初夏の風に肌も汗ばむ頃、

深緑、入梅、夏秋、麦秋etc・・・6月になりました。

遅れながらのおついたち参りに行ってきました。
店長が「香港」に行ってやがりましたので月初に休めなかったのです。

それにしてもなにこのおみやげは・・・・・・。
変なパンダのクッキー。元・英国領の香港でこのレベル??

「でしょ?」と我々の反応をみて楽しむ店長。
「そこらのイオンで買った方がはるかに美味いでこれは」と異口同音。

日本のお菓子、というより食べ物の美味しさを再確認です。

 

今月は神前にお供え物をするだけの簡易参拝でしたが、(雨でヒマだったせいもあり)有難くも御厚意で昇殿参拝をさせていただきました。

「おついたち参り」に限らず、そもそも参拝と言うものは神仏に願い、乞い、取り縋るものではありません。要は「自覚と認識」です。己の反省の一形態です。神仏という絶対的第三者に観てもらっているわけですが、それはある意味において「鏡」であり、自分と向き合う場でもあるのです。

教義もなければ教祖もいない。気楽に始められていつでもやめられる。厳密に言えば宗教ではないかもしれません。神道は日本だけのものなので、経験しておかねば勿体ないかも、です(笑)。
お賽銭、玉串料、初穂料etc・・・有り体に言えばそういう「場」を維持・存続するためのものですね。まさに「お気持ち」です。

さて、6月は「夏越の大祓」がある月。うちの氏神様は行事としての「夏越の大祓」をやっていません。ちょっと迷っていたのですが、後厄で半年が無事に過ぎたこともあり、大祓代わりに神恩の祈祷を月末にお願いしました。

で、奇数月(7月)は恒例としておついたちの「神恩祈祷」をしておりますので時期が近い。神職さんが気を遣っていただいたのか「それならば大祓をやりましょうか」ということになり、「夏越の大祓」の祈祷をしていただけることになりました。
(祈祷の種類としてはもともとある)

たいへん有難いことで恐縮です。

 

神職さんは「仲執り持ち」であり、神様と人の仲人です。より近く神のもとにお仕へして、人々の「切なる祈り」を取り次ぐ立場ですので、「神職」として常に心を浄化しておかねばなりません。それはとても大変だと思います。ある意味において「社会的なサービス業」ではありますが・・・・・・お坊さん、つまり寺の「僧侶」に比べるとけっこう勘違いされている観がありますね。

神社(神職)もお寺(僧侶)もサービス業的な立ち位置ではありますが、神仏との仲を執り持つ技術職とも言えます。なにより、基本的に「商売(商業行為)」ではありません。マスコミや各メディアが「参拝客」としているのも間違いです。「参拝者」ですね。

お守りやお札などを扱っている「授与所」も「販売店」ではありません。御神徳に値する一つの目安として「〇×円」とあるだけです。

まだまだ「御朱印」ブームが盛んである反面、どうしても不心得者が存在します。

 

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