リスクの軽視と想像力不足

暑い暑いとは申しますが、20日は「夏の土用入り」。「土用」は季節と季節の過渡期ということで、真夏はもう終わろうとしています。8月の頭に土用を抜けたらもう季節は秋ですからね。

本日は住吉大社へ参拝してきました。摂津国の一ノ宮であり、地域的に私の氏神さんの一つ上の神社になるわけです。昇殿・祈祷はしない簡略参拝で、じっくりと境内を巡ってきました。

住吉大社は伊勢神宮や春日大社と並び、伝統的な神楽を継承されていることで有名で、ここでは巫女さんを「神楽女(かぐらめ)」と呼びます。授与所であっても、鏡や松、白鷺をあしらった神籬(ひもろぎ:神霊が降りるところ)的な飾りを頭に付けています。

 

さて。

語弊はあるかと思います。でも、天災の被害を人災だとして恨む対象を作る人間の弱さ・・・を実感します。私も逆の立場だったらそうなる可能性だって否定できませんけど。

リスクを想像できない、軽視するのが人間。そして何か起こったら他者に責任を擦り付けるのも人間。自己責任の果てでの「人災」かもしれません。

昔、中洲に取り残されてたバカな間抜け連中がいましたよね。
警察や消防や地元の方々が何度も繰り返し「危ないから避難しろ」って注意したのに、逆に罵声浴びせて追い返した挙句、一夜明かして被害に遭いました。

「玄倉川水難事故」です

それとは少々異なりますが、

 

仮に「沈みます」と言ったところで「どのくらい沈むか言って欲しかった」とか言いそうです。具体的にどのくらい沈むか伝えたところで「数字で言われても理解できない」「分かりやすく『逃げろ』と言ってくれれば」というループを繰り返す可能性が高いと思います。

安全が確保された後での後知恵みたいなものだから言えることでもあります。

「聞いてなかった」「教えてもらってない」「見てない・知らない・悪くない」のないない尽くし。自分の無知を恥じることもなく、責任転嫁能力がどれほど高まったところで危機回避能力は低下する一方です。
まして自然、天災相手にはほぼ無意味。

緊急時は、状況を説明する言葉では主語やらの認識にズレや時間を要するため、
取るべき行動の言葉そのもの(この場合はまさに「逃げろ」)を呼びかけるのがセオリーです。

 

早めに避難させて何も起きなければ文句を言うだろうし、強制力を持って避難させたら行政の横暴!とか言うだろうし、本当にキリがありません。

色んな人間相手の行政の大変さがよく分かります・・・・・・。

 

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