「花に嵐のたともあるぞさよならだけが人生だ」井伏鱒二

「さよならだけが人生ならばまた来る春はなんだろう」
(中略)
「さよならだけが人生ならば人生なんかいりません」 と、寺山修司。

林檎が落ちるのは、落ちる法則があるからだ。しかし、私たちにとって大事なことは、林檎は落ちるという事だ。

寺山修司をそこまで読み込んだわけではありませんが、所感としては文字通り受け取りたくは無いな、と(笑)。

先日の春の嵐はすごかったですね。私は夕方から出ておりましたが、交通は大ダメージ。駅も大変な状況でした。駅のカウンターに殺到する苛立った群衆をみて感じたことは「喉元過ぎれば何とやら」ですね。平和ボケ、権威主義に並ぶ日本人のお家芸です。震災とは比較にならないとはいえ、ある意味、この日は異常事態。ま、この程度のものなんだろうな~と。
  

さらにその前の4/1。エイプリル・フール。四月馬鹿とはいいますが、馬鹿も馬鹿にはできません。馬鹿と云う者が馬鹿とはよく言ったものです。

古代中国。悪名高い「秦」の奸臣・趙高の、馬と鹿をもって馬鹿と成す故事は有名。簡単に言えば、粛清のための見極め的なデモンストレーションである。

※粛清=邪魔者を消すこと

当時、趙高の背後にあった権力を考えると、その状況にいざ直面すると大変に恐ろしい話。無論、趙高は自分の威(権力)を背景に、「鹿を以って馬と成した」わけだが。

趙高の粛清を逃れるために馬といって臣従するのがバカか、まともに鹿と答えて潔くすっぱり殺されるのがバカか、どちらかバカかはわからない。

理を非となし、非を理と成して、押し通す。そこには多かれ少なかれ権力が見え隠れしている。政治だけではない。社会、職場、ありとあらゆる人間関係においていつでも成し得る。もちろん権力・・・利権と見ることもできるだろう。紀元前の話が今になっても続いているわけである。

 

定年までの自分の給料を計算すると自分の値打ちが分かってしまうご時世だからこそ余計に、人はいつも感情と社会の戦争を続けるのかもしれません。「戦争」が、自分を新しく生まれ変わらせてくれると心のどこかで願って。