高野山に行ってからからもう一週間経ちました。2週間ぶりにスタジオを訪れ、試運転としてTurnとTAP(十七回目)。体力は落ち、柔軟性は失われ、これはどうなることかと思いましたが、思ったよりは鈍っていない。適度な脱力、軸と重力と・・・。今は素早く、力いっぱい動くことよりも、自分の体と相談しながらもっと楽に無理なく動けるようになることが目標です。

 

  

 

今月末はご存知、ハロウィーンですね。今でこそ定着してきたようで、本格的ビジネス化も始まっていますね(笑)。
ハロウィーンは起源は2000年以上昔に遡ります。ヨーロッパの古代ケルト人の祭祀儀礼によるものです。カエサルの「ガリア戦記」などにその社会や民族が記されていますが、このあたりは私も苦手で、ケルト人とかガリア人とか言われてもひまひとつピンときません。

ケルト人の宗教は自然崇拝の多神教で、ドルイド(Druid)と呼ばれる神官がいます。社会的役割としては宗教的指導者というわけでなく、政治や調停などの役割を担っていたとも言われています。特徴としては教義を書き記す習慣がなかったため、その実態を知るのは難航しているようです

現在の11月1日に当たる日を新年の始まりとして祝い、この祝祭を「サウィン祭」と呼んでいました。祭の前夜には、死後の世界へと旅立つ霊が地上を彷徨い歩くと考えられ、同時に妖精や精霊、悪霊など様々な超自然的存在も家の外を漂うと信じられていました。日本で言う「お盆」に近いものでしょう。

  

  

お化けになるきるのがハロウィン

お化けになるきるのがハロウィン

  

で、その妖精や悪霊から逃れるため、あるいは先祖のために家畜などの生贄をささげる儀式をし、その最中に取り付かれるのを防ぐために動物の毛皮をまとうなどして彼らの目をごまかせると考えたらしいです。また、死者を演じるために顔を黒く塗ったり、覆面を被っていたようです。

  

そもそも、今のようにデジタル時計などもなかった時代です。このように旧年から新年に変わる頃合というのは、こっちでもなければそっちでもないという非常に曖昧で不確定な、かつ両義的な時空間帯であったわけです。このような境界においては神秘的なものが取り付いているという観念、または超自然的な危険が宿るところだという観念が存在したようです。これもまた、割合に世界中にみられ、日本でも珍しくありません。  

動物の毛皮を被るにしても祖先(死者)を演じるのも、このような混沌(カオス)へのかかわりの中で導き出された儀礼的結果であるといえるでしょう。混沌への同化、秩序立てられた日常から非日常への移行、社会的秩序の無効化をもって曖昧な時をやりすごす。それは防衛的な意味だけでなく、社会秩序、役割、身分の一時的な打ちこわしも意味していましたので、一種の「ハレ」(ガス抜き)の場であったとも言え、人間と動物、生者と死者、身分の高低、男女の区別etcそういった境界の解消ですね。

  

それが7世紀頃にキリスト教の影響を受け、後世、ケルトの色が濃いアイルランド移民によりアメリカに持ち込まれて今に至るわけです。今は新大陸のかぼちゃが中心になっておりますが、もともとはカブをくりぬいたランタンが主流だったようです。

楽しいハロウィンを

楽しいハロウィンを