」をする権力者の気持ちも分からないでもない。

 

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なんだか呑気に発表会の続きを書いてられんな~~・・・と、ためらっていたら、もう5月です。

昨年の5/1は「践祚改元」で、新しい天皇陛下が即位され、御代が「令和」へと変わった日でした。この日に合わせて私も氏神さまで「皇室弥栄」の祈祷を奉納しました。まさかこんな状況になるとはつゆほども思わなかったです。

1年後の今日も神恩感謝の奉納に氏神さまへ参拝し、宮司さまとそんな話をしておりました。「思い知るのは日常生活の有難さ」ですね、としみじみ。すでにおついたち参りの一般参拝者の参列は中止し、今年の夏まつりも中止が決定されと聞きました。住吉大社や四天王寺も閉門しておりますので致し方なしでしょう。

時代の潮目が変わるきっかけ・・・そんな稀有な時を今、目撃しているのだ・・・とでも思わないとやってられませんな~(笑)。といって、2,3年でホイホイ変わるわけでもなく、あと10~20年くらいかかるんじゃないでしょーか。あくまでも「段階」のひとつ、ですからね。一方で、身近な範囲でこれから先、どーなるものか、少々私も気になりますが、その時はその時です。

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「人道」という兵器をもって、お互いがお互いを傷つけあう。
他人、あるいは他国には「人道」を勧め、強制する癖に、自分、自国ではどうなのか。
ミクロでもマクロでもそれは変わらない。

核兵器はもう古い。最新の武器は「人道」である。

 

 

22nd.FREE WAY DANCE FESTIVAL を終えて-01

『スペイン風邪』というのをご存じか?

いまからおよそ100年前の大正時代に日本のみならず世界中で猛威を振るったパンデミックである。現在のコロナも結構深刻ではあるけれど、今の段階ではまだまだ「スペイン風邪」ほどひどくはない。

コレラ、ペスト、天然痘etc・・・人類はその歴史で様々な疫病を経験し、潜り抜けてきた。今回もたまたまこういうタイミングだった、それだけだ。

以下、詳しいところから抜粋
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1918年1月から1920年12月(大正7~大正9)までに世界中で5億人、当時の世界人口の約4分の1が感染したスペインかぜ(1918年パンデミック)。
人類史上最悪の伝染病の1つとされており、米国では大流行初年に平均寿命が約12歳低下した程でした。

香港の英字メディアが先日、当時の日本の状況を伝えるポストを配信。
学校が全国的に休校になった事や大相撲が休場になった事などに加え、以下の点が日本政府から国民に向けて通達された事を紹介しています。

・他人とは1メートル距離を置く
・大規模な集会は避ける
・電車やバスに乗る際にはマスクを着用する
・マスクがなければハンカチで口と鼻を覆う
(以下略)

※全文はソース元で
https://rebrand.ly/4zskx7q

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実は今とあまり変わらないのです。そういう意味では安心・・・か?
そもそも人間のみならず、生物というのは未知の病気には弱いのは大昔から変わらないのです。とはいえ、100年前の教訓が今に生きる、今に残すことができる日本のすばらしさ。言い伝えを暮らしに取り入れ、生きる力を未来に伝えることができるのが日本人の特性ではないでしょうか。

百年前のアメリカ「マスク?んなもんつけねーよwww」

現在のアメリカ「マスク?んなもんつけねーよwww」

もちろん文化的な違いもあるので一概には言えませんが、日本の教訓を残す文化と衛生観念がここに来て生きてきたと思います。

 

さて、このような時期に発表会を開催することの是非が問われてしまうという、私も未経験の状況。出る側としては・・・・・・やるならやるで、やらないならやらないで、どちらでもいいかな?というくらいのものでした。
まぁ、スタジオにはそういう空気は1ミリもなかったですが、最終リハでいきなり片山さんがちょっと真面目な話をしてきたので「みんな具体的に気が付いた」みたいな感じはありました(笑)。

そもそも、人類の歴史上、世界レベルの疫病が何度も発生しましたが、私は遭遇するのは初めてです。というより、日本人のほぼすべてが未経験&未知だと思います。なので「こういう時は考えても仕方ない、か」ですね。

『当たり前が当たり前でない』という日本の恩恵を思い知るには良い薬です。あまりにも平和ボケしすぎた、国民としてわがままが過ぎた、改めるためには良かったのかもしれません。

かくして「天の岩戸開き」となるべく開催されたフリーウェイダンススタジオの発表会。はたしていかなる結末か。

 

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「発表会」というのは?

ただのフィットネスではなく、その根底には舞台芸術、芸術活動であることを忘れないためのものとして必要不可欠な過程・・・・・・・・。そういう認識はありますが、いざ「発表会に出ませう」となると「いや~ちょっと・・・」となります。

ズバリ書いてしまいますが、「社会人」にとっての発表会というのは、

時間がない、面倒くさい、お金がかかる、付き合いで仕方ない、気疲れする、(スケジュール的に)拘束される、上手くいかない、不安しか募らない、緊張するだけ、恥ずかしい、意味あるの?etcetc・・・・・・・・・・・・・・。

このネガティブの山盛りを「楽しい」の一言で帳消しにできますかっ?! 楽しいのは、終わった直後の解放感しかないッ(これは本当に出てみないと分からない)。

〇発表会に出るまでの心理的変化(笑)。個人の感想です。

00.発表会の告知がちょこちょこっと出始める。

01.あ~またこの時期が来たな~
02.愛想笑い(面倒だな~)
03.愛想笑い(お金もかかるな~)

※心の紆余曲折あり

04.前回出てないし、仕方ないかなぁ・・・・

05.仕事のスケジュール、大丈夫そうかなぁ~

06.やる・・・か・・・

07.支払いだ~
08.はぁぁぁぁああぁぁぁあ (諦めとスケジュール的不安が交錯するひと時)

※何らかの事情で最悪、発表会に出られない可能性は想定する

09.クラスで、あーでもないこーでもない(やや楽しい)
10.この衣装で、この設定で、云々・・・(ちょっと楽しい)

11.衣装が決まらない、上手くできないっ!
(ここは衣装や設定に凝る人だけの段階。あまり無い)

12.リハーサルめんどくせーめんどくせー(第1回目リハ)

13.つかの間の一安心
14.あーでもないこーでもない

15.リハーサルめんどくせーめんどくせー(第2回目リハ)

16.服が間に合わへんがなッ
(初めての経験。仕方なく衣装の設定を変えて、別のところで調達する)

17.明後日、発表会でもかまへんで(不安感が募ってくるので早く終わらせたい)

18.リハーサル緊張するー緊張するー(第3回目リハ)
第三回目の総見が実質、発表会みたいなもの(苦笑)

19.明日が発表会でもかまへんで(この勢いに乗じたい。不安感もある)

20.まぁ・・・・何とか・・・なるでしょ

21.明日、か(言葉にし難い心境)

当日
22.はぁぁぁぁぁぁ(ゲネが終わってテンション上がる)
23.(*´Д`) (待っている時間で体がダレてくる)
※出番が多い人はそんなヒマはありません

24.はぁぁぁぁぁぁあ(本番)
25.はぁぁぁぁぁぁ・・・(終わった~という解放感)

明日からまたいつもの日常が始まる。

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結論から言うと、「発表会(当日本番)」というのは”結果”でありいうなれば”消化試合”でしかなく、むしろそれまでの「過程」こそに大きな意味があります。ダンスの技術的な上手い下手は問題ではありません。それ以外の要素が大きすぎて・・・。

〇参加を決意する、すなわち時間と資金の工面という社会人にとっての重大任務が爆誕する。

これをクリアすることが肝要であり、社会人にとって上手・下手は本当に関係がない。
これはさすがに自分でやるしかない。誰にも代わってもらえないのだ。

〇意味など最初から無い
「社会人の道楽」という視点から見ればそもそもからして「意味」や「見返り」「得るもの」を求めることなどが無粋。金はかかって当たり前。「投資」ではないのだ。

「出来たところで、誰も褒めちゃくれんがな」

 

緊張や不安、たまには驕りで心の株価はいつだって上下動。
乱高下もたまにあります。

 

〇試行錯誤に次ぐ試行錯誤。
先生の見守る中、時には厳しく時には優しく、ともに乗り越えていく。
自分の心身への挑戦でもある。

これが一番楽しいのかもしれない。

「やるか、やらないか」なのだ。

ルーク「わかりました。やってみます」

ヨーダ「違う。やるか、やらないかだ。”やってみる”などない」

Luke: All right, I’ll give it a try.
Yoda: No. Try not. Do… or do not. There is no try.

〇舞台という、日常ではない空間を経験する その1
立ち位置の移動という要素が加わる。
移動自体は平面であるが、時間の経過や他の人との連携が加わるので複雑になってくる。

おおよそのスポーツやフィットネスでは体験することができない。

舞台から観客席を見た景色は日常生活では絶対に見ることがない。

 

〇舞台という、日常ではない空間を経験する その2
本番当日のみ、経験できる。
どこのパワースポットよりもエナジーに満ち溢れ、時間と空間の摩訶不思議の真っただ中に存在する自分が居る。

情報もよかろう。しかし、生の体験は強い。<大島 渚(映画監督)>

〇要するに人生の疑似体験である

振りが覚えられない、上手くできないといった「小さな間違い」を繰り返すこと。その都度立ち止まって、一所懸命考えて、次の行動へと踏み出してゆく。そうした経験から多くの事を学んでゆく。あるいは折り合いをつけていく。
このような失敗の数々も、しっかり踊れる身体と健康があってのこと。それを忘れてはいけない。

目先の良し悪しに捉われず、全ての物事には価値があり、表面的には失敗・挫折・不運のように見えてしまっていることでも、全て自分の成長のために用意されている順調な試練という、舞台という芸術活動を通しての人生の疑似体験。

〇「結果」ではない。「過程」だ。この「過程」がたまらなく面白いんだ(と後から思う)。

『転んだってぜんぜんかまわない。むしろ思い切り転んでください。そっちの方がカッコいい』とは、本番前の片山さんの言葉。

 

続く・・・。

天の岩戸を開かんとする舞台

今月の初めに最終リハーサルも済み、後は本番を待つばかり。

状況が状況ではあるけれども、事ここに至っては致し方なし。むしろ体が動くこと、練習できること、踊れること、参加できることといった現状の感謝をしながら、まさに「天の岩戸」を開くための大いなる舞台にならん、という感じですかね。

さいわい映画館の方は特に閉鎖されることもなかったので「歌舞伎 風の谷のナウシカ」の前編・後編をディレイビューイングで見てまいりましたが、素晴らしかったです。もちろんクシャナ殿下の高貴さと華やかさは言うまでもありません。地味といえば地味なナウシカの乙女らしさ・御姫様らしさも後からじわじわときます(笑)。
「風の谷のナウシカ」の原作を舞台化するという前代未聞の取り組みに伝統歌舞伎の底力を見た思いですが、これをもっと早くに見ることができれば発表会のTAPの表現ももっと変わっていたかもしれません。

 

さて、語弊があるとは思いますが、この騒ぎは「当たり前が当たり前」でないことを思い知るためのひとつの「波」なのかもしれません。かつて人類が歴史上経験した数々の疫病に比べればバタバタ即死しないだけはるかにマシだと思います。そういう点ではずいぶんとソフトなので、早いうちに自覚しておけって感じでしょうか(苦笑)。

様々な事柄が浮き彫りになっています。大衆の愚かさであるとか人間性の醜さであるとか、どこの国の人間か分からない政治家や企業の本音、国家間や世界レベルの大企業の思惑であるとか。今度こそは「喉元過ぎれば何とやら」は避けねばなりません。しっかり思えておかないと。

3年ぶりにTwitterを更新した{柔らかい銀行}孫さんとやらが社会的混乱を巻き起こすコメントを書いて炎上してましたが、まぁ、どっちの側ということがはっきりしたことと、時勢を読むどころか、それすらも食いつぶす「金の亡者」であり「経世済民」には程遠いことがよくわかりました。無知の独善ならまだしも、検査をやりまくって医療崩壊したイタリアと韓国の現状を知って公言しているならさらに悪質性も加わります。

 

C国の人間が激減した今、京都や奈良に行きたくてたまりません。古き良きかつての古都を味わいたいですが、不要不急の外出は控える方がいいですからね。神社仏閣の、特に手水舎は彼らの「水遊びの場」でしたから、本当にすっきりです。神社仏閣によっては手水舎を使えないようにしているところもありますから、察するに余りありますね。

 

暴飲暴食を避けて、早く寝る。
決定的な対策が無い以上、これに勝るものはありません。

「和服」が届きました・・・

発表会当日までは一か月少しありますが、実質、「第三回目のリハ」が最大の山場なので、そういう点では一か月を切ってます。

HIPHOPの方は順調といえば順調でしょうか。衣装に関してはもうクリアーしています。

さて、TAPの方。予定していた衣装が使えないことになりました。
一式セットで某キャラクターの和服系コスプレ衣装を予定していましたが、その多くの縫製工場が「中国」にあるため、製造してない&届かないのです。春節(1月末から2月初頭)にぶち当たってしまったため、注文しても2月の後半になるのです。まして「新型肺炎」の大流行ですので、こんなにあてにならない話はありません。
国内生産のものは高いのです・・・。

なので方針転換です。もともと「絶対にそのキャラクターのコスプレする!」ということではないので、既成の「和服」の寄せ集めでそれっぽい感じにすることにしました。和服に関しては丈やら名称やらがよく分からないので親に相談しながら、です。

 

 

届かないことに気づいた1月末から慌ててネットやオークションで探して、もう7割ほど揃いました。上衣と袴。それと羽織です。

届いた衣装を見て、愕然。

「・・・ガチの和服やん」

廉価版の安いものとはいえ、マジックテープではなくて前紐や後ろ紐で締める袴。やたら長い上衣。すでにたたみ方すら分からないほど広げると大きい・・・(汗)。それに重い。こんなので踊れるのか・・・?

お面、和服、刀、TAPシューズ・・・・「二度とやらん」と思うほど、かつてないほどの重装備になりそうです(悲)。

 

2/3は節分でした。氏神さまで、つつましく、個人的な節分祭として神恩感謝の祈祷をお願いしてきました。有名寺社のように人があまりいませんので、ゆったりと、半ば貸し切りのようにやっていただけるのも氏神さまならでは、ですね。

 

2020年 第2回目のリハ終了

令和は「梅」。百花のさきがけ。
梅の花言葉は「忠実」、「忠義」、「高潔」、「忍耐」。

 

正月も終わり、寒中の真ん中でもっとも寒いという「大寒」でもあり、新元号である「令和」にもずいぶんとなじんできたかと思います。

本日、第2回目のリハがありました。今回はオーナーである片山さんのチェックの元で行われました。久しぶりにお目にかかれてうれしく思います。

前回同様、頭とラストに演目が1回ずつという、ある意味ハードな流れ。
オリエンテーションとフィナーレの練習が終われば何の準備もなくいきなりHIPHOPのリハーサル。ただ、「何の準備もない」状態で臨んだので、自分の出来高を知るにはちょうどよい機会でした。

HIPHOPも済みましたので、お次のTAPまで延々と待たねばなりません。練習するにはたっぷり時間がありますが、人が多いのでTAPの出し物である刀を持ったままウロウロもできません。人数が減るのを待ちながらイメトレです。

20時を過ぎ、ある程度人数が減ったころ合いを見て本格的に実施練習です。刀を帯びて、新しい重量バランスに体を慣れさせます。居合用の練習刀は1キロちょっとあります。しかも長いので重心が不安定になります。刀を帯びたまましばらくは基本的な足慣らししかやりません。

刀を帯びたまま何だかんだで1時間近く居れたので、すっかり体に馴染んでしまいました。刀を外すと腰がちょっと寂しくなる程度には体が重量バランスを覚えてくれました。

「JAZZ-05」の豪快なリハ風景を見た後にTAPです。少々気が引けますがそれはそれ。片山さんのお顔を見ていたら多少は緊張もほぐれました(笑)。細かいミスはあるとして、ようやく「刀を帯びて踊ることに慣れてきた」実感があります。
それにしても一人で2分半は長い・・・! 初めての経験に戸惑うばかりです。

さてさて、ほかのクラスを見ると、けっこう衣装も決まっているところも多く、ちょっと焦ってしまいますね。あっさりと出来合いの衣装を買って「コスプレ」でいくか、それとも寄せ集めてアレンジをするか、迷っております。

次は「お面をつけて踊る練習」、つまり「視界不良の状態で踊る練習」をしないといけません。

お話は変わりますが、12月の冬至明けは「太陽のお正月」。明けて1月は「一般的なお正月」。2月の節分は「神界の大晦日」というようです(立春がお正月)。節分には「節・フシを分ける」ということもあり、誓いを立てる、仕切りなおすには非常に良い日です。物事が「切り替わる」大きな流れに合わせて、自分も「乗る」のです。

丸々とした「金太郎いわし」。京都では節分に食べる。

 

昨年は解厄の御礼参り(厄年明け)でしたが今年は普通の神恩感謝のお参りをします。2月は『建国記念日』『祈年祭(秋の新嘗祭と対になる大事な祭り)』『天皇誕生日』と大事な日が多いです。

「バレンタインデー」? そんな商業主義の経済イベントは知りませんなぁ・・・・!

第一回目のリハーサルも終えて

 

先週の日曜日に発表会の第一回目のリハがありました。

出番を待って、順番が来たら出る。それだけのことが意外に緊張するものです。
リハに合わせて練習したり、そのための時間を都合したり、「あ”~~・・・リハかー・・・」という気持ちもありますが(苦笑)、本番に向けて必要なことなのでとても良いチェックポイントであることは間違いありませんね。

失敗するところは失敗した方がかえって修正しやすかったり、あいまいだったりする作品の構成を見定めることができたり、とても役に立ちます。

発表会が3月開催の場合、12月から1月にかけてが中だるみの期間になるように思います。2月に入れば残り1か月を切ってジリジリしてくるので逆に「早く発表会にならんかな」という感じになりますね。

さて、22日は「冬至」です。昼の長さが一年で一番短い日。この日を境にまた太陽が出ている時間が長くなっていき、夏至で頂点を極めます。

太陽の周期でいうと、冬至が「太陽の大晦日」であり、その翌日が「太陽の元旦」ともいえるわけです。クリスマス前後に休暇を取りたがる西洋諸国もそのあたりに意義があるのかもしれません。私も23日は休みを取って氏神さま&大阪の一之宮へ年末詣でに参ります。「一年間お世話になりました」、ということですね。
やはり無事に生かされている上での趣味でありダンスであり、そういう点での感謝を再確認するためのものでもあります。

 

今に生きる神話の国

フリーウェイダンススタジオの発表会に参加を表明して早やひと月ばかり。何年か振りのHIPHOP(BON先生)にもようやく慣れてきたかな、というところです。

久々にスタジオに行く回数が増えましたが、行く前の気の重さ(笑)とは裏腹に、終わった後のすっきり感は格別ですね。「疲れる」ことをしているのですが、逆に身体もシャキっとするように思います。行ってしまえばその気になるんですが・・・仕事の終わりに行く気と体の重さよ(苦笑)。

さて、先月の「即位礼正殿の儀」に続き、「大嘗祭」が無事に斎行されました。

「総費用およそ27億円」という数字が大袈裟に取り沙汰されております。「壮大な神話ごっこ」と言ってしまえばそれまでなのですが、それが実行できるということがどれほどの意味を持つでしょうか。

いろんな意味で、様々な面で、国家に余裕と平和がなければそんなことは到底できないということです。それを見届けられる余裕がある国と国民、素晴らしいことと思います。

科学の発達した現代の真っただ中、ウミガメの甲羅を使った占いであったり、古式に乗っ取った建築物を建てたり、電気も何も使わない寒い暗闇の中で儀式を斎行したりと、「最古」と「最新」が交わりあう不思議を味わうことができます。

ちなみに暗い中で行うのは清浄さを求めた「浄闇」という意味だけでなく、世に生まれ出でる前の暗い胎内という説もあります。

オカルト的なお話ですと、天照大御神の子孫たる天皇陛下と、日本の土地、ひいては地球にも繋がる国常立大神(くにとこたちのおおかみ)という神霊の心身の合一の儀式だそうです。合一が伸るか反るか、日本の行く末が決まってしまうくらいの重要度があるとのこと。

今回いちばん見たかったのは、畏れ多くも天皇陛下の御顔と雰囲気の変化でした。
儀式を終えられ午前4時過ぎに赤坂御所にお戻りになられた時の陛下は、たしかにちょっと違っておりました。「昭和天皇の雰囲気がある」という意見を知り、たしかにあの首の傾け方やあご周りの(角度の)雰囲気がよく似ているような気もしましたね。

15日は氏神様の大嘗祭奉告祭に参列しつつ、ささやかながらも「皇室弥栄」の奉納祈祷をしてまいりました。

さらに来週の23日はローマ教皇が38年ぶり2度目の来日です。御顔を拝見したのですが、東京には行けないし、ドームの合同ミサは抽選だし、ちょっと無理なのが残念です。

明日はハロウィン

先日の「即位礼正殿の儀」。いかがお過ごしでしたでしょうか。
天皇陛下における一代一度の大事な儀式です。そして世界中から来日する王侯貴族。お金や経済力、軍事力ではそうそう動かない人たちですが、天皇陛下のご人徳と世界に類を見ない皇室の歴史の深さ。稀有な男系の万世一系。それらがあったからこそかもしれませんね。

言葉を借りるならば、
「限りなく古く、また常に新しい」
それが日本の皇室です。

私もそうそうない機会なので、氏神様にて「国家繁栄」を奉納祈祷させていただきました。

また、当日は様々な「偶然」が報告されており、実にファンタスティックでした。「天叢雲剣」、「八咫烏」、「天使の梯子(大阪・橿原神宮にて)」etc・・・神話の生きる国、日本ですね。

次は11月の「大嘗祭」です。先の「即位礼正殿の儀」が国事行為であり「表」とするならば、こちらは皇室行事であり神事、秘儀であり「裏」です。この二つをもって、天皇陛下が正真正銘の「天皇陛下」とおなりになられます。

平成の時は何の興味もなかったのですが、今回はもう興味津々で、今からとても楽しみです。年を取ったということですかね?

さて、明日は「ハロウィン」です。
しかし、昨今の喧騒を見ているとこれは「知能指数の低さを競うイベント」なのだろうかと疑問に思ってしまう次第。
慎ましく、楽しくコスプレや雰囲気を楽しんでいる人もおられますが、騒ぎに便乗する軽漂浮薄な人たちを見ると、人間をやめて、人面獣心の、正真正銘の化け物になってしまうイベントなんですね~・・・と。

「渋谷ハロウィン」なんて、対策費用でおよそ1億円だそうです。ばかばかしい。

 

お彼岸も近いですね

だいたいひと月に一回のペースになっておりますね。
帰って食事を済ませると、眠くて頭が働かないのです・・・。

「TAP」では米津玄師の「lemon」をベースにしてやっておりますが、これがまた難しい。振り付けもそんなに難しくないのに、やってみると難しい。いかに音を聴いていないかというのがよくわかります。

 

8月末は毎度おなじみの伊勢神宮参拝に行きました。
今回は外宮で、人生で初めての「御神楽奉納」をいたしました。受付で申し込んで、祈祷殿に昇殿して祝詞や御神楽を奉納するアレです。

感想は、日本人なら一生に一度はやってみる価値がある、ですね。

「倭舞(やまとまい)」も良かったですが、その前にある「神饌の奉納」がすごい。ゆったりとリズムを取っている楽師の太鼓や笛の音に合わせて、舞女(巫女さん)がほぼ左右同時動いて祭壇へお供え物を献上するのです。決まりきったデジタルな動きなのですが、それでいて揺らぎがあるアナログ感もある。見とれてしまいます。
書いてしまうとただこれだけのことなのですが、動きの1つ1つが素晴らしくて、また正中を横切る時はきちんと一度しゃがむ(正中を横切るための礼的動作)のです。
神事にまつわる礼儀作法と様々な約束事、それらを踏まえた上での神前における「形」の動作。素晴らしいです。

それもそのはず。伊勢神宮は独自の楽師の団体を抱えています。音楽にしても舞にしても雅楽系の専門家集団を有している訳で、たしかにそのクオリティの高さはうなずけますね。ちなみにこのような集団を抱えているのは、熱田神宮と宮内庁だけのようです。

外宮の後は伊雑宮、そして内宮といったいつもの参拝コースです。内宮での御神楽は来年の機会という事で、日帰り参拝も無事終了しました。
もちろん、スーツ着用での参拝旅行でした。

お土産に買ったのは「作(ざく)」というお酒。氏神さまの奉納用と自宅用。これがまた美味いのです。三重と言えばこの「作(ざく)」か「而今(じこん)」。銘酒に間違いはなかったです。

9月の「おついたち参り」では初めて早朝の「献湯神事」に参列させてもらいました。この「献湯神事」の後に「月次祭」があり、そして私個人の「神恩祈祷」があります。小さいながらもこういった「公」の神事に参列するのは初めてで少し緊張しましたね。
「献湯神事」では巫女さんが来ておられて、神楽の舞を奉納していました。(神宮と比べちゃいけない・・・・・・。)と内心思ってしまいましたが、後で聞いたら高校生の巫女バイトさんなので仕方ないですね。

 

本日18日は「社日(しゃにち/しゃじつ)」という、地元の産土神社に感謝する日だそう。ものすごくマイナーですが、載っているカレンダーもあります。早朝に参拝してきました。
20日には「秋の彼岸入り」ですね。墓参りや仏壇に手を合わせましょう。

踊ることができる状況、時間、健康がある感謝ですかね(笑)。

ようこそ、アンダーグラウンドへ

今年のお盆進行はなかなか大変でした。疲れがきているのか、何だかボーッ・・・としてないで、けっこう頭がギュウギュウ詰まっている状況です。

最近は寝てもものすごく夢を見るので(脳のデフラグ)ちと疲労が残っているかもしれません。

さて、

【わが青春のインターネット】「2ちゃんねる」誕生から20年 名無しさんたちに聞いた“昔ながらの匿名掲示板”の魅力と今なお存続する理由

ある程度の年代の人なら、かつて巨大掲示板群「2ちゃんねる」が、かなり“あやしい”存在だったことを覚えているでしょう。独特なネットスラングが飛び交い、リンク先はブラクラ、書き込んでいるのは匿名のユーザーばかり。「殺伐」「アングラ」などと形容されていました。

(中略)

令和元年を迎えた2019年は、2ちゃんねる誕生20周年の年。Twitter、InstagramといったSNSが台頭した今でも使われ続けている“匿名掲示板の魅力”とは何なのでしょうか。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190820-00000015-it_nlab-sci

 

「我が青春のインターネット」は大学時代から始まりました。それはもう世界が圧倒的に広がりました。一般世間ではクソマイナーだったことが、ここではもう語りつくせないほど語られている。情報がどんどん入ってくる。知りたかったことがこれほど手軽に知ることが出来る。そして「2ちゃんねる」。「何でもアリの夢幻の荒野」といった感じで、殺伐感がありつつも、実に楽しい。

ただ、「2ちゃんねる」の元管理人・ひろゆきがいうところの「嘘を嘘と見抜ける人でないと利用は難しい」のは本当。そして、これからも隠される情報は、隠され続ける。なので真実はネットにはほぼ存在しない。このあたりを踏まえない人が最近増えているような気もしますけどね。

そのネット絡みで、「インスタ映え」ならぬ「インスタ蠅」事件。

 

インスタ映え?撮影→8割食べ残しの非常識客 被害のジビエ料理店は「出禁」を決めた

大阪のジビエ料理店で、人数分以上の料理を注文した客がスマートフォンで写真を撮ってから大量に食べ残していったとして、店側がツイッターで「ご予約もご入店もお断りしたいと思いました」と「出入り禁止」を宣言した。

(中略)

「3人で来て5人前の料理を注文、更に追加注文して大量の料理を前にスマホで写真だけ撮り8割り方残して行かれた方には流石に今後料理をお出ししたくないのでご予約もご入店もお断りしたいと思いました。お金を払ったらインスタ映えの為に料理を大量に残しても構わないと思っている方々は御遠慮下さい」

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190821-00000000-jct-soci

 

うーん、まぁ、何というか。

そもそも作り手へのリスペクトはもちろん、生産者や食材への感謝が失われていると思います。その料理が完成されるまでに、多くの時間や手間、そして命が費やされているんですよ。
「食べ残し禁止とか書いてない」「お金を払っているから問題ない」という意見もあると思いますが・・・・・・・・あいにく、ここ「日本」の国では、こういう「我良し」なコトをすると後で困ったことになる可能性が高いんですよね。

何故って??  お天道様が見ておられますので(笑)。

端的に言うと、食べ物を食べられるのは犠牲の上に成り立っているので、感謝が必要な訳です。

食事の大切さはキャンプなどでも体験はしましたが、地味にアニメ「北斗の拳」の影響もあるんですよね。派手な北斗神拳やグロい殺陣に目が行きますが、アニメの前半は荒廃した世界における「食料と水、ガソリンの価値」がしっかり描かれています。

いろいろと可哀想というほかありません。インスタ映えで食べ物を粗末にする人たち、ご愁傷様です。