2020年 第2回目のリハ終了

令和は「梅」。百花のさきがけ。
梅の花言葉は「忠実」、「忠義」、「高潔」、「忍耐」。

 

正月も終わり、寒中の真ん中でもっとも寒いという「大寒」でもあり、新元号である「令和」にもずいぶんとなじんできたかと思います。

本日、第2回目のリハがありました。今回はオーナーである片山さんのチェックの元で行われました。久しぶりにお目にかかれてうれしく思います。

前回同様、頭とラストに演目が1回ずつという、ある意味ハードな流れ。
オリエンテーションとフィナーレの練習が終われば何の準備もなくいきなりHIPHOPのリハーサル。ただ、「何の準備もない」状態で臨んだので、自分の出来高を知るにはちょうどよい機会でした。

HIPHOPも済みましたので、お次のTAPまで延々と待たねばなりません。練習するにはたっぷり時間がありますが、人が多いのでTAPの出し物である刀を持ったままウロウロもできません。人数が減るのを待ちながらイメトレです。

20時を過ぎ、ある程度人数が減ったころ合いを見て本格的に実施練習です。刀を帯びて、新しい重量バランスに体を慣れさせます。居合用の練習刀は1キロちょっとあります。しかも長いので重心が不安定になります。刀を帯びたまましばらくは基本的な足慣らししかやりません。

刀を帯びたまま何だかんだで1時間近く居れたので、すっかり体に馴染んでしまいました。刀を外すと腰がちょっと寂しくなる程度には体が重量バランスを覚えてくれました。

「JAZZ-05」の豪快なリハ風景を見た後にTAPです。少々気が引けますがそれはそれ。片山さんのお顔を見ていたら多少は緊張もほぐれました(笑)。細かいミスはあるとして、ようやく「刀を帯びて踊ることに慣れてきた」実感があります。
それにしても一人で2分半は長い・・・! 初めての経験に戸惑うばかりです。

さてさて、ほかのクラスを見ると、けっこう衣装も決まっているところも多く、ちょっと焦ってしまいますね。あっさりと出来合いの衣装を買って「コスプレ」でいくか、それとも寄せ集めてアレンジをするか、迷っております。

次は「お面をつけて踊る練習」、つまり「視界不良の状態で踊る練習」をしないといけません。

お話は変わりますが、12月の冬至明けは「太陽のお正月」。明けて1月は「一般的なお正月」。2月の節分は「神界の大晦日」というようです(立春がお正月)。節分には「節・フシを分ける」ということもあり、誓いを立てる、仕切りなおすには非常に良い日です。物事が「切り替わる」大きな流れに合わせて、自分も「乗る」のです。

丸々とした「金太郎いわし」。京都では節分に食べる。

 

昨年は解厄の御礼参り(厄年明け)でしたが今年は普通の神恩感謝のお参りをします。2月は『建国記念日』『祈年祭(秋の新嘗祭と対になる大事な祭り)』『天皇誕生日』と大事な日が多いです。

「バレンタインデー」? そんな商業主義の経済イベントは知りませんなぁ・・・・!

第一回目のリハーサルも終えて

 

先週の日曜日に発表会の第一回目のリハがありました。

出番を待って、順番が来たら出る。それだけのことが意外に緊張するものです。
リハに合わせて練習したり、そのための時間を都合したり、「あ”~~・・・リハかー・・・」という気持ちもありますが(苦笑)、本番に向けて必要なことなのでとても良いチェックポイントであることは間違いありませんね。

失敗するところは失敗した方がかえって修正しやすかったり、あいまいだったりする作品の構成を見定めることができたり、とても役に立ちます。

発表会が3月開催の場合、12月から1月にかけてが中だるみの期間になるように思います。2月に入れば残り1か月を切ってジリジリしてくるので逆に「早く発表会にならんかな」という感じになりますね。

さて、22日は「冬至」です。昼の長さが一年で一番短い日。この日を境にまた太陽が出ている時間が長くなっていき、夏至で頂点を極めます。

太陽の周期でいうと、冬至が「太陽の大晦日」であり、その翌日が「太陽の元旦」ともいえるわけです。クリスマス前後に休暇を取りたがる西洋諸国もそのあたりに意義があるのかもしれません。私も23日は休みを取って氏神さま&大阪の一之宮へ年末詣でに参ります。「一年間お世話になりました」、ということですね。
やはり無事に生かされている上での趣味でありダンスであり、そういう点での感謝を再確認するためのものでもあります。

 

今に生きる神話の国

フリーウェイダンススタジオの発表会に参加を表明して早やひと月ばかり。何年か振りのHIPHOP(BON先生)にもようやく慣れてきたかな、というところです。

久々にスタジオに行く回数が増えましたが、行く前の気の重さ(笑)とは裏腹に、終わった後のすっきり感は格別ですね。「疲れる」ことをしているのですが、逆に身体もシャキっとするように思います。行ってしまえばその気になるんですが・・・仕事の終わりに行く気と体の重さよ(苦笑)。

さて、先月の「即位礼正殿の儀」に続き、「大嘗祭」が無事に斎行されました。

「総費用およそ27億円」という数字が大袈裟に取り沙汰されております。「壮大な神話ごっこ」と言ってしまえばそれまでなのですが、それが実行できるということがどれほどの意味を持つでしょうか。

いろんな意味で、様々な面で、国家に余裕と平和がなければそんなことは到底できないということです。それを見届けられる余裕がある国と国民、素晴らしいことと思います。

科学の発達した現代の真っただ中、ウミガメの甲羅を使った占いであったり、古式に乗っ取った建築物を建てたり、電気も何も使わない寒い暗闇の中で儀式を斎行したりと、「最古」と「最新」が交わりあう不思議を味わうことができます。

ちなみに暗い中で行うのは清浄さを求めた「浄闇」という意味だけでなく、世に生まれ出でる前の暗い胎内という説もあります。

オカルト的なお話ですと、天照大御神の子孫たる天皇陛下と、日本の土地、ひいては地球にも繋がる国常立大神(くにとこたちのおおかみ)という神霊の心身の合一の儀式だそうです。合一が伸るか反るか、日本の行く末が決まってしまうくらいの重要度があるとのこと。

今回いちばん見たかったのは、畏れ多くも天皇陛下の御顔と雰囲気の変化でした。
儀式を終えられ午前4時過ぎに赤坂御所にお戻りになられた時の陛下は、たしかにちょっと違っておりました。「昭和天皇の雰囲気がある」という意見を知り、たしかにあの首の傾け方やあご周りの(角度の)雰囲気がよく似ているような気もしましたね。

15日は氏神様の大嘗祭奉告祭に参列しつつ、ささやかながらも「皇室弥栄」の奉納祈祷をしてまいりました。

さらに来週の23日はローマ教皇が38年ぶり2度目の来日です。御顔を拝見したのですが、東京には行けないし、ドームの合同ミサは抽選だし、ちょっと無理なのが残念です。

明日はハロウィン

先日の「即位礼正殿の儀」。いかがお過ごしでしたでしょうか。
天皇陛下における一代一度の大事な儀式です。そして世界中から来日する王侯貴族。お金や経済力、軍事力ではそうそう動かない人たちですが、天皇陛下のご人徳と世界に類を見ない皇室の歴史の深さ。稀有な男系の万世一系。それらがあったからこそかもしれませんね。

言葉を借りるならば、
「限りなく古く、また常に新しい」
それが日本の皇室です。

私もそうそうない機会なので、氏神様にて「国家繁栄」を奉納祈祷させていただきました。

また、当日は様々な「偶然」が報告されており、実にファンタスティックでした。「天叢雲剣」、「八咫烏」、「天使の梯子(大阪・橿原神宮にて)」etc・・・神話の生きる国、日本ですね。

次は11月の「大嘗祭」です。先の「即位礼正殿の儀」が国事行為であり「表」とするならば、こちらは皇室行事であり神事、秘儀であり「裏」です。この二つをもって、天皇陛下が正真正銘の「天皇陛下」とおなりになられます。

平成の時は何の興味もなかったのですが、今回はもう興味津々で、今からとても楽しみです。年を取ったということですかね?

さて、明日は「ハロウィン」です。
しかし、昨今の喧騒を見ているとこれは「知能指数の低さを競うイベント」なのだろうかと疑問に思ってしまう次第。
慎ましく、楽しくコスプレや雰囲気を楽しんでいる人もおられますが、騒ぎに便乗する軽漂浮薄な人たちを見ると、人間をやめて、人面獣心の、正真正銘の化け物になってしまうイベントなんですね~・・・と。

「渋谷ハロウィン」なんて、対策費用でおよそ1億円だそうです。ばかばかしい。

 

お彼岸も近いですね

だいたいひと月に一回のペースになっておりますね。
帰って食事を済ませると、眠くて頭が働かないのです・・・。

「TAP」では米津玄師の「lemon」をベースにしてやっておりますが、これがまた難しい。振り付けもそんなに難しくないのに、やってみると難しい。いかに音を聴いていないかというのがよくわかります。

 

8月末は毎度おなじみの伊勢神宮参拝に行きました。
今回は外宮で、人生で初めての「御神楽奉納」をいたしました。受付で申し込んで、祈祷殿に昇殿して祝詞や御神楽を奉納するアレです。

感想は、日本人なら一生に一度はやってみる価値がある、ですね。

「倭舞(やまとまい)」も良かったですが、その前にある「神饌の奉納」がすごい。ゆったりとリズムを取っている楽師の太鼓や笛の音に合わせて、舞女(巫女さん)がほぼ左右同時動いて祭壇へお供え物を献上するのです。決まりきったデジタルな動きなのですが、それでいて揺らぎがあるアナログ感もある。見とれてしまいます。
書いてしまうとただこれだけのことなのですが、動きの1つ1つが素晴らしくて、また正中を横切る時はきちんと一度しゃがむ(正中を横切るための礼的動作)のです。
神事にまつわる礼儀作法と様々な約束事、それらを踏まえた上での神前における「形」の動作。素晴らしいです。

それもそのはず。伊勢神宮は独自の楽師の団体を抱えています。音楽にしても舞にしても雅楽系の専門家集団を有している訳で、たしかにそのクオリティの高さはうなずけますね。ちなみにこのような集団を抱えているのは、熱田神宮と宮内庁だけのようです。

外宮の後は伊雑宮、そして内宮といったいつもの参拝コースです。内宮での御神楽は来年の機会という事で、日帰り参拝も無事終了しました。
もちろん、スーツ着用での参拝旅行でした。

お土産に買ったのは「作(ざく)」というお酒。氏神さまの奉納用と自宅用。これがまた美味いのです。三重と言えばこの「作(ざく)」か「而今(じこん)」。銘酒に間違いはなかったです。

9月の「おついたち参り」では初めて早朝の「献湯神事」に参列させてもらいました。この「献湯神事」の後に「月次祭」があり、そして私個人の「神恩祈祷」があります。小さいながらもこういった「公」の神事に参列するのは初めてで少し緊張しましたね。
「献湯神事」では巫女さんが来ておられて、神楽の舞を奉納していました。(神宮と比べちゃいけない・・・・・・。)と内心思ってしまいましたが、後で聞いたら高校生の巫女バイトさんなので仕方ないですね。

 

本日18日は「社日(しゃにち/しゃじつ)」という、地元の産土神社に感謝する日だそう。ものすごくマイナーですが、載っているカレンダーもあります。早朝に参拝してきました。
20日には「秋の彼岸入り」ですね。墓参りや仏壇に手を合わせましょう。

踊ることができる状況、時間、健康がある感謝ですかね(笑)。

ようこそ、アンダーグラウンドへ

今年のお盆進行はなかなか大変でした。疲れがきているのか、何だかボーッ・・・としてないで、けっこう頭がギュウギュウ詰まっている状況です。

最近は寝てもものすごく夢を見るので(脳のデフラグ)ちと疲労が残っているかもしれません。

さて、

【わが青春のインターネット】「2ちゃんねる」誕生から20年 名無しさんたちに聞いた“昔ながらの匿名掲示板”の魅力と今なお存続する理由

ある程度の年代の人なら、かつて巨大掲示板群「2ちゃんねる」が、かなり“あやしい”存在だったことを覚えているでしょう。独特なネットスラングが飛び交い、リンク先はブラクラ、書き込んでいるのは匿名のユーザーばかり。「殺伐」「アングラ」などと形容されていました。

(中略)

令和元年を迎えた2019年は、2ちゃんねる誕生20周年の年。Twitter、InstagramといったSNSが台頭した今でも使われ続けている“匿名掲示板の魅力”とは何なのでしょうか。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190820-00000015-it_nlab-sci

 

「我が青春のインターネット」は大学時代から始まりました。それはもう世界が圧倒的に広がりました。一般世間ではクソマイナーだったことが、ここではもう語りつくせないほど語られている。情報がどんどん入ってくる。知りたかったことがこれほど手軽に知ることが出来る。そして「2ちゃんねる」。「何でもアリの夢幻の荒野」といった感じで、殺伐感がありつつも、実に楽しい。

ただ、「2ちゃんねる」の元管理人・ひろゆきがいうところの「嘘を嘘と見抜ける人でないと利用は難しい」のは本当。そして、これからも隠される情報は、隠され続ける。なので真実はネットにはほぼ存在しない。このあたりを踏まえない人が最近増えているような気もしますけどね。

そのネット絡みで、「インスタ映え」ならぬ「インスタ蠅」事件。

 

インスタ映え?撮影→8割食べ残しの非常識客 被害のジビエ料理店は「出禁」を決めた

大阪のジビエ料理店で、人数分以上の料理を注文した客がスマートフォンで写真を撮ってから大量に食べ残していったとして、店側がツイッターで「ご予約もご入店もお断りしたいと思いました」と「出入り禁止」を宣言した。

(中略)

「3人で来て5人前の料理を注文、更に追加注文して大量の料理を前にスマホで写真だけ撮り8割り方残して行かれた方には流石に今後料理をお出ししたくないのでご予約もご入店もお断りしたいと思いました。お金を払ったらインスタ映えの為に料理を大量に残しても構わないと思っている方々は御遠慮下さい」

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190821-00000000-jct-soci

 

うーん、まぁ、何というか。

そもそも作り手へのリスペクトはもちろん、生産者や食材への感謝が失われていると思います。その料理が完成されるまでに、多くの時間や手間、そして命が費やされているんですよ。
「食べ残し禁止とか書いてない」「お金を払っているから問題ない」という意見もあると思いますが・・・・・・・・あいにく、ここ「日本」の国では、こういう「我良し」なコトをすると後で困ったことになる可能性が高いんですよね。

何故って??  お天道様が見ておられますので(笑)。

端的に言うと、食べ物を食べられるのは犠牲の上に成り立っているので、感謝が必要な訳です。

食事の大切さはキャンプなどでも体験はしましたが、地味にアニメ「北斗の拳」の影響もあるんですよね。派手な北斗神拳やグロい殺陣に目が行きますが、アニメの前半は荒廃した世界における「食料と水、ガソリンの価値」がしっかり描かれています。

いろいろと可哀想というほかありません。インスタ映えで食べ物を粗末にする人たち、ご愁傷様です。

動乱の8月か?

7月は長かったような、何とも言えない月でした。

今月の「おついたち参り」は奇数月なので昇殿参拝しましたが、妙なことに随分と以前の事のような記憶があります。

何年振りかで上京いたしました。知人に会う為と、靖国神社、明治神宮等参拝するためです。久しぶりの東京は「随分と、街も人もダサくなったな」です。それには知人(東京に3代前から住む)も同意。昔はこんな感じじゃなかったんですがねぇ。歩きスマホは圧倒的に東京の方が多い!

ただ、知人に連れられて行った「新宿伊勢丹」は別格でした。ここは違う。世界が違う。
1階フロア入ってすぐに「宝石貴金属売り場」とは恐れ入ります。

さてさて。
靖国神社は正式参拝。日本人ならしておきたいところ。心置きなくスタジオで踊れるのも先人の築き上げたものがあってこそ、です。
参拝に同席した人たちがほぼ「普段着」だったので、そこまで堅苦しくはないようです。もちろん私はフォーマルスーツ我唯一人・・・・。

その後の明治神宮はあまりの人の多さに辟易。大都会東京にこれほどの巨大な森があることには驚きましたが、外国人の多さにも驚きました。ご社殿参拝後は思い切って神恩祈祷申し込み。まさか一日に2回も昇殿するとは思わず、です。

そして噂に名高い東京大神宮。東京大神宮といえば縁結び。予想以上の小規模にびっくりしたものの、その参拝者の密度の高さにも驚愕。
「崇敬度合い」が高いとはまた異なる熱心さがありましたが、それならなんで昇殿参拝しないのだろう?と不思議に思いました。

浅草寺はこれが「平日か?!」というレベルの混みよう。外人しかいない。「江戸時代に奉納された石の橋」等々、細かく見ると面白いんですが、ゆっくり見てられません。

東京から帰って、翌々日くらいに氏神さまを参拝。帰還報告でもあり、神職さんにお土産を渡す用事もありましたので。
氏神さまベースの参拝は基盤がある安心感がありますね。

 

それにしても、お隣の国にイスラエルの大統領が来ていたなんて話、ほとんど報道されてなかったですね。これは「最後通牒」のようなもの。ユダヤの伝統で、アカンところ、見捨てるところには偉い人が直々に来るという話。

イスラエルの大統領がわざわざ韓国に来て、首相に黒いタルムードをプレゼントしたという。

ユダヤ民族に伝わる口伝律法を納めたタルムード(Talmud)には、旧約聖書(トーラー)に対する議論や解釈が収録されており、ユダヤ人の信仰および生活の基盤となっている。 

かなりざっくり書くと、法律であるとか判例であるとか、そういったことをまとめたもの。

これを大統領が手渡すという事は「法律を勉強しなさいよ」ということでもあります。まぁ、ルールが守れない、道理がわからない・通じない民族では厳しいでしょうから、これを手渡される意味は最後になるまで分からないんじゃないでしょうか。

相変わらずマスコミは吉本報道と韓国擁護しかしていないですが、日本人もそろそろテレビから尻尾が出ているコトに気付いた方がイイと思うんですけどね。

8月もどうなることやら、です。
ただ、「何とかしてください」と不安を解消するために神社仏閣に行っているわけではなくて、逆に今まで生きてこれた感謝を奉納し、これからに対して腹をくくるため、という意味合いが大きいです。

「King of Pop」マイケル・ジャクソン 10周忌

「BOSS」(ドイツ)が2018年9月に販売。
マイケル・ジャクソンがアルバム「スリラー」のジャケット写真で着用したアイコニックスーツの新バージョン「ザ スリラー スーツ(THE THRILLER SUIT)」。
「ボス ストア 表参道」で受け付けていた。

 

 

2009年6月25日。
「King of Pop」ことマイケル・ジャクソンが他界した日です。

マイケルの十周忌にいつもよりちょっとボリュームのある「Basic-Jazz」で踊れたことは何よりも良い記念になりました。

あれから十年。
「今日は何の日だか、知ってますか?」
レッスンの始まる少し前にToshimi先生としみじみしてましたが、あれから十年なんですね・・・。

既に済んでしまった事とは言え、未だに思うことがあります。
マイケルの訃報が報道された後、掌返しの番組ばかりのマスコミ。雨後の筍のように生えてくる自称・熱烈なファン。

辟易しました。
それまでテレビではどれほどマイケルの奇行やら醜聞やらを面白おかしく取り上げていたか。自称・ファンもスキャンダルを野次馬の如く見ていた者ばかり。
正直、今の「ボヘミアン・ラプソディ」以降のクィーンもそうです。
映画の影響で自称・ファンばかり・・・。嘘つき。

 

休憩室で片山さんに少しお話を伺うことができました。片山さんもマイケルの片鱗を知る数少ない日本人でしょう。内容は秘密w。

ちなみに、マイケル・ジャクソンのゲームを作ったのは日本だけです。
かなり前のブログにも書きましたが、もう一度。

 

「マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー」
マイケル自身が監修しており、「多くの子供たちを誘拐する暗黒組織に対し、子供たちを救出するために立ち向かう」というマイケルらしいストーリー。


ちょっとハチャメチャですが、それはそれでよいとおもいます。

後にも先にも彼ほどのエンターテイナーはいないのですから。

情報はタダではない

 

6/22の「夏至」。一年の内でもっとも昼が長く夜が短い日。もっとも陽が極まる日として、神社仏閣へ参拝するには良い日でした。私も朝の出勤前にお参りに行きました。

 

平泉寺白山神社の「精進坂」

先月末は白山ひめ神社と平泉寺白山神社に足を運び、無事に参拝も済ませました。平泉寺白山神社は氏神の神職さんも「通」と認める場所で、あんまり気軽に行くところでもありませんし、面白みは味わえません。まして、近年のパワースポット信仰どっぷりでとにもかくにも「もらう」ことばかりであれば不向きでしょう。

なぜこうも「パワーをもらう」「いただく」ことばかりなのか?

それに関係しているかどうかはわかりませんが、得ることが当然と思われているモノに情報があります。

あくまでも一例ですが、ペットショップで勤務していると、少なからず以下のようなコメントが出てきます。たぶん、ペットショップに限らず、趣味系であったり何らかの技術・知識が必要な分野だとありうるとは思いますが。

「インターネットで調べたんですが」「ネットではこう書いてある」
正直な話、「バカか?」と返事したいところですが、そういうわけにもいかず(苦笑)。

 

「ネットで調べる」なんてことは今や当然すぎる情報検索ツールであって、そういうコメントが出る自体、20年以上は世の中から遅れているな~としか思いませんね。
大学自体にインターネットに出会い、これほど便利なツールが世に在るとは?!と感動して、狂ったように授業の合間に使っていました。情報がドンドン手に入る快楽(笑)。

ただ、「当然すぎる情報ツール」で便利は便利なのですが、十人十色であり、書籍のように「文責」が存在しませんから、要はそう云う事なのです。

そして情報があっても「基本的知識」が無いと自分の物にはできませんし、活用もできない。バカの一つ覚えみたいに「ネットで見たから」を繰り返す羽目になります。
若い人はまだいいんです。わりと素直に受け入れてくれますが、高齢者はダメ。
原始人が初めて「火」を手に入れた時の光景が頭に浮かんできますから(笑)。

 

情報リテラシーが異常にダメダメなのが日本人の特徴でありますが、googleであろうがYAHOOであろうが、検索はできても「検索の仕方」はぜんぜん教えれくれないのです。それに気づいていない人が多すぎます。

知らないから調べているのであるからして、「自分の”無知”を知る事」が大事でしょう。知らない事は知らないと思い切り、自覚すること。そうでなければどうしても見極めが甘くなります。自分に都合の良い、都合よくあってほしい情報しか目がいかなくなりますからね。

 

マスコミの情報操作の一環

 

ここ5年ほどは年寄りがスマホを手にすることが多く、「ネット」を使うことを覚えたようです。ただ、それはもう20年以上前に私が通過した地点で、ネットで得たであろう知識を得意げに語られると先に述べたような情景が目の前に(笑)。

数多の情報の取捨選択、吟味、活用・・・そもそもの「検索の仕方(キーワードの引っ掛け方)」などなど、あまりにも稚拙であり、なぜこうも易々とネットの情報を「鵜呑み」にしてしまうのかが不思議でなりません。

「人に聞く」ことの延長線上にあると思われます。
自助努力をせず、他人の助けを当たり前に考えている人間そうなってしまうのではないかと。他に答えを求めすぎ、また絶対の真実が用意されていると思い込んでいる馬鹿さ加減。

たとえば「人に道を訊く」ことにしても、その人が地元の人間かそうでないか、それだけで大きく違ってきます。仮に地元であったとしても地元の人間の感覚と地理に明るくない他所の人間では受け止め方が異なります。そもそもからして相手に答える義務や必要性は無いという前提をすっかり忘れている人の多い事。そこには対人コミュニケーションのスキルである「礼」が必要なんです。

 

 

私は「情報コ●キ」と呼んでしまうこともありますが(笑)。

 

「ネットがあってもすべての情報が表に出るわけではなく、結局隠される情報は隠される」
当時の大学の教授が言っていたことは本当でしたね。

 

21th.FREEWAY DANCE FESTIVAL 

令和元年5月6日(祝・月)。

第21回 フリーウェイダンスフェスティバル(FWDF)が開催されました。5/1をもって元号が「令和元年」になり、正月にも似た雰囲気の中で行われたことは発表会の歴史の中でも記念すべきことではないでしょうか。

残念ながらすべての演目を観ることはできず、休憩の少し前に到着という不本意ながらも楽しめました。

ただ、今回、少々残念だったのは「フィナーレから閉幕」がまとまらなかったこと。
これは我々「観客」が悪いというほかありません。

クラス紹介・講師紹介が終わり、恒例の花束贈呈で舞台の上がカオスの様相を呈するのは毎度のことだが、今回は違ったように思います。いつもより長く、そして人が多く、いつまで経っても帰りません。反面、ステージに行かない客も、観終わったとばかりに席を立ち、帰っていきます。

花束贈呈も終わり、舞台がすっきりし、最後の御礼を申し上げるところになると客席はガラガラ。舞台から降りた観客も落ち着きなくウロウロしています。
緞帳が降りてきましたが、ちょっとラストが締まらない感じで、演者に申し訳ないように思います。

もっとも、観覧中も似たようなもので、スマホの画面が光っていたり、ウロウロしていたり、落ち着きがありません。

今回は、演目がひとつ終わるたびに「ホォウ!」と客席のおっさんの野太い声を聴かされていたので、ちょっとゲンナリ(苦笑)。せめて口笛とかだったらカッコいいのにと思いましたが、どうにもこうにも粋な人間はいないものです。

「歌舞伎」などでは常連客や歌舞伎通の間で様々な取り決めがあるらしい

 

 

他人の厚顔無恥に腹が立つとき、ただちに自問してみなさい。「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがあり得ようか」と。そしてそれに「あり得ない」と答えるだろう。それならば、あり得ぬことを求めてはいけない。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス 第16第ローマ皇帝 ストア派の哲学者

 

観客のレベルの低下・・・という言葉が頭をよぎりますが、なにかこう、非日常空間に日常を持ち込んでくる、または相応の手段を取ろうとしない「無粋さ」に苛立ちを覚える私の方が圧倒的に少数派なので仕方ない事なんですけどね。

さて、本題。

今回は「照明」がひと際優れていたと思います。
随分と練られた感じで、それぞれの「作品の雰囲気」にマッチした光明には観る者を安心させるものがあったと思います。

Light bulb and shadow.

先述したように到着が休憩の少し前ということで、まともに観たのが「14.Jazz Musical」からです。キラキラのトップスがうまい具合いに照明と適応して、振りのポテンシャルの引き出し具合が素晴らしかったですね。メンバーである数少ないメンズのO氏の奮闘は”美事(みごと)”というほかありません。この後の休憩タイムにトイレに行ったら運良くO氏に久しぶりに会えて、その健闘を称えました。

休憩を挟んでTAPグループ。

「15.Basic Tap」は「昭和の刑事」的雰囲気を醸し出しているようでしたが、まだまだ設定の練り上げが足りませんね(笑)。左脇に重い銃をぶら下げている微妙な「アンバランス感」と銃を所持する「緊張感」が無い!見えないからと言って手を抜くべきところではありません(超絶独善的)。

「16.Tap(adv.)」は昨年越えを果たしてました。ただひたすらにTAPの「音」をもって客席をノリノリにさせていたのは見事というほかありません。

 

「17.ポアント&Ballet(open)」は正統派。一度は目を通しておかねばならない。西洋舞踏の根幹でもありますので。
おっさんの野太い掛け声はジャマっ!!!

「18.House」はとても長い時間踊っていたように・・・実感で4分半くらいに感じたのですが、たまたまYuji先生にお聞きする機会があってお聴きしたところ、「3分半くらい」とのこと。密度が濃かったかもね、ということでした。

先生も一緒に踊っておられましたが、生徒を暖かく見守り、気遣う姿勢が好感度マシマシですね。

 

「19.LOCK」ですが、ちょっと先生が目立ちすぎてたかも・・・。クラスの、全体的な印象がぼやけてしまうんですよね。

で、実は「20.Jazz3 -Toshimi-」以降、「21.HIPHOP JAZZ」と「22.Waack」と「23.Jazz HIPHOP(adv.)」、「24.プロダンサー科」がゴッチャになってしまって、記憶の整理整頓があまりついてないのです・・・・。すみません。暗がりだったのでパンフで確認しきれずだったせいもあり(これでメンバーと演目の印象付ける)、申し訳ないです。

 

泣く子も黙る「25.HIPHOP(月)」は、相変わらずのBON先生のテイストながらも、いつもよりおとなしめな印象でした。豪胆さはありませんが、身体をグイグイ動かしていく能動的な感じがありつつも音を追い越していない絶妙なバランス。

そして大トリの「26.Jazz5」。何が良かったって、衣装。

デザインというよりは布の質感と長さと色。布がひらめいて、落ちていくその流れ具合。何とも言えないタイムラグがダンスの振りを何倍にも魅力的にする。肉体の動作が直線的に終わるだけでなく、肉体の動作に合わせてたなびき、またひらめく布が残像的余韻、まさに「質量のある残像」として観る者を釘付けにする。

動作(振り)と衣装の、これ以上ない至高のハーモニー。「舞う」と「踏む」、そういう言葉すら連想してしまうほどの姿勢(姿の勢い)。

衣装に拘りを持つ者として、めったにない光景を見ることが出来たと思います。

ダンスのすべてがここにある「21th.FREEWAY DANCE FESTIVAL」はかくして閉幕。冒頭に書いたように観客の節度が緩くなってしまってダラダラして締まりのないラストになってしまったことは残念でしたが、演者の皆さんの健闘を心より称えます。

 

ダンスとは「エコ・フィロソフィ(Ecophilosophy)」の側面もある。

それは課題発見型の哲学である。前もって課題の全貌が見えているわけではなく、. 新たに出現する課題にも敏感に対応し、そこに選択肢を設定していくような探求領域である。

舞台(スタジオならフロア)に立った刹那、初めて分かることが無数にあるのだ。世間に満ち溢れている「何の役に立つの?」という損得勘定、利益追求、世間体から隔絶されてみるよい機会なのである。

 

声高にグローバリゼーションが叫ばれる今日ですが、各々が自分たちの足元を掘り下げてゆくことこそが今求められていることなのではないでしょうか。『お手手つないで前衛芸術』は成立しないのです。舞踏には虚偽のやさしさや同情は関係ありません。一人ひとりが自分の足で立つことから舞踏は始まります。そして美しい蝶になって羽ばたくためには長いさなぎの期間を経ることも必要なのです。困難の中にこそ希望があり、闇を経てこそ光の世界が待っている。世界が直面している経済の変動と政治的激動の渦の中で、実は私たちの内部にこそ、その現実を凌駕する広大無辺な宇宙が広がっていることを舞踏は教えてくれます。師・土方巽の『舞踏は自然から習え、肉体は物から習え』という言葉がさらに重みをも持ってくるように感じます。舞踏は単独にその世界を生きている、そう思いながらこれからも舞踏とは何かを考えてゆきたいと思います。

和栗由紀夫(舞踏家)

東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.10より引用