情報はタダではない

 

6/22の「夏至」。一年の内でもっとも昼が長く夜が短い日。もっとも陽が極まる日として、神社仏閣へ参拝するには良い日でした。私も朝の出勤前にお参りに行きました。

 

平泉寺白山神社の「精進坂」

先月末は白山ひめ神社と平泉寺白山神社に足を運び、無事に参拝も済ませました。平泉寺白山神社は氏神の神職さんも「通」と認める場所で、あんまり気軽に行くところでもありませんし、面白みは味わえません。まして、近年のパワースポット信仰どっぷりでとにもかくにも「もらう」ことばかりであれば不向きでしょう。

なぜこうも「パワーをもらう」「いただく」ことばかりなのか?

それに関係しているかどうかはわかりませんが、得ることが当然と思われているモノに情報があります。

あくまでも一例ですが、ペットショップで勤務していると、少なからず以下のようなコメントが出てきます。たぶん、ペットショップに限らず、趣味系であったり何らかの技術・知識が必要な分野だとありうるとは思いますが。

「インターネットで調べたんですが」「ネットではこう書いてある」
正直な話、「バカか?」と返事したいところですが、そういうわけにもいかず(苦笑)。

 

「ネットで調べる」なんてことは今や当然すぎる情報検索ツールであって、そういうコメントが出る自体、20年以上は世の中から遅れているな~としか思いませんね。
大学自体にインターネットに出会い、これほど便利なツールが世に在るとは?!と感動して、狂ったように授業の合間に使っていました。情報がドンドン手に入る快楽(笑)。

ただ、「当然すぎる情報ツール」で便利は便利なのですが、十人十色であり、書籍のように「文責」が存在しませんから、要はそう云う事なのです。

そして情報があっても「基本的知識」が無いと自分の物にはできませんし、活用もできない。バカの一つ覚えみたいに「ネットで見たから」を繰り返す羽目になります。
若い人はまだいいんです。わりと素直に受け入れてくれますが、高齢者はダメ。
原始人が初めて「火」を手に入れた時の光景が頭に浮かんできますから(笑)。

 

情報リテラシーが異常にダメダメなのが日本人の特徴でありますが、googleであろうがYAHOOであろうが、検索はできても「検索の仕方」はぜんぜん教えれくれないのです。それに気づいていない人が多すぎます。

知らないから調べているのであるからして、「自分の”無知”を知る事」が大事でしょう。知らない事は知らないと思い切り、自覚すること。そうでなければどうしても見極めが甘くなります。自分に都合の良い、都合よくあってほしい情報しか目がいかなくなりますからね。

 

マスコミの情報操作の一環

 

ここ5年ほどは年寄りがスマホを手にすることが多く、「ネット」を使うことを覚えたようです。ただ、それはもう20年以上前に私が通過した地点で、ネットで得たであろう知識を得意げに語られると先に述べたような情景が目の前に(笑)。

数多の情報の取捨選択、吟味、活用・・・そもそもの「検索の仕方(キーワードの引っ掛け方)」などなど、あまりにも稚拙であり、なぜこうも易々とネットの情報を「鵜呑み」にしてしまうのかが不思議でなりません。

「人に聞く」ことの延長線上にあると思われます。
自助努力をせず、他人の助けを当たり前に考えている人間そうなってしまうのではないかと。他に答えを求めすぎ、また絶対の真実が用意されていると思い込んでいる馬鹿さ加減。

たとえば「人に道を訊く」ことにしても、その人が地元の人間かそうでないか、それだけで大きく違ってきます。仮に地元であったとしても地元の人間の感覚と地理に明るくない他所の人間では受け止め方が異なります。そもそもからして相手に答える義務や必要性は無いという前提をすっかり忘れている人の多い事。そこには対人コミュニケーションのスキルである「礼」が必要なんです。

 

 

私は「情報コ●キ」と呼んでしまうこともありますが(笑)。

 

「ネットがあってもすべての情報が表に出るわけではなく、結局隠される情報は隠される」
当時の大学の教授が言っていたことは本当でしたね。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です