文字通りの「乱痴気騒ぎ」

ハロウィン・・・。

古代ケルト人、ドルイド信仰の祭祀に由来を持つ「ハロウィン」。宗教的な祝祭と儀式。キリスト教とはいっさい無関係なものをカトリックがその異教徒を改宗させる目的で祝祭としてしまった。

今では経済主義とマスコミが「イベント」と化し、行き着く果ては「人心の荒野」でしかないことを示してしまっている。

いや、ある意味において原点回帰かもしれない。本来的にこの祝祭と儀式は「魔」の領域であり、残酷なモノである。仮装は儀式に伴って現れる悪霊や魔物から身を守るため、つまり同化して見過ごしてもらうためのものであるから。

仮装をする人は、本来自分が持っている自己認識を薄めるか、あるいは喪失することになる。確かに、ハロウイーンで悪魔やゾンビなどの仮装をして歩く人たちを見ていると、その指摘がそう間違いではないと思わされる。

・・・が、その実、もっとも悪辣な人外と化すのは何の仮装もしていない「一般人」である。

仮装をする以上は「参加」している意識がある。自分の意志で。

仮装もしていない、あるいはお茶を濁す程度である者はその参加の意識は薄く、主体性の無さから場の雰囲気によって流されやすい。雰囲気次第によっては即座に暴徒と化す。

アングラ系のクラブイベントでも時代を経てドレスコードが緩くなり、「一般人」が入るにつれて面白みが無くなっていった。彼らはどこかで「傍観者」であろうとし、関係のない別世界の人間を気取ろうとする。(クラブイベントの趣旨に沿って参加している)我らに対するリスペクトなどない。

意馬心猿。

仏語。馬が奔走し猿が騒ぎたてるのを止めがたいように、煩悩・妄念などが起こって心が乱れ、抑えがたいこと。

 

渋谷をはじめとした各地の繁華街は「百鬼夜行」のごとく、人の形をした「物の怪」どもが溢れており、ここまで白日の下に晒されることはいっそ心地よい。でも、ハロウィンイベントはもうたくさんだ。

 

あるいは、1人では何もできない田舎者たちの寄り集まった結果ともいえる。「仮装」することもできないのだからな。

 

**********************

低級な頭脳の人間は、手当たり次第に何でもかんでも取り上げて、乱痴気騒をしては、その場を凌ごうとする。

 

愚鈍な人間は、ひとりになると社交よ、芝居よ、遠足よ、娯楽よと、ひっきりなしに目先が変わっても、死ぬほど辛い退屈は、凌ぎがつかない。

 

ショーペンハウアー(1788~1860 ドイツの哲学者)

************************

 

 

さて、今日は「おついたち」でしたが、ひさびさに「月次祭」にも参列しました。晴れやかな天気の中での昇殿参拝(神恩祈祷)でした。神職さんとベラベラ長話をして次の予約の人を待たせてしまったのは実に申し訳なかったです。

氏神様を後にして、お寺に月初めの参拝。帰宅してからは軽く部屋の片づけをして、「お昼寝タイム」。何も考えずに寝る、ただそれだけが至福(笑)。

 

〇今月の奉納酒。
「わかむすめ 月草」 新谷酒造@山口

今回は自宅神棚用にも同じもの(700ml)を買いました。まだ飲んでませんけど。

 

日本酒こそ米と水の精髄。神気も宿ると言うものです。
ただ、最近のストロング系の流れに乗って、ストロング系の日本酒も発売されるようです。

実にバカバカしぃ・・・・。

経済中心主義は、ここまで知能というか文化レベルを劣化させるのですね。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です