21th.FREEWAY DANCE FESTIVAL 

令和元年5月6日(祝・月)。

第21回 フリーウェイダンスフェスティバル(FWDF)が開催されました。5/1をもって元号が「令和元年」になり、正月にも似た雰囲気の中で行われたことは発表会の歴史の中でも記念すべきことではないでしょうか。

残念ながらすべての演目を観ることはできず、休憩の少し前に到着という不本意ながらも楽しめました。

ただ、今回、少々残念だったのは「フィナーレから閉幕」がまとまらなかったこと。
これは我々「観客」が悪いというほかありません。

クラス紹介・講師紹介が終わり、恒例の花束贈呈で舞台の上がカオスの様相を呈するのは毎度のことだが、今回は違ったように思います。いつもより長く、そして人が多く、いつまで経っても帰りません。反面、ステージに行かない客も、観終わったとばかりに席を立ち、帰っていきます。

花束贈呈も終わり、舞台がすっきりし、最後の御礼を申し上げるところになると客席はガラガラ。舞台から降りた観客も落ち着きなくウロウロしています。
緞帳が降りてきましたが、ちょっとラストが締まらない感じで、演者に申し訳ないように思います。

もっとも、観覧中も似たようなもので、スマホの画面が光っていたり、ウロウロしていたり、落ち着きがありません。

今回は、演目がひとつ終わるたびに「ホォウ!」と客席のおっさんの野太い声を聴かされていたので、ちょっとゲンナリ(苦笑)。せめて口笛とかだったらカッコいいのにと思いましたが、どうにもこうにも粋な人間はいないものです。

「歌舞伎」などでは常連客や歌舞伎通の間で様々な取り決めがあるらしい

 

 

他人の厚顔無恥に腹が立つとき、ただちに自問してみなさい。「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがあり得ようか」と。そしてそれに「あり得ない」と答えるだろう。それならば、あり得ぬことを求めてはいけない。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス 第16第ローマ皇帝 ストア派の哲学者

 

観客のレベルの低下・・・という言葉が頭をよぎりますが、なにかこう、非日常空間に日常を持ち込んでくる、または相応の手段を取ろうとしない「無粋さ」に苛立ちを覚える私の方が圧倒的に少数派なので仕方ない事なんですけどね。

さて、本題。

今回は「照明」がひと際優れていたと思います。
随分と練られた感じで、それぞれの「作品の雰囲気」にマッチした光明には観る者を安心させるものがあったと思います。

Light bulb and shadow.

先述したように到着が休憩の少し前ということで、まともに観たのが「14.Jazz Musical」からです。キラキラのトップスがうまい具合いに照明と適応して、振りのポテンシャルの引き出し具合が素晴らしかったですね。メンバーである数少ないメンズのO氏の奮闘は”美事(みごと)”というほかありません。この後の休憩タイムにトイレに行ったら運良くO氏に久しぶりに会えて、その健闘を称えました。

休憩を挟んでTAPグループ。

「15.Basic Tap」は「昭和の刑事」的雰囲気を醸し出しているようでしたが、まだまだ設定の練り上げが足りませんね(笑)。左脇に重い銃をぶら下げている微妙な「アンバランス感」と銃を所持する「緊張感」が無い!見えないからと言って手を抜くべきところではありません(超絶独善的)。

「16.Tap(adv.)」は昨年越えを果たしてました。ただひたすらにTAPの「音」をもって客席をノリノリにさせていたのは見事というほかありません。

 

「17.ポアント&Ballet(open)」は正統派。一度は目を通しておかねばならない。西洋舞踏の根幹でもありますので。
おっさんの野太い掛け声はジャマっ!!!

「18.House」はとても長い時間踊っていたように・・・実感で4分半くらいに感じたのですが、たまたまYuji先生にお聞きする機会があってお聴きしたところ、「3分半くらい」とのこと。密度が濃かったかもね、ということでした。

先生も一緒に踊っておられましたが、生徒を暖かく見守り、気遣う姿勢が好感度マシマシですね。

 

「19.LOCK」ですが、ちょっと先生が目立ちすぎてたかも・・・。クラスの、全体的な印象がぼやけてしまうんですよね。

で、実は「20.Jazz3 -Toshimi-」以降、「21.HIPHOP JAZZ」と「22.Waack」と「23.Jazz HIPHOP(adv.)」、「24.プロダンサー科」がゴッチャになってしまって、記憶の整理整頓があまりついてないのです・・・・。すみません。暗がりだったのでパンフで確認しきれずだったせいもあり(これでメンバーと演目の印象付ける)、申し訳ないです。

 

泣く子も黙る「25.HIPHOP(月)」は、相変わらずのBON先生のテイストながらも、いつもよりおとなしめな印象でした。豪胆さはありませんが、身体をグイグイ動かしていく能動的な感じがありつつも音を追い越していない絶妙なバランス。

そして大トリの「26.Jazz5」。何が良かったって、衣装。

デザインというよりは布の質感と長さと色。布がひらめいて、落ちていくその流れ具合。何とも言えないタイムラグがダンスの振りを何倍にも魅力的にする。肉体の動作が直線的に終わるだけでなく、肉体の動作に合わせてたなびき、またひらめく布が残像的余韻、まさに「質量のある残像」として観る者を釘付けにする。

動作(振り)と衣装の、これ以上ない至高のハーモニー。「舞う」と「踏む」、そういう言葉すら連想してしまうほどの姿勢(姿の勢い)。

衣装に拘りを持つ者として、めったにない光景を見ることが出来たと思います。

ダンスのすべてがここにある「21th.FREEWAY DANCE FESTIVAL」はかくして閉幕。冒頭に書いたように観客の節度が緩くなってしまってダラダラして締まりのないラストになってしまったことは残念でしたが、演者の皆さんの健闘を心より称えます。

 

ダンスとは「エコ・フィロソフィ(Ecophilosophy)」の側面もある。

それは課題発見型の哲学である。前もって課題の全貌が見えているわけではなく、. 新たに出現する課題にも敏感に対応し、そこに選択肢を設定していくような探求領域である。

舞台(スタジオならフロア)に立った刹那、初めて分かることが無数にあるのだ。世間に満ち溢れている「何の役に立つの?」という損得勘定、利益追求、世間体から隔絶されてみるよい機会なのである。

 

声高にグローバリゼーションが叫ばれる今日ですが、各々が自分たちの足元を掘り下げてゆくことこそが今求められていることなのではないでしょうか。『お手手つないで前衛芸術』は成立しないのです。舞踏には虚偽のやさしさや同情は関係ありません。一人ひとりが自分の足で立つことから舞踏は始まります。そして美しい蝶になって羽ばたくためには長いさなぎの期間を経ることも必要なのです。困難の中にこそ希望があり、闇を経てこそ光の世界が待っている。世界が直面している経済の変動と政治的激動の渦の中で、実は私たちの内部にこそ、その現実を凌駕する広大無辺な宇宙が広がっていることを舞踏は教えてくれます。師・土方巽の『舞踏は自然から習え、肉体は物から習え』という言葉がさらに重みをも持ってくるように感じます。舞踏は単独にその世界を生きている、そう思いながらこれからも舞踏とは何かを考えてゆきたいと思います。

和栗由紀夫(舞踏家)

東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.10より引用

 

践祚改元奉告祭&明日のFW発表会

前代未聞の10連休とともに訪れた令和元年。
休んでいるとあっという間。働いているといつまで経っても終わらない(苦笑)。

 

昨年、5/1で元号が変わる「御代替わり」を知ってから心に決めていたことがありました。

毎月お参りに訪れている神社(氏神さま)で「皇室弥栄(こうしついやさか)」の奉納をする事。神職さんにも昨年の時点で予約を入れておりました。

「皇室弥栄」とは、ご皇室の皇統無窮の繁栄と国民国家の安寧をお祈り申し上げることです。一度やってみたかったのですが、平成から令和へと御代替わりする今、これ以上の機会はありません。「おついたち参り」を続けてきましたが、ようやくこの日が来たかと感慨深いものがあります。

 

かくして、
『令和元年5月1日 践祚改元奉告祭』(おついたちと併せて斎行)
に参列しつつ、その後に私個人として「皇室弥栄・神恩感謝」の奉納をしてまいりました。普段は地味目のネクタイですが、この日はバッチリ白ネクタイ。

新天皇陛下御即位の日において、三種の神器である「天叢雲剣」が呼んだと噂される雨の中、大神様の御前に私ひとり、というこの上ない贅沢・・・・・・。

※日本書紀、神代紀上第八段本文の注には「ある書がいうに、元の名は天叢雲剣。大蛇の居る上に常に雲気(くも)が掛かっていたため、かく名づけたか。日本武皇子に至りて、名を改めて草薙劒と曰ふといふ」とある

Wikipedia「天叢雲剣」より抜粋

御朱印?
御朱印なんてもらってませんよ。そんなものは必要ありません。
人生の節目や時節を感じるのが「おついたち参り」の妙味であり、昇殿参拝は神前での発表会のようなもの。感謝を奉げ、今の”わたし”をとくと御覧あれかし、と。

 

 

さて、5/6は「第21回フリーウェイダンスフェスティバル」。
令和元年にして10連休の最後の日。暦の上では春が終わって「夏」の始まりの日(「立夏」)。

 

舞台の「起源」と古代の舞台

人類史のどの段階で初めて舞台が現れたかは、はっきりとは分かっていない。西洋の場合、記録に残る最も古い舞台は、古代ギリシャ演劇の野外劇場である。これはすり鉢型の地形を利用した巨大構造物で、舞台は底の部分につくられた。

Wikipedia「舞台」より抜粋

 

古代ギリシャであっても、令和の日本であっても、舞台は舞台。変わることなど何一つない。古代より連綿と続く芸術表現に臨む。これほどの誉れもない。

はてさて如何なる結末か。

御代替わり 平成から令和へ

4月に入ってから、いろいろありますね。
元号が変わる・・・こういう時期でもあるので余計に印象深く感じてしまうかもしれません。

「ルパン三世」の原作者であるモンキー・パンチ、「子連れ狼」などで知られる作家、漫画家、作詞家の小池一夫が逝去されました。

私たちが良く知る「ルパン三世」はほとんどがテレビ・映画主導の大きなコンテンツであるため、原作のルパン三世を読むと驚かれる方が多いようです。血煙もエロも存分にあっていろんな意味でアダルトですが、アダルトならアダルトとしてしっかりとした「芯」があり、またそれを上手に研ぎ上げてアニメ化したのでこれほどの長続きになったと思います。子供の頃観ていたモノが今になっても色褪せない魅力。生き物としての人間の残酷さが「ソフト」に描かれているからこそでしょうね。

 

原作の「ルパン三世」
実は、もともと峰不二子は固定キャラではなかった。

だから、私も去年のフリーウェイの発表会で次元大介をやらせてもらったんです(笑)。
服装から動き方、雰囲気、銃の扱いなどなど、「ルパン三世」という作品に恥をかかせぬようしっかり勉強しました。

 

 

画像は借り物です

「これでいいンだよ」「違うって云ってンじゃねーか」といった「ン」使いの元祖でもある(笑)小池一夫氏は、最近は「艦コレ」などでも存分に遊びつくす粋なオヤジとして知られてしましたが、劇画においては大御所です。後に「小池一夫劇画村塾」という後進の養成機関を設けて、 同塾門下生には高橋留美子、原哲夫、板垣恵介、さくまあきら、堀井雄二といったそうそうたる面々を輩出しています。

「子連れ狼」 最終巻

「子連れ狼」はたぶん名前と大まかな雰囲気を知っているだけの人が多いんじゃないでしょうか。実際はかなり重厚な作品です。
「子連れ狼」こと拝一刀(おがみいっとう)とその子・大五郎は、裏柳生一門をたった二人で、一振りの戦国太刀「同田貫」と様々な武器で斬り殺した、という話です。
絶対の鬼心を持って、冥府魔道を歩む・・・。禅語の『臨済録』で云うところの『父に会えば父を殺し、母に会えば母を殺し、仏に会えば仏を殺して、初めて真に解脱できる』という無二の心境を描いた作品です。

実は私、15年ほど前に一度だけお見かけしたことがあります。某百貨店の古美術売り場で。まぁ、それだけです(笑)。陶板のはめ込まれた小さな木製の卓が気になっていたようでしたね。

なんというか日本って「ヒマ人」が多いんですよね。
それはおそらく平和であるがゆえの、当たり前が当たり前でないことを忘れている人たちなんだと思います。
ガマンも足りず、権利を主張する時だけ生き生きとする。
そして、自分は死なないと思ってる。

 

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小人閑居して不善をなす

【読み】 しょうじんかんきょしてふぜんをなす 【意味】 小人閑居して不善をなすとは、小人物が暇を持て余すと、とかく悪事に走りやすいということ。

「小人」とは、「君子」に対する語であり、教養や人徳のない人のこと。
「閑居」とは、暇を持て余し何もせず日々を過ごすこと。

出典 故事ことわざ辞典より

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いてませんか?
「何か面白い事ないかな」という口癖の人が。

 

「令和」時代こそ、自分を律し、正し、「お花畑」からさよならできる時代にしていきたいものです。

 

新元号によせて

新元号が発表されて10日ばかり経ちました。

まぁ、違和感があるとか命令の「令」だとか日本しか使っていない元号は非合理だとか、ああでもないこうでもない、そんな意見ばかりが目立ちました。とはいっても元号が変わろうが庶民の生活はそんなに変わる訳でもなく、むしろ(変わったことで)新しい何かを期待する気持ち、希望の方が大きいような気もします。文句を言うのは何に付けても「アベガー」しか言わない人ばかりかもしれません。

くだらない政治イデオロギーをかぶせて批判してくる存在ってのは、本当に何なのでしょうね?

「令和」ということで、私は命令の令でもイイと思います。
はっきりいって「移民元年」。世界情勢も自然災害も油断ならない時節。そんな中、未だにお花畑に住んでいるのが日本人。「平成」というぬるま湯の恩恵を享受し過ぎてその有難みすらも忘れてしまっている。マスゴミに誘導され、我良しの権利ばかりを声高に叫ぶことに夢中になっている。

内外で国体を揺るがすような出来事が起きても、国民がスクラムを組んで乗り越えるために、今一度、自らの「良心」の命令に従い、襟を正すのも良いかと思います。

元号というのは他の国にはない、日本の「歴史の積み重ねの証」です。
どこの国とは言いませんが、「積み重ね」を持たない国はどうなのか?
積み重などなく、上辺だけを作って壊しての繰り返し。強者におもねり、長いものに巻かれ、裏切り、主義思想も一貫せず、過去も顧みない。

「根無し草」みたいなものです。

そんな国になりたいか?ということですね。

 

そして、4/30には「退位の日」を迎え、5/1には「即位の日」です。ひとつの歴史に立ち会えるのです。私は5/1には「皇室弥栄(こうしついやさか)」を奉納祈祷しに氏神さまへ正式参拝に行きますが、このような節目に立ち会える喜びがあります。神社仏閣への奉納は、こうした立会いの実感がわいてくるのでとても良いものですね。

また、先日、秋篠宮家の悠仁様が中学に御入学なされました。お顔がどことなく明治天皇に似ているような気がします。

いろいろと歴史の転写を垣間見ているような気もします。それは同時に「激動の時代」の到来の予感もします。落ち着くのに20年くらいはかかるでしょうかね。

 

日本が次代へ羽ばたいていけることを願います。

 

春とは名ばかりの・・・

春というのは毎年のことですが、しんどいのです。
寒さで安定していた冬から、変化に富む春への移り変わりというダイナミクスに心身がついていかない(苦笑)。生き物を飼っている人ならわかるとは思いますが、春先と秋口はよく不調になったり死んだりします。

春における室内と室外、昼と晩の体感を含めた気温差。日照時間の変化・・・etc。

毎年のことですがこの時期は変な人も増えます。「木の芽人」といいます(笑)。心のレールがいささか脱線気味・・・。

さて、今年は「春の彼岸入り」(18日)とほぼ同時に風邪、しかも久々に熱の出る風邪。一瞬、インフルエンザを疑いましたが問題ありませんでした。この週はたまたま休みが多かったので助かりました。熱が出るタイプは「悪夢」を見てしまうので眠りが浅く、辛いものがあります。彼岸と言えば先祖の墓参りですが、さすがにこの有様では無理でしたね。

 

新元号発表まであと少しです。

何物にも満足しないゆえに カール・ラガーフェルド氏、逝去

「スウェットパンツを履くということは、挫折したも同然。自分の人生をコントロールできなくなったからスウェットパンツを買った、ということになるのさ」

書籍『The World According to Karl』より

そこのあなた、耳が痛くありませんか?
そこのあなた、耳が痛くありませんか?(笑)

※画像は借り物です

2019年2月19日、カール・ラガーフェルド、逝去。

ファッションデザイナーのカール・ラガーフェルドがパリで逝去。85歳。
「フェンディ(FENDI)」のウィメンズ・コレクションと「シャネル(CHANEL)」「カール ラガーフェルド」のデザイナーとして知られる業界のレジェンドである。

1983年に「シャネル」の主任デザイナーになってから、第一線で走り続けてきた。といっても、日本ではそこまで報道されることも無いので、それなりには遠い存在である。
いつも手袋をしていて、ちょっとカッコイイなと思っていた。ある意味において、(日本でいうトコロの)「中二病」なのかもしれない。

「私はいつまで経ってもオーガニズムを感じない、ファッション狂のようなもの」
1984年、ショー後のインタビューにて。

昨年には、

「パンツを脱がされたくないならモデルになるな。修道女になれ!そこなら居場所があるはず」
・・・という発言がSNSに飛び火し、それなりに炎上したようである(モデル保護団体が反発)。いかにも彼らしい発言ではあるが、時代がそれを許さなくなってきたのだろうか・・・。凡俗には受け入れられまい。

 

それにしても、愛猫家はやっぱりやるのですねぇ。

カール・ラガーフェルドが愛猫シュペットに220億円の遺産を相続https://hypebeast.com/jp/2019/2/choupette-lagerfeld-karl-lagerfeld-inherit-200-million-fortune

※画像は借り物です

最悪のビジネスモデルのひとつ

今日は休みです。
旧暦新年明けて二日目。この世の極楽とばかりに家でダラダラとネットをしているのが・・・・・・楽しい。ただ、やり過ぎると眼精疲労から風邪になってしまうのが年を取ってきた証拠ですね。

 

恵方巻を残飯の象徴にしてしまったセブン〇レブン。
恵方巻に限らず、コンビニにおける残飯・廃棄というのはとんでもない量ですが、売り上げのために食い物を粗末にするビジネスというのが大変罪深いと思います。

 

「飢饉(ききん)」  幸運にして現代の日本からは無くなった災害。
食べるものが、無い。とにかく無い。
それだけのことで、希望も明日も愛も情も生命もすべてが無くなってしまう。

「飢饉」の発生サイクルと悪循環。(借り物です)
天災と人災の合わせ技であり、一過性ではないところが恐ろしすぎる。

「天明の大飢饉」では30万人の死者が出ましたが、それに拍車をかけたのが「金に目のくらんだ商人」。 わずかに残っていた米を買い漁って高値で販売したため、人々は種もみを食し、不作のループがとまらない「負の連鎖」へ突入。まさに「この世の地獄」へと発展していった結果でもあります。

コンビニに目をつけられた分野・業界は乱発で沈んでいきます。後に残るのがコンビニクオリティの粗悪品だけ・・・。

恵方巻のことは昨年度も書きましたが、基本的には「船場の色町の旦那衆のお下品な遊興」説支持です。そもそも伝統偽装、大量の食糧を廃棄することが前提、加えて「買い支え」頼みの、まさにお金を吸い上げる売り逃げ商法で運がよくなるわけがない。

クリスマスもバレンタインデーも(いちおう)ハロウィンも、特に「縁起が良い」ことがベースではなくて、その雰囲気を楽しむことがコンセプトなわけで、そのあたりをはき違えた「恵方巻」はどうにも出所が妙だとは思います。仕入れが安い粗悪な韓国海苔を売りさばくのがきっかけじゃないでしょうか。

 

「吉方を向いて丸かぶりをして食べる」

なぜ、敢えて下品にする??

普通の家庭なら怒られそうな、あんな下品な食い方をして縁起が良いわけがないでしょ。食べ物に対する冒とくであると、私は思います。

 

 

2/3は節分祭に行ってまいりました。前厄・本厄・後厄の無事を報告する御礼参りでもあります。有名な大きな神社ではなく神職さんが1人しかいない氏神様なのでこじんまりとしています。だからこそ、じっくりと丁寧に御礼参りをしていただけたのだと思います。
奉納後、雑談をしていて、次に待っている人に気づかなかったのは不覚でしたが(苦笑)。

 

おもえば、スタジオのオーナーである片山さんに「おついたち参りというのがあるんやで~」と教えてもらって以来ですね。人生儀礼として、とても有難く思っています。

A「有名神社仏閣から氏神さん拠点に切り替える」
やはり身近なことが大事なようで。ただし、何も願いません。

B「毎月1日、無理なら月初の参拝をする」
月1回行ける時→月初め→できれば1日、という感じで推移。

C「お酒を奉納し始める」
内心ご利益狙いがあった・・・ことは否定しませんが、同時に日本酒の追求が始まります。アル添(アルコール添加)当然の大手酒造は一切買いません。

『 不味い酒は神さまに失礼ですから 』 キッパリ

D「とうとう昇殿参拝(神恩祈祷)を始める(隔月)」
思い切って依頼してみましたが、神職さんは「神恩感謝・・・ですか」みたいな反応。要するに、あまり誰もやらないから。同時に神棚の設置。

E「神恩のみでなく、時節に応じて”夏越の大祓”や”厄払い”の祈祷をお願いしてみる」
ご利益の追求というよりは、好奇心。基本は神恩が根底にあります。

F「伊勢神宮で御垣内参拝をする」
これを経験させてもらってからは神社仏閣における気構えが違ってくるようになりました。やはり境内においては相応の態度と心でなければなりません。

G「神職さんが作法をレクチャーしてくれるようになる」
ある程度は動画で拝殿内の作法を勉強して行ったのですが、やはり耳学問では実践はならず。ただ、私が作法の大まかな流れを知っていることには感心していただいたようで、それから簡単ながらもご教授してくれるようになりました。

H「ビジネススーツからダークスーツになる」
ビジネススーツは平服よりマシ程度なので、一段階上げてみました。

I「厄が明けて、御礼参り」
節分はひとつの区切りです。同時に、来るべき新たな時代の始まりでもあるこの節目に立ち会わせていただいたことは幸運です。

「当たり前は当たり前ではない」ことを胸に・・・。
本当に、ダンススタジオに通っているだけでも「趣味」を堪能できているのですから、ありがたいことです。

 

自分で「疫病の神」と宣言するスタイル

こういう発言でどうなるのか想像できない人間が取締役か~。
文字通り、「疫病の神」様だなぁ。

 

 

これってビジネスパートナーとしても縁切りでしょ・・・。

インフルエンザはただの「高熱の風邪」ではなくて、人が死ぬ可能性のある、それこそ「バイオハザード」です。老人・子供・妊婦・受験生などに感染させてしまうと取り返しのつかないことになってしまいます。

外傷と風邪くらいしかないであろう、「気合で何でも治すノリ」の土木・建築業界だと「病気が広がる恐怖」というのは縁遠いかもしれません。

私は医者ではありませんが、「病気が広がる恐怖」というのは、意外にペット・植物業界だと身近なので「寄生虫が~、真菌が~、細菌が~・・・」みたいな感じで、さらに広がった時の対処がバカほど「コストと手間」がかかるのです。

 

さて、お話は変わりますが先日は遅まきながらの上賀茂神社と境外摂社・大田神社&下鴨神社への初詣。芸能、舞踊の神様ということでダンスに携わるお人ならば大田神社は外すことができませぬぞ(笑)。ダンス関係は同じ京都の車折神社よりもこちらの大田神社推しです。

上賀茂神社では神恩感謝の御祈祷をお願いし、その後の特別参拝申し込みで本殿前においてもご挨拶をすることができました。本殿前は清浄であり、伊勢神宮の御垣内参拝にも匹敵すると思います。

そっちの方はつつがなく終わったのですが。

なんか、お尻の穴が痛い。
この日、電車に乗る前からなんかヤバい感じだ・・・と思っていたのですが、ジワジワジワジワと痛い。祈祷も参拝巡りも普通に済ませたので我慢できないほどではないが看過するのはちょっと難しい。虫歯よりマシだけど、どんどん体力と気力を削られていく。なんでまた参拝の日に?

原因が思い当たらず、なんでいきなり?急に??という思いで一杯で、帰ってきてからあれこれ検索してみても不安になる要素しか見当たらない(汗)。「恥ずかしい」とかそんなどころでなくなってきて、病院を検索・調査して絞りこみ、翌々日になりましたが来院の予約をしました。来週なんですけどね。

今になってかなりマシになってきているんですが、場所が場所だけに素人判断は危険なのできっちり病院で診てもらうつもりです。「治ってきたかも~」なんて「油断大敵」をしてはいけないということでダンスの方もお休みさせてもらいました。もちろん飲酒も夜更かしもしておりません。

病気とともに歩んでいかねばならない年になってきたってところですかねぇ(苦笑)。

 

15日まではギリ正月(笑)

気が付けば「十日戎」も終わり、「成人の日」と「とんど焼き(左義長)」です。

 

だいたい正月は仕事ですが、今年は1日から7日までが妙に長く感じ、少々気分的にしんどかった正月期間ではありました。4日は休みをもらい、氏神さまへ初詣に行きました。正月期間なので普段には無い「お神酒」がありまして、新春祈祷が終わったら直会(なおらい)としてこれを頂きます。頂く時に「礼手」という作法があり、受ける前にポンと手を一拍するのです。覚えたての知識(笑)を早速の披露といきたかったのですが、カワラケ(土器の盃)をホイッと渡されて、注がれて、ハイ飲んで・・・みたいな感じだったでタイミングを逃してしまいました。

8日は”初踊り”ということで「Basic-Jazz」に参加。年末年始で固くなってしまった身体が悲鳴を上げていました。さすがにめきめきと上達などは望むべくもありませんが、何はともあれ、こうして通えて、何とか踊れる健康と状況に感謝するほかはありません。

 

2019年も国内外ともに、大変な年になりそうです。
個人的には安倍首相の稀有な安定性と外交力は有り難いものですが、問題はその次の首相ですね。下手したらそれで日本の将来が決まりかねないほどのものです。

「内憂外患」はまだまだ続きそうです。日本人の「平和ボケ」や「自分だけは大丈夫病」も、そろそろ何とかしないといけません。ただ、残念ながら何か「事」が起きないと自覚できないのが今の日本人なので、「お花畑」が吹き飛ぶような出来事が起きないとも限りません。

 

基本的に国際交流とか異文化とか、大して興味が無いのですが、「情報収集」という点においては「英語」は必須ですね。今更ですが、日本のマスコミがダメすぎるから。偏向報道、報道しない自由の発動、拉麺国や冷麺国に忖度し過ぎる内容etc・・・。海外の視点が必要です。

 

「人間」を途中下車したヒトたち

『小人閑居して不善を成す。至らざる所なし。』

「小人」とは仁徳や教養、勇気、節制を持っていない人間であり、そのために、仕事をせずに暇を持て余しているとどうしても悪事を犯しやすくなってしまうという、戒めの言葉である。

 

それらが「群れる」とどうなるか。

 

「渋谷ハロウィン」の意馬心猿を思い起こさせる一連の騒動。

TBS系「水曜日のダウンタウンSP」の一般公開企画が多数の来場者が集まったことで中止になった騒動です。

12月26日放送の「水曜日のダウンタウンSP」では、クロちゃんが出演する恋愛リアリティー企画「モンスターハウス」の罰ゲーム的企画で、クロちゃんを「としまえん」内に設置した檻に入れて一般公開することになったが、来場者が殺到したことで危険と判断し、急遽中止となりました。

 

ナイツ土屋、クロちゃんより来場者が「モンスター」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181227-00430178-nksports-ent

 

これ以上ない表現ですね。
文字通り、人間を辞めた人たちばかり。

物見高くて、「タダ」に集まって来る人間には、ロクなのがいてないです。
モラルも低いが知能も低い。

だがしかし、狡猾さは高い。「集団心理」の肝心なところは責任を逃れられると錯覚するところといえる。草食動物が1匹だけしかいない場合、捕食者に見つかれば相当危うい。しかし、10頭で居れば助かる可能性がかなり増すだろう。

それと同様に、100人の集団で犯罪を犯しても、捕まるのは1人か2人だと楽観視している可能性は高い。実際に渋谷ハロウィンで逮捕された者たちはそのようなことを口走っていた。

「肉の味」を覚えて調子に乗っている草食動物の狡猾さは手が付けられない。