護衛艦「かが」、見学してきました!

『護衛艦 かが』見て参りました。
昨年は「護衛艦しまかぜ」をうっかり見逃してしまい、悶絶した経験があります。しっかりと情報をチェックして休暇を取り、滞りなく見学してきました。

船尾でへんぽんと翻る日章旗を見て「日本の宝」だと思いましたね。

自衛隊員の方たち任務や日々の訓練が多忙な中、見物客の面倒を見てもらってありがとうございました。めったに目にする機会がない中、リアルに実感出来て素晴らしい経験になりました。ただ、将来的に起こりうる天災や万が一の国防での運用を考えると、日本の国力からしてもっとこのクラスの船が必要だと思いましたね。

当日、ちょっと遅めの9時半過ぎに「大阪港駅」に到着。駅を出てすぐに乗船の為の行列が待ってました。いや、今日この日のために1,2時間くらい待つ覚悟はあります。

天保山の観覧車が見えるまで進むと・・やけに高い位置に豆粒みたいな人がちょこまかと動いているのが見えました。「かが」の甲板上にいる人です。これは予想をはるかに超える大きさです。岸壁まで来ると「かが」を間近に見ることができますが・・・・あまりに巨大すぎます。日常でここまでの巨大な建造物を見ることがありませんのでどう受け止めて良いかわからないほど。

老若男女問わず、大勢、来ていました。これだけ多くの人が集まったわけですが、それも民間の船ではなくて、護衛艦という、非日常で特殊な艦艇と思うと、日本国民の中にはやはり自衛隊に興味関心のある人は意外に多いという印象です。
皆さん、実際に見て、その「必要性」を実感したのではないでしょうか?

さて、岸壁についてからも何度か列を折り返しました。「かが」を眺めているだけでも飽きないのでそこまで苦にはならなかったのですが、そこからさらに待って待って・・・入ることが出来たのは11時半くらいです。後述しますが、やはり手荷物検査に不慣れな人が多かったことも原因でしょうね。
(知らないから仕方ないとはいえ)
船体の横から入る形になるのですが、入ってすぐに格納庫(ハンガー)です。船の中とは思えないくらいの広さです。

そこから(格納庫からヘリなどを甲板に上げるための)巨大エレベーターで甲板に上がりましたが、その静かさにびっくりです。衝撃がほとんどありません。
上がったら、甲板の広さにさらに驚き。おもわず走り出したくなるくらいの広さです(笑)。地上と変わらないというと身も蓋も無いですが、水の上にそういう場所を作れてしまう技術力に感心するばかりです。

 

甲板上にはヘリや特殊作業車、体験コーナーなどがあり、どれもけっこうな行列が出来ています。トイレも相当行列してましたが、こちらは体験半分でしょうね(苦笑)。

 

 

今度は別の巨大エレベータ―で格納庫に降ります。先ほどのは海側に面していたサイドのものでしたが、これは甲板がいきなり下降します。SF映画のワンシーンみたいですねぇ。

艦内の物販(帽子やTシャツ)は約1時間待ちだったので諦めて、あちこちの細部を見学&撮影。ひそかに期待していた「艦内神社への参拝」についてちょっと自衛官の人に聞いてみたのですが、さらに船内になるので今回は残念ですが・・・でした。
※「かが神社」・・・石川県 白山ヒメ神社からの分霊。

爽やかな自衛隊員の皆さんにお礼を言いながら降船した後は、岸壁沿いに船首の方を見に行ったり、海遊館のマーケットプレイス側から見たり、陸自の機動装甲車などを見学したり、です。

 

金沢での一般公開時は1万人でした。この大阪ではおよそ2万人が来たそうです。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180520-00022668-mbsnewsv-l27

 

21日の8時30分には大阪港を出て、次の寄港地は広島・呉の予定です。
自衛隊員の皆さん、益々のご活動を微力ながら応援します。

 

余談ですが、見学に当たり諸注意事項がありました。

*****************

  • 1.事前のお申し込みはありません。当日岸壁までご来場ください。
  • 2.荒天、災害等が発生した場合はイベントを中止する場合があります。
  • 3.見学前に手荷物検査を行います。ご協力をお願いします。
  • 4.会場内は案内係及び警備員の指示に従ってください。
  • 5.艦上での見学の際は、突起物や足元・頭上等にお気をつけください。
  • 6.サンダルやハイヒールでの見学は危険ですのでご遠慮ください。
  • 7.酒類及びペット等のお持ち込みは固くお断りしております。
  • 8.岸壁内での盗難等の責任は負いかねますのでご了承ください。
  • 9.混雑が予想されます。お車でのご来場はご遠慮ください。
  •   周辺施設への無断駐車、また交通の妨げになる迷惑駐車は禁止です。
    *****************

この中で

「3、手荷物検査」を軽く見ている人が多かったです。どっさりの荷物で来ていたり、ペットボトルのチェック(安全性の証明のため係員の前で一口飲む)を知らなかった人でかなり手間取ってましたね。

検査に怪訝そうな人もいましたが、これは至極当たり前のことです。

「6.サンダルやハイヒールでの見学は危険ですのでご遠慮ください」
一般的に考えてダメなのは当然ですが、これは予想以上に「危険」だと思いました。まず入り口のタラップ?の滑り止めがかなりゴツいことと、甲板上が相当ザラザラしているのです(かなり独特のザラザラ感でアスファルトとも違う)。

物販の「海軍カレー」は諦めました。だって、無茶苦茶混雑してましたから・・・。

 

パワースポットへの依存

『白』い『氣守』頒布の休止について


平素当社を御崇敬賜り厚く御礼申し上げます。
さて、平成30年4月1日(日)の『白』い『氣守』の頒布に際し、周辺道路が大渋滞となり、近隣住民の皆様をはじめ周辺道路を利用する皆様に御迷惑をお掛け致しました事、深くお詫び申し上げます。
これまで『白』い『氣守』頒布日の渋滞について関係機関と連携し、対策を協議・実行してまいりました。
しかし、抜本的な解決には至っておらず、このままでは更なる混乱を招きかねないことから、平成30年6月1日(金)から確実な解決策が整うまでの間、やむを得ず『白』い『氣守』の頒布を休止させていただくことと致しました。
次回以降の頒布を心待ちにしていただいた皆様、また、平成25年7月から30年5月の頒布まで、長時間お待ちいただき『白』い『氣守』をお受けになられた皆様には、心よりお詫び申し上げますとともに、この苦渋の決断をどうか御理解いただきますよう切にお願い申し上げます

 

三峯神社公式ホームページ より引用。

 

三峯神社の「白い氣守り」。毎月1日限定ということですが、1日に参拝する朔日(おついたち)の意義を理解している人ってどれだけいるのかな? というところですね。

無駄な「悪い気」が来なくなって良いかもしれません。

 

芸能界ですごいパワースポットだと話題の三峯神社。
芸人のバイきんぐが三峯神社で修行をした後、2012年のキングオブコントで優勝。
毎月一日のみ発売している「白いお守り」は浅田舞さんが妹の真央さんの為に買った事がテレビで紹介されてから話題となり、
以降、南海キャンディーズの山里さんが後輩芸人と白いお守りを求めに訪れたり、
スポーツ選手がお忍びでお参りしたり、芸スポ界でも大人気!

こういった「煽り文句」に乗せられた軽漂浮薄な人たちが群がってくるわけです。

最寄りの駅から神社まで、路線バスで1時間足らずのところ、8時間もかかるという混雑ぶり。

参考:その1
トリップアドバイザー 気守り購入を考えている方へ。

 

参考:その2

※画像を勝手にお借りしています。
2017年時点での状況。
午前4時過ぎ。三峯神社3.5km手前地点で渋滞。車は動かず。神社の駐車場まで渋滞が続くとのこと。

「白い氣守り」の頒布開始は午前8時です(月次祭での祈祷を済ませてから頒布)。駐車場から出る車もいないので、少なくとも4時間は動かないという。

一時のピークは過ぎたようで、2018年の5/11は上記のような混雑・大渋滞ではなかったようです。5/1でないのは、GWと重なるために日程をずらしたためです。

画像を勝手にお借りしています。同じく2017年。
クルマが動き始めても、こういう路肩や路駐がさらに渋滞を悪化させます。

「自分くらいいいだろう」が「自分だけなら」に替わってしまうわけです。

そして、心から大神さまを崇敬しなくてもせめて感謝の念を奉げるということもなく、特別な場所に行った、という自己暗示の方が強いんじゃないでしょうか。優越感に浸れるために行くようなものです。

パワースポットって、必死に神頼みに来る人が多いせいか、路駐や割込みなどの自己中心的な人ばかりが多く集まって来るように思います。ブームになる以前からお参りしていた人間や崇敬者、氏子にとっては、他所から来て、人間のあさましく醜い部分を見せつけられる場所に様変わりするのは悲しいことですね。

 

三峯神社はもともと神仏習合で山岳信仰や修験道も入っており、ここは「御眷属拝借」が有名です。ネットの噂で「ウラのお札」なんて言われたりしてますが、白いお守りよりははるかにご利益があると思います。祈祷申し込み所で記入用紙の「眷属拝借」に〇を付ければOKです。無論、それにまつわる諸注意を受けますが。

これで御使いたる眷属神(三峯神社は狼と言われている)を御借りして自宅にお迎えすることが出来ます。ただし条件があり、それは1年以内に必ずお返しに行かねばなりません。
普通の神社仏閣でもお札はだいたい1年更新で、他所の神社仏閣でお焚き上げすることは可能です。しかし「眷属拝借」は必ず三峯神社に返さねばなりません。もちろん、日々の神祀りやお世話は必須です。

「お稲荷さん」よりは緩いと思うのですが、それなりに覚悟が必要だと思います。

副次ご利益として、自宅で飼っている犬がお利口になる、らしいです(笑)。

「ゴールデンカムイ」より抜粋。
ヒグマも恐れないアイヌ犬だが、オオカミの縄張りには入ることを全力で拒否る。

栄枯盛衰は世の常 SNSも

人はかたち、ありさまの、優れたらんこそあらまほしかるべけれ。
SNSはまさにそうではないか、と。

 

SNSの様相を「海水浴場」で表現した画像が話題になっているようです。

 

 

 

 

 

「SNS海水浴場」 pic.twitter.com/CbVuIZbsni

より引用・転載

 

「mixi」って、どこでああなってしまったんだろう・・・?
それはもうピーク時はすごかった。ツイッターの真似をし始めたり、足跡のシステムを変えたり、表示の構成を変えたり・・・・・・招待制止めて足跡廃止して、ユーザーの望みに対して全部に反逆し、どんどん改悪していった印象はあります。しかし、いずれにせよ「極相(クライマックス)」を経て勢いが減衰してしまったんでしょうねえ。

フェイスブックはなんか「キライ」で、インスタに至っては面倒くさい。
何かの設定をミスするとうっかり誰かと繋がってしまうので、こっそりやることが出来ないのがイヤなんですよね(笑)。mixiはそれが出来たんですよ。

ああ、インスタと言えばリア充イベントである「ナイトプール」の季節がやってきますねぇ・・・。

 

 

朔日参り 5/1

天皇陛下、19年4月末退位・5月1日改元へ
新元号18年にも公表。

天皇陛下は2019年4月30日に退位され、翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される。

 

すでにニュースにもなっておりますが、その一年前であるこの日、5/1の朔日参り。なかなか感慨深いものです。

氏神様の「月次祭」+「おついたち参り(朔日参り)」を済ませた後、神職さんとの少し雑談の中で、

「来年の今日、”神恩感謝”とともに”皇室弥栄”を是非お願いしようかと思います」

”皇室弥栄(こうしついやさか)”というひとつの祈願内容ですね。たまに祈願メニューの中に書いている神社もありますが、あまりお目にかかることはないと思います。

伊勢神宮では”皇室と国家の弥栄”が当たり前であり、またこういう折には神社庁からそういう祭礼をするようにお達しみたいなものがくるそうです。

 

その後は奈良・大神神社に行きまして、遅まきながら今年の初参拝+神恩感謝の祈祷。こちらの方はさすがに地元のみならず全国からの信仰篤い神社でありますので、「朔日参り」の参拝客が大変多かったです。大神神社は大変に古い神社であり、古き神でもあります。天津神でも国津神でもない、この日本に古くからいる神様です。

10時の月次祭が終わったあとなので少ないかと思っていましたが、正午過ぎでもけっこう祈祷を受ける人が多くて、逐一祝詞の中で名前と住まいを読み上げてくれるのですが、ちょっと正座していた脚が痺れてしまいました。

遠くは埼玉から来ていた人もいましたね。

御山への登拝も隣の摂社・狭井神社で受け付けていますが、こちらもごった返してました。ハイキング感覚の浮ついた人も・・・。御神体に登らせてもらうという意味を考えると大変に畏れ多いことです。

 

いろいろな祈願もありますでしょうが、やはり「自己の内省」「生活の節目」こそが朔日参りの意義かと思います。

20th.FREE WAY DANCE FESTIBAL 終幕

能舞台

 「…手前にある舞台は、現世でのドラマの展開する場所で、此岸を象徴している。
 それにたいして、背後にある楽屋は、彼岸で、あの世を象徴していると考えられる。
 たとえば舞台への出口は鏡の間と呼ばれ、ここでは、あの世にいる霊魂を演者がその身体に感知し、それと一体化をなしとげ、劇中の霊魂そのものに変身する場所だといわれている。
 この二つの世界をつなぐのが橋懸で、此岸と彼岸の通路である。
 舞台と鏡の間の関係は、この世とあの世、此岸と彼岸という具合に、空間の二分法に従っている。
 舞台はこの世をあらわしているとしても、観客がそこに立ち入るわけにはいかない。
 あくまであの世の霊魂が降臨する場所で、その霊魂との対話がなされる。」
                                            -「能の舞台空間」磯崎新

 

能舞台とは異なるが、それでも発表会に演者として出る意義は、舞台、客席、舞台裾などを通して「此岸、彼岸、境界」をほんのわずか感じることが出来る。日常から切り離された無意識の領域に踏み込める。それが人生においてどれほどの意味を持つかはわからない。しかし、ユングの心理学でいうところの、自分の「影」をちらりと見ることができるのだ。

 

影はつまり、自分で認めたくない負の面、不足している部分、誤った態度、抑圧された願望など。そして、その人自身が大して評価していないようなもの、どちらかという否定しているもの、抑圧しているもの、未発達なもの、それらは「自我」から締め出され、影となる。

 

 

ゲネプロが終わり、しばしの休息&食事。

控室では黙々というほどでもないけれど、そこまで話が弾まない感じで食事が進んでいる。和室で畳のせいか、
「ん・・・ちょっとダレるかな・・・」とはBON先生。

たしかに和室はちょっと落ち着きすぎるかもしれない。

時計の針と周囲の動きに気を配りながら軽く予定を立てる。着替えや変装の段取りや、練習したり、息抜きで雑談したりする。着替えの準備、雑談、練習、雑談、ボーッとしてまた雑談。toshimi先生が気を遣ってくれて、舞台の美術係(?)の人に頼んでJAZZ用の帽子に蓄光テープを張ってきてくれた。
途中で帽子を脱ぎ捨て、はける時にそれを拾うのだが暗くて見えにくかったのである。

 

みな、思い思いの時を過ごす。

「・・・。」&「・・・。」&「・・・。」

そして時刻はイチナナマルマル。一七〇〇。

開場である。同時に「01.Jazz hiphop -GAN-」のメンツが動いた。開始である。

私は「最後の悪あがき(という練習)」をしてから着替えを済ませて、舞台裾に向かう。06番なのであまり時間はない。ところが降りてみるとまだ「01番」の進行中だった。少し時間がおしているらしい。

舞台裾で眺めていたが、ゲネの時より動きがイイんじゃないか? 何より表情が明るい。開幕に相応しいステージ。先陣を務める栄誉というのはそれほどまでに動きのキレを鋭くするのであろうか。ステージが終わり、「場をあっためておきましたからっ」と息を切らしながらコメントするN氏。

続いて、今回、随一の衣装を誇る「04.はじめてのBallet」も実に見事。やはり本格的な衣装はひと味違う。

独演の「05.Theater」。見ているけれど次が出番なのであまり頭に入らない・・・。最後の最後のミーティングではToshimi先生から励ましのお言葉をいただき、意を決して出撃。舞台の客席のざわめきが否が応でも緊張感を高めてくる。

「06.Basic Jazz」。

久しぶりのJAZZの舞台は実に感慨深い。

今までの発表会出場の中で、一番大きく踊れたのではないかと思う。後で教えてもらったが、多少ではあるが「笑顔」になっていたと。

それだけで十分である。

 

蓄光テープのお陰で脱ぎ捨てた帽子の回収も問題なく、無事に舞台からはけることができた。Toshimi先生とメンバーで解放感と達成感、喜びを分かち合う。お決まりの、いつもの光景ではあるが、それがイイ。次の出番もあるのでメンバーも早々に解散し、それぞれの準備に取り掛かる。残念ながら「07.」~「15.」までは観ていない。

先のブログにも書いたと思うが、あまり舞台裾で他の人を観ていると影響されて良くも悪くもブレる。そのため極力、観ないようにしている。モニターだと映像として観るので空気までは感じないので影響は少ないから平気なのだが。

控室で次の出演支度を開始。先に服を着替え、ウィッグを整えつつ、舞台の進行状況を見計らってヒゲを装着する。待っている間はガンプレイ(クルクル回すアレ)や振りの練習、合間に雑談といった感じ。

「13.HIPHOP(初級)」が終わったころにヒゲを装着開始。接着剤を口周りに塗布し、半乾きになったところでペタペタと張り付ける。ウィッグを被り、髪型を調整。最後に帽子を目深に被ったあと、煙草をくわえてから全体的なフォルムを整えて出来上がり。

ここから後は「次元大介」である。猫背気味で寡黙。付けヒゲのせいで口周りが動かしにくく、かなり喋りにくいのである。ヒゲをつけ、ウィッグを被り、目深に被った帽子。そしてくわえタバコとなると、それだけでけっこう気力と体力を消耗するのだ。

フリーウェイとしては珍しい部類に入る「16.コンテンポラリーバレエ」を眺めつつ、「17.Jazz3-Toshimi-」のステージを観る。音楽、振り、衣装のバランスが大変よく、耳馴染みに良い曲「Can’t take my eyes off you」とも相まって中盤の盛り上がりは相当なものではないかと思われる。

さて、TAPグループ。今回のTAPの布陣は過去最高ではないかと思う。
「19.」のパフォーマンス。「20.」のコミカル。「21.」のオーソドックス。これ以上ないと言ってもよい。

「19.Tap(adv)」においてはアドバンスの名に恥じず、非常にパフォーマンス性が高い。多人数であるだけでなく、様々な技を合わせての表現。「カップソング」や椅子を使った見せ技がTAPというものの幅を広げてくれる。良く出来るもんだなぁ・・・と。とりわけ今まで様々なパフォーマンスに取り組んだTAPのベテラン会員H氏の集大成ともいっても過言ではない。

「20.Tap(beg.)」はおそらく発表会史上初と思われる徹頭徹尾100%「コスプレ」での出演。「ガンプレイ」を織り交ぜて、「ルパン三世」における次元大介の世界観を再現。

「コスプレしてダンスをする」簡単そうで簡単ではないチャレンジ。いやホント、やってみれば分かります(苦笑)。技術的に難しいというよりも、調達・調整・調合ですね。
衣装・小道具などの「調達」
実際の動きやすさと耐久性、特徴的なアクションなどの「調整」
ダンスの振り付けとキャラの役作り、特徴などの「調合」

「21.BASIC Tap」は正統派TAP。一切の隠し味も余技も追加しない。スーツで極めたオトナの香りが舞台に満ちる。締めが正統派で終わりよければすべてよし。

「TAPの見どころが、実は分かりにくい」という意見もあり、今回は様々な局面におけるTAPの在り方を示すことができたのではないだろうか。

リボルバーの拳銃を持っていたのに「イジェクション(排莢)」が出来なかったのが唯一の心残り。コレをやることが出来れば、会場中の男どものハートを鷲掴みに出来たであろうに(笑)

※イジェクション(排莢):空になった「薬莢(カートリッジ)」を排出する動作。リボルバー拳銃における特徴的な動作のひとつ。ドラマや映画、アニメ等でのアクションとしては欠かせないワンポイント。女性にはまったく興味のないもののひとつ。

汗をかきかき控室に戻り、休憩しつつヒゲを修正。

すべての演目を終えた・・・・いや、最後のフィナーレが残っている。やらねばならないアクションがまだ残っている。なので、ちょっとだけ練習。

そして、いつもの光景だ。

20th.FREE WAY DANCE FESTIBALの最後のショウが幕を開けた。ショウの演目は「28.JAZZ-05」。

・・・を舞台裾で眺めながら、フィナーレを待つ。

暗幕の舞台裾。音楽が時を刻み、眩い光が皆の輪郭をぼやかす。誰一人として言葉を発する者はいない。恍惚と解放感、儚さと・・・。ひとつ煙草をふかしてみたくもなる。

「タバコはもうくわえてなくていいんじゃなくて?」
「いや、最後まで次元大介を演ってなくちゃなぁ」

そしていつもこのセリフを思い出す。
「ピーターパンのネヴァーランドでもなければ、どんな遊びも楽しいことも終わりが来るのだから。」

『蜂と神様』      金子みすゞ

蜂は お花の中に
お花は お庭の中に
お庭は 土塀の中に
土塀は 町の中に
町は 日本の中に
日本は 世界の中に
世界は 神様の中に

さうして さうして
神様は   小ちやな 蜂の中に。

 

「JAZZ-05」が終わった・・・・。「29.FINALE」である。観客の喝采を一身に浴びるこの高揚感。そしてすべてを終えた解放感。
まだやることは残っている。クラス紹介だ。変装、仮装をする楽しみにはここにある。

「06.BasicJazz」に次元大介の姿で出る事の快感。観客の誰もがまさかJAZZにも出ていたとは思うまい。ほんのわずかではあるが、次元の衣装でJAZZを踊る楽しさ。たまらないものがある。最後に煙草を軽く口から離して挨拶。顔を隠すコスプレをしたのは本当にこのためだけ・・・ではないが、かなり大きい理由なのである。

「20.TAP(beg.)」では銃を手に持った状態で出て、踊った後の挨拶で軽くガンアクション+投げキッス(これはメンバーで打ち合わせ済み。不二子ちゃんらしくやろーぜ、と)。ここまできっちり余すことなく出来たのは片山さんのフィナーレの稽古のお陰かもしれない。

さらに最後、ぜんぜん知らない観客の人から写真をお願いされたのはもう最高であった。コスプレ冥利に尽きる。コスプレと言っても舞台用のアレンジがなされているので近くで見ると思ったほどでもなかったかもしれない。ちょっと映りが気になるところ。

 

かくして発表会も幕になりけり。記念すべき20回目に出られた幸運を喜ばずにはいられない。

それは咲いている時間のとても短い花だけれども、また懸命に咲くのです。

 

さて、Amemuraさんの発表会まとめ。今回は演者側だったので全部を観ることはできませんでした。個人の独断と偏見によるベストファッション、新人賞、インパクト賞、優秀賞などはございません(笑)。ただ、「敢闘賞」はございまして、やはり「22.Stylish Ballet」に出場された「mei先生」をおいて他には無し! 常に前線に立ち、かつ新境地を開拓するその意気込み、感服いたしました。

 

今回の衣装は「スーツ」が多かったですね。”次元大介”が目立たないな~と(苦笑)。カッターシャツ系の衣装も多く、早着替えやアレンジがしやすい為だと思われます。突出したコーディネイトはありませんが、衣装的な完成度の高さと目立ち加減ではダントツで「04.はじめてのバレエ」。やはりK氏が「ベストドレッサー賞」ですね。

Toshimi先生に衣装案NGを喰らう率の高さがトップな私をもっともっとうならせる衣装をお待ちしております。

全体的に見るとTAP(beg.)のチャイナドレス+網タイツがセクシー系としてはトップクラスで「読み通り」(笑)の注目度。「不二子ちゃん」のコンセプトなので私からは「分かりやすいセクシー系。80年代のハリウッド女優的」の注文を出していましたが、女性メンバーが見事にチョイスしてくれた感じです。

出演者としては4~6クラスの掛け持ちの人がそれなりにいました。そういう意味では発表会慣れしている人や意気高く臨んでいる人が多く、良い意味で緊張感の張りつめていない舞台だったのではないかと。舞台裾でもあまり緊張感でガッチガチという人も少ない感じです。また、人数の多いクラスが増えたので見ごたえがありました。まさにJAZZの醍醐味といえましょう。

 

20回目としてふさわしい発表会でありました。

では、またの舞台でお会いしましょう。
劇中劇さながら、「この世は舞台」の中のさらに舞台に立つ奇妙さと、面白さと・・・。

 

I hold the world but as the world, Gratiano;
A stage where every man must play a part,
And mine a sad one.

「世間は世間、それだけのものだろうグラシアーノー、

つまり舞台だ、人はだれでも一役演じなければならぬ、

そしておれの役はふさぎの虫ってわけだ」

(『ヴェニスの商人1113ページ)

 

 

2018 西宮のおばちゃん論争

13日に「火垂るの墓」が放映されてました。もちろん恒例の「西宮のBBA論争」も勃発。

 

ネットでは擁護派と否定派に分かれて延々論争する、毎度おなじみの光景です。こちらはマスゴミに変に取り挙げられて失速した「バルス祭り」と違ってまだまだ楽しめますね。

 

西宮のババアの鬼畜の所業に憤りを隠せない否定派が放ったキャッチコピーの中で傑作は、

 

悪魔の住む街 西宮

https://www.nishi.or.jp/

 

たぶん前回放送時だったと思いますが、これを超えるキャッチコピーはなかなか出ないですね(笑)。

 

擁護と否定に分かれますが、そのほとんどが観る年齢によって見方が変わるのです。

 

子供ワイ「節子清太かわいそうすぎる…」

思春期ワイ「ババア死ね!!!」

大学生、20代ワイ「清太糞すぎない?もっと大人になれよクソガキ」

社会人、30代ワイ「なんやこの糞ババア、もっと清太に助言してやれよ。このババアが元凶だわ」

火垂るの墓って見る年齢によって見方変わるよな

 

かとおもえば、

*********************

565: 名無しの七氏 2018/04/13(金) 22:27:42.73 ID:+V+ycOdE0
>>344
ニートが多いこの時代、助言が何も意味ないことを知る
結局痛い目を見なきゃ何もわからないんだよ

 

602: 名無しの七氏 2018/04/13(金) 22:28:03.88 ID:vtqcEMI00
>>344
アラフォーワイ、全部戦争が悪いで終結

 

622: 名無しの七氏 2018/04/13(金) 22:28:12.88 ID:g6Wx2Uw1M
>>344
清太もババアも戦争の被害者や
戦争が心も貧しくしてしまうんや
**********************
このような展開もあり、結論が出ないが故にとても面白いのです。
今回は、人の母親のものを強引に売ったことへの非難が多かったように思います。「これお前らの取り分な?」「お前らの分の米よこせよ」って言ってる奴のどこに正論があるのか?と。
また、ババア視点は老害になった証拠という意見も多いようで。(見ている年代が上がってきている?)
さらに、故・高畑勲氏がどう意識して描いたのか、インタビューに残っています。

(アニメージュ 1988年5月号)

それを元にした見解ですが、やはり論議はつきません。

***********

清太が間違った判断を下したのは確かだが、
全体主義から逆転し個人主義的な考え方が
広まってきた時代(公開当時1988年)において、
多くの人々は清太に共感するようになったのだと指摘している。
そしてさらに、ある種予言のようにこうも語っている。
—————————————————————-
もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、
いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。
全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。
清太になるどころか、
未亡人以上に清太を糾弾することにはならないでしょうか、
ぼくはおそろしい気がします。
—————————————————————-
前述の「清太が悪い」という意見はまさに
高畑勲さんが危惧していた事態である。
もちろん公開当初にも
清太には共感できないという人もいただろうし、
今現在も社会生活を拒絶した清太に共感をもつ人もいるだろう。
しかしそれでも「清太を糾弾する」流れが
これだけはっきりと見えてくるということは
この30年で社会の風潮や「空気」が変わったことはやはり確かなのだ。
全体主義に合わせられない者は悪。
非国民であると。
現代的な言い方をすれば、
社会に合わせられない者の無能さや愚かさは
「自己責任」でありそれによって困窮したり最悪命を落としても
それは同情されないものでむしろ責められるべきものある、と。
そういった視点を意識的、無意識的に関わらず
私たちは清太に向け始めているのだ。

20th.FREE WAY DANCE FESTIBAL 第三幕

オーストリア ブレゲンツ音楽祭(ボーデン湖)より「仮面舞踏会」
野外オペラの舞台

 

いつも自分をきれいに明るく磨いておくように。
あなたは自分という窓を通して世界を見るのだから。

 

- バーナード・ショー -

ジョージ・バーナード・ショー(1856~1950)アイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、社会主義者、ノーベル文学賞受賞。

 

14:00よりゲネプロが開始。
進行、振り、衣装、立ち位置のすべてが本番と同じである。違うのはお客さんがいるかいないかだけ。

いったん動き出した後の展開はかなり早い。時計の機械仕掛けが狂ってるんじゃないかと思うくらいだが、これは発表会に出てみないと分からない。

いつものことだが、プログラム「ナンバー.01」というのはちょっと考えただけでも緊張する。今回の先陣は「Jazz HipHop -GAN-」。メンズから二人が出るのだが、傍目には緊張している感じは見えない。流石である。

「幕が上がって、踊り出す」。客席からの、新鮮な期待と興奮を一身に受ける栄誉とともに、場を温める重要な役目もある。私の出番もそんなに遠くなかったので裾から見ていたが、実に良い感じ。上手いとか下手ではなく、場と曲に一体化しているといった具合。

フェスティバルの幕開けに相応しい。

続いて「04.はじめてのBallet」。おそらく今回の衣装ではもっとも本格的。このような衣装を身にまとうことができるのは実に羨ましい。

そうこうしているうちに出番である。「06.Basic Jazz」。6番手ともなると早い。緊張する暇もない。舞台に立てば、いつものように音楽が流れる。何の違いがあるのだろうか・・・と思うけれども、やはり舞台ということでやや硬いか。「ただ思い切り、踊る」。これが難しい。

脳内はまさにこんな感じか?

 

「感覚の偏り」というのが生じる。視野狭窄だったり、周りが見えすぎたり、ある音が聞こえすぎたり聞こえなさ過ぎたり、脚がフワついたり、動きが遅く感じたり・・・・。

それはその時になってみないとわからない。そして偏ったまま踊るしかないし、それはそれでどうとでもなるのだ。

結果として、脱ぎ落した帽子を舞台裾へはける時に回収していく算段だったのだが予想以上に見えなくて難儀したことと、やはり表情が固いこと。反省点ではあるがあまりに拘り過ぎると「豆腐メンタル(笑)」では本番にも差し支えるので、先生もやんわりと指摘する程度。先生のフォローが有難い。

 

いったん始まってしまえば次のクラスのことで頭が切り替わってしまうので、失敗に拘りたくてもこだわれない。とりあえず私は着替えもあるので控室に戻り、支度をする。同じクラスの人も同様だ。次の出番もあるし、着替え補助もやらなくてはいけない。
先生のアドバイスを受けた後は解散し、それぞれの役割を果たす。

私はつけヒゲやウィッグ等の準備もあるので、おおよそのタイミングを計りつつ、変装を開始する。あまり早くやりすぎると接着度が落ちる事と、精神的な疲れが出てくるので、意外に大事である。「最後の悪あがきwww」(練習)もしなくてはいけないから完全には変装できない。

他のクラスも見に行きたいが準備があるし、いったん変装すると疲労をさけるために動きたくなくなるのだ。出入りする人たちに今の進行状況を聞き、把握しておく。

他のクラスを見ていると、「私もしっかりやらねば」と思ったり「私だったらこうする」なんてことを考えたりもする。良くも悪くも気持ちが揺れるのであまり見ない方がイイとは自分では自覚している。なので控室から出ることは少ない。前の控室の時はモニターがあったんだけどなぁ~(悲)。

そうこうしているついに「TAPグループ」の出番が近づいてきた。私も変装を済ませ、心の準備も終わっている。メンズでぞろぞろと控室から移動し、舞台裾で出番を待つばかり。
ひとつ前の「19.TAP(adv.)」を眺めているけれど感心することひとしきり。複合で様々な技を見せる。椅子だのカップだの、小道具も多い。さすがアドバンスクラス。

「20.TAP(beg.)」はメンバーが上手下手に分かれるので出番待ちは、ちと寂しいか(笑)。

さて、この時ばかりは「私」ではなく「次元大介」の出番がやってきたわけですが・・・。

ゲネなので客席の反応が無い(苦笑)・・・・・などと生意気言ってすみませんが、そんなこと考えるくらいの余裕はあったということで。
不二子ちゃんたちも拳銃を落とさなくて良かった。
(練習中では何度かホルスターから落下したので)

タバコ咥えて、ウィッグ被って、TAPシューズを鳴らして、おまけに「次元」に成り切るという脳内メモリーを消費するのは疲れる。

先生からは立ち位置の指摘。これはちょっと意気込み過ぎて空回りしたかもしれない。位置関係が疎かになってしまったのは明らかに失敗であった。

 

これにて私の演目はすべて終わり、ちょっとした解放感を感じながら控室へ転がり込んだ。「これで一段落ついた~」と言いながら、帽子を脱ぎ、ウィッグを取り、ヒゲまで取ってしまった。

フィナーレがあるのを忘れてた・・・・・・。

フィナーレでは次元で出る予定なので仕方なくもう一度ヒゲを付け直す。今取ったヒゲは少し湿っているのでくっつきが悪い。予備の新品を使うことにした。新品は新品で馴染みが悪い。

トリである「28.JAZZ-05」が始まる前くらいには舞台裾で待機。舞台裾から「JAZZ05」を眺めているこの光景はいつも変わらない。いつの発表会だってこれだけは変わらないのだ。でもまだ、「本番」前の雰囲気がある。

そしてJAZZ-05が終わり、フィナーレの始まりだ。クラス紹介、JAZZの時はどういったリアクションをするか、TAPの時は拳銃をどのタイミングで回すか?そんなことばかりを考えていたのだが、ゲネプロではクラス紹介まではしなかったのである。思わぬ肩透かしになった。これこそぶっつけ本番になってしまったが、まぁ仕方ない。こんなことを考えているのは私だけだろうな、と多少可笑しかったが。

一山越えて、ちょっとした満足感とともにドヤドヤと控室に戻る。次元のコスを初めて見た人もいるので地味に視線が突き刺さる。こんな人もいるんだよ~~ッて感じだが、相変わらず「衣装とコンセプトの突き抜け具合」だけならスタジオでもトップクラスであるという自負はある(笑)。

ついに「本番」が始まる。
それは怒涛の嵐のように。

20th.FREE WAY DANCE FESTIBAL 第二幕

舞台吊物図(上から)
緞帳、中割、文字幕、大黒幕の幕類のバトン。ドロップや大道具など吊り込んで使用するバトン。照明用のバトンがあります。ほかにも音響反響板、スクリーンなどが吊物としてあります。バトンの本数は劇場によって違いがあります。

 

土方は醜悪な美と悪魔的な変身と嘲笑を引き連れて死者の屍衣をかぶって出現した。死の視点から肉体を観念したこの踊りは昭和元禄で浮かれている日本の首都に真っ赤に熱した太い杭を打ち込み、灰神楽の中で闇をばらまいたのである。(焼け落ちた橋)とは戦争の焼け跡で全身火傷をしながら天界と地界の間に立ち尽くしている人間のことである。天と地の架け橋が燃えているのだ。刻々と死につつある人間のことである。生きたい何としても生きのびたい。耐え忍ぶ痛みと汚らしさ、人間という条件や輪郭をすでに失っているのだ。焼け跡と狂気。

『舞踏譜考察』 和栗由紀夫 より引用

いわゆる「暗黒舞踏」。土方巽(ひじかたたつみ)なんて誰が知っていようか。スタジオで聞いたところで片山さんくらいしか知らないだろう。私もそこまではよく知らないし、そもそも(ライブで)見たことがない。父が「寺山修司」が好きだった関係でその手の本があったのが切っ掛けである。また、大学の時に知り合った知人がテント芝居やそのあたりの暗黒舞踏をギリギリライブで観た世代であったので耳学問として知っている。
私が観たのは土方巽の次世代である田中泯だ。

ダンスにおいて、健康な肉体の美と力の一致がお題目のようになっているのは間違いない。健康な肉体の美と力の一致。それについては異論は一切ない。だが、斜め上にあるものを見に行ってしまうのは私の癖なので気にしないで欲しい。こういうコトも知っておきたいのだ。また土方巽は「欲望のオブジェ、そういう技術を入れておく器が肉体である」と言いながらも「世界で一番遠いものが自分の肉体」という言葉も残している。

考えれば考えるほど分からない世界。非言語的表現に言語で挑もうとする愚かなるスタジオのドン・キホーテこそ私、そういう結論。先生だけが温かく見守ってくれる優しい世界(苦笑)。

3/11(日)本番当日

さて、発表会当日で最初に気になるコトがある。それは楽屋。狭いか広いか、舞台から遠いか近いか、モニターがあるかないか・・・。

12:00:出演者入り開始

今回は「和室」。舞台裏が地下2階に対して3階の和室。「おおぅ・・・」と呟いてしまった。
案の定モニターは無く、鏡もない。まったり感だけが有難い。

和室にはJAZZに出る人と一緒に一番乗り。張り紙をよく見ておらず
「和室ぶち抜きで全部使えるな~」と喜んでいたのもの束の間、女性陣が入ってきて「きちんと男性部屋と女性部屋を仕切って使うんですね・・・」と気づいて意気消沈。
到着してからの持ち物チェックが意外に大事なことは言うまでもない。

ぞくぞくと男性陣が入ってくるなり部屋の感じに微妙な顔をするのが少し面白い。

挨拶も兼ねて浅い会話を重ねる中、TAP最終レッスンで撮った「ソロパート@排莢バージョン」を皆に披露する。概ねウケが良い。なんで次元のチョイスなのかも実に理解と賛同が早い。女性陣はほとんどが「ルパンの曲なのになぜルパンでないのか?」「排莢?」という反応ばかりだったので実に愉しい。

リボルバーの排莢はロマン。ジャラっとな。

男のロマンは男にしか分からぬ。分からぬのだ(悲)。

1215:全体ミーティング
片山さんをはじめとした先生方、スタッフの皆さんとの、舞台前の最後の顔合わせであり、大体のスケジュールの流れを確認する(認識させる)大事な過程でもある。
不安にさせまいという心遣いが有難い。

いつも、だいたいの先生方が言う言葉は決まっている。ここまで来たらその言葉以外に何があろうか。言語表現の限界だ。それを信じるほかはない。そして信じるに値する言葉でもある。

1300:サウンドチェック
TAPグループの音チェックである。TAPマットが敷かれ、音や立ち位置などの確認をする。スタジオとは違うのでこちらも感覚を調整していかないといけない。

画像はイメージです

1315:フィナーレの稽古
全員がぞろぞろと舞台に集まってフィナーレの練習が開始。
トリである「JAZZ05」が終わった直後からフィナーレが始める。舞台裾からササッと出て、おおよその所定の位置に出る、というものである。あとはクラス紹介の時に各個が前に出て、2×8ほど踊るのだ。

私は今回は特に楽しみだ。私とは分からない仮装状態で別の出演クラス挨拶に出るのが楽しみで仕方がない。”次元”でJAZZをちょっとだけ踊れるのだ。JAZZクラスはタバコ強調で、TAPは拳銃持って出ようかな~なんて考えながらやっていた。

いつもながら和気あいあいとして、緊張感は良い意味でも悪い意味でも、無い。そう、「悪い意味でも、(緊張感が)無い」ことが・・・。

「・・・もっかいやりなおすでッッ!」と片山さんが声を出す。
全体的な雰囲気もさながら、立ち位置やフリがグダグダ気味。
「フィナーレだからこそしっかりと引き締めたいし、全員がそろえばもっと良くなる」

「先生方も立ち位置確認したって!」と激しく言葉が飛ぶ。

どちらかといえば本番のみに気が行ってしまっている出演者全員も、一気に身が引き締まるのが雰囲気で分かる。雑談の内容が立ち位置やフリの確認になる。
実際問題としてこうあらねばならないとは思う。楽しかった楽しかったばかりではダメなのだ。やはりそこは舞台。最後の最後まで「演じなければ」ならない。
舞台からはける瞬間まで、なのだから。

けっこう時間をかけて稽古が続く。我々は演者である。本番踊ってオシマイ、ではない。その再確認としては直々に指導を受けられた千載一遇の機会、ともいえる。

私としてもこのおかげで過去最高のフィナーレを迎えることができた。「仮装状態」、「ワンアクション」をプラスできたこと、振りもきっちり踊れたこと。やはり全員がしっかりできたからこそのものだと思うのだ。

1400:ゲネプロ開始

状況が開始される。

ここからが、早い・・・・・!

 

 

20th.FREE WAY DANCE FESTIBAL 第一幕

舞台構造

 

「一番良い映画は一番新しい映画です。
あなたのような若い人がそんなこと仰っちゃダメよ」

淀川長治

 

「FREE WAY DANCE FESTIBAL」。
フリーウェイダンスフェスティバルの良いところは、常に新しいことだ。
一番良いフェスティバルは一番新しいフェスティバルだ。

発表会当日が終わって、寝て起きて次の日の朝になって、仕事が終わってスタジオに行けば、とっくに過去の遺物だ。スタジオでも誰一人、ろくに覚えちゃいない。あの時は・・・この時に・・・決してふりかえらない。

思い出に誰一人、浸っていない。

それでいい。

だから常に新しく、また限りなく若い。

映画を観ることは娯楽ではありません。映画は人生の教科書。人間勉強の場なんです。
〈中略〉
だから、わたしは一週間に一回ぐらいは映画を観に行ってほしいと思っています。
なぜ、観て欲しいのか。
それは映画は現代の教室。”今日のもの”だからなんです。どんな作品でも現代とともに生きているんですね。人間関係の葛藤、生活の匂い、風俗などが今の感覚で描かれていますね。
ですから、昔の名作をごらんになり勉強なさるのもいいでしょうけれど、新しい作品をどんどん観てほしいんです。
 〈中略〉
今、世界の人間がなにを考えているのか。映画はわたしたちにそれを教えてくれているんですね。
そんなわけで、みなさんも面倒くさがらないで、新しい映画をどんどん観て、ご自分の栄養にしてほしいと思います。

淀川長治 『日々快楽』

 

発表会は「発表会」に過ぎない。映画と違って人生の教科書とか人間勉強の場とか、そこまで言うつもりはない。しかし「今日のもの」というのは賛成だ。

栄養にはならないかもしれないが、教養にはなるだろう。生きて動いている「舞台裏」を知ることが出来る。あなたがどれだけ緊張しようが舞台はあなた以外の多くの人によって進行していく。
どういう想いがあれ、「真実」はその人の立場によって複数存在する。しかし「舞台」は「事実」であり、始まってしまったら、それ1つしかないのである。

 

カール・ラガーフェルド(1933~)
「シャネル」のアーティスティック・ディレクター
自身の名を冠する「カール・ラガーフェルド」の元締めでもある。

「私は過去に価値を見い出しません。行動に移す前に考えることが必要だと思っています。過去についてメモをとる必要はないし、過去に成功した誰かについて知りたいと思うこともありません」。

「私は『シャネル』や『フェンディ』のアーカイブを詳しく調べたことは一度もありません。それは、私にとって不健全なことなのです。でも他の人たちにとってはそれが面白いのは理解できますよ」

http://www.afpbb.com/articles/-/3047039
2015年のインタビューより抜粋

では、明日、舞台で遇いましょう

 

There are more things in heaven and earth,Horatio Than are dreamt of in your philosophy.

「ホレイショー、天と地の間にはお前の哲学などには思いもよらぬ出来事があるのだ」

『ハムレット』第1幕第5場より

 

思いもよらぬは舞台なりけり。

終ったところで後にも先にも何も残らない。断片的な記憶と、舞台に出たんじゃないかな?というかすかな感触だけが脳裏をさまよっている。

今日の、何年かぶりの「場当たり」を観ていて、皆はどうして発表会に出るのだろう?と今更ながらに思いを巡らせた。意外に若い子の方がそこまで考えていない。シンプルだ。逆に、年寄りの方が意義だの意味だのを必死で見出そうとするのだろう。

まして、哲学など思いもよらぬ出来事がある。

久々に舞台に立ってつい浮足だってしまったのか、場当たりが終わったら階段から降りずについ舞台からピョンと飛び降りてしまった。明日はここで本番をやる身としては、随分とはしたないことをしたものだ。

 

そうそう。締めのフィナーレにそなえて皆が舞台裾に集まって待機するのだが、その時に最後の演目であるJAZZ5を観る。(オンステージなので当然だが)誰も言葉を交わさない。この時の光景と皆の顔は、美しくもあり、切なくもあり・・・。

砂時計の、砂が落ち尽すあの刹那にも似た空気は言い尽くせない。落ちていく砂粒を惜しむようにそのひとつひとつが見えそうなほど心が研ぎ澄まされている。
けれども、「もう終わる」という過ぎ行く時間を押し留めることが出来ないその無力さも感じている。

では、明日。
足を運んでくださる見知らぬ多くの人々へ、舞台で遇いましょう。